第13話 仕掛けた賭け


「そ、そんな馬鹿なことがあるか!」


 老いた体のどこからそんな大声が出たのか、ミード公爵は血相を変えて怒鳴った。



「貴様らは自分たちがやったことの価値を分かっていない! これは国家機密だ! それがどれほどの損失を生むと思っているのだ!?」


「まぁ、落ち着いてくださいミード公爵」


「これが落ち着けるか! ジェリック卿よ、其方は娘の愚行を止めなかったのか?」


 だがアリスの父は眉間にしわを寄せ、腕を組んで黙っていた。


 代わりに、レシピ公開へ踏み切った張本人であるアリスが答えた。



わたくしを育ててくれた義理の母は、事あるごとにこう言っていました。『公爵家としての誇りを常に忘れるな』――と。この言葉の意味は、ここにいらっしゃる皆様方も十分にお分かりですよね?」


「そ、それは……」


「女神様は民が飢えることの無いよう、この国に五種の食材をお与えになった。そして五大公爵はそれらの守護者であり、王である余は民に分配することが責務である」


 人が生きる上で必要となる栄養素というものがある。


 獣や魚の肉、穀物、塩、甘味。これらを安定して供給することこそが、公爵家の役目だった。


 そしてアリスは、神への信仰を忘れることなく、民たちにも幸せになってほしいと考えたのだ。


 アリスの言い分を聞いた貴族たちは、反論できずにいた。



わたくしがレシピを公開したのは、民に食材を与えることだけが理由ではありません。正しく調理をすれば食事は楽しいものだと広め、同時に衛生という概念がどれほど大事なのかを広めることが目的だったからです」


 知識や技術は自分だけで独占するべきではない。誰かのためになってこそ、輝くのだ。


 アリスも最初は、自分が美味しい料理を食べられればそれでいいと思っていた。


 だがメアリーの一件や領に住む人々と触れ合ううち、アリスはいつの間にか、食べることで笑顔になる人を増やしたいと考えるようになったのだ。


 その気持ちが、彼女の原動力となった。アリスが語ったのは理想論かもしれない。それでも、アリスは本気でそう思っていた。



 だからこそ、アリスはミード公爵の言葉に素直に納得できなかった。彼が言うことは正しいのかもしれない。だけど、それだけで納得はできない。


 アリスはまっすぐにジャイール王を見据え、はっきりと自分の意思を伝えた。


 ジャイール王は彼女の想いを受け止めるように深く肯いた後、口を開いた。



「余はアリスの考えを支持しよう。そしてブラッディ家が神饌の儀に参加する権利を復活させる」


「へ、陛下――!」


「さっきも言ったが、余は『神の許しが確認できるまでは、神饌の儀への参加を見送るのが妥当』と言ったのだ。枢機卿よ、神はお怒りになっていると思うか?」


「いいえ、陛下。むしろ女神様はお喜びになっておられるかと」


 枢機卿はおごそかに首を横に振って否定した後、穏やかに微笑んだ。


 その言葉を聞いて、アリスも嬉しくなって笑みを浮かべた。これでようやく、目的へと近づけた。アリスは胸の前で両手を組み、祈りを捧げた。



(どうか、女神様。私たちを見守っていて下さい)


 だがアリスが用意した策はこれで終わりではない。



「公爵家の皆様方。今回、我がブラッディ家が開発した瓶詰による長期保存ですが……もし当家が神饌の儀への参加をお許しくださるのならば、こちらの保存方法についても公開いたします」


「なっ、なんだと……!?」


「この保存方法は、従来の方法よりも遥かに良い状態での保存が可能になります」


「ふむ、そうなると我がソルティ家の塩が不要になるのか?」


「いいえ、より長期の保存を可能とするには塩は必須です。むしろ需要は増えるかと」


「なるほど……。それは良いことを聞いた」


「我がグルテン家の穀物も応用できるのか!?」


「穀物酢を使った、酢漬けという方法があります。これは野菜などの保存にとても適しておりまして――」


「マール家は!? 魚も肉と同じ方法で保存ができるのであろうな!?」


 王の御前であるというのに、アリスを取り囲むように公爵家当主たちが押し寄せ、一気に色めき立った。


 腸詰のスープを味わってしまった彼らは、すでに瓶詰の魅力に取りつかれていたのだ。


 そんな中、ミード公爵だけは苦虫を噛み潰すように顔を歪め、アリスを睨んでいた。



「……まさかここまでやるとは思わなかったぞ、アリス=ブラッディ」


「あら? それは褒めて下さっていると解釈してもよろしいですか?」


 アリスは小悪魔のような笑みを浮かべて、ミード公爵の視線を受け止めた。


 瓶詰の方法を公開することは、五大公爵たちが反対してきた際の保険にするつもりだったのだが……想像以上に効果はてき面だったようだ。



「ふん。今回は儂の負けを認めてやる。だが神饌の儀では、そう上手くいくと思わないことだ」


 ミード公爵はそう捨て台詞を吐くと、きびすを返してアリスの前から離れていった。


 老獪ろうかい、という言葉はこの人のためにあるのだろうな。アリスは背中に嫌な汗をかきながら、ホッと息をついた。



「良かったな、アリス。これで一安心だ」


「そうね……でもわたくし以上に賢いミード公爵だからこそ、利益と損失を正しく天秤にかけてくれると信じていたわ」


 ここで瓶詰法の知識が手に入らなければ、他の公爵家に後れを取る。


 ブラッディ公爵家のみを蹴落とすか、他の公爵家に後れを取るか。どちらがミード公爵にとって不利かを考えれば、ブラッディ家の参加を認める方がまだマシだった。



 もちろん、密偵を送って瓶詰の方法を知ることはできるだろう。


 だが知るはずのないミード公爵家で瓶詰を利用すればすぐさまバレるし、そうなれば周囲から恥知らずの烙印を押され、評判はガタ落ちだ。そんな愚行はできない。


 結果、アリスは賭けに勝った。相手の賢さを利用し、参加権をもぎ取ったのだ。



「ところでアリスよ。このスープに名はあるのか?」


 瓶詰の話で賑わっていたところで、不意にジャイール王がそんなことを尋ねてきた。


 アリスは一瞬きょとんとした表情になったが、すぐに満面の笑みで答えた。



「はい。この料理につけた名前は――『メアリーズ・スープ母の温もり』です」

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