第10話 月下の二人と天啓


「ヴェスター!? どうしたのこんな時間に……」


「どうしても何もないよ。君のことが心配で来たに決まっているじゃないか」


 彼はいつも通りの穏やかな笑みを浮かべながら部屋に入ってくると、ベッド近くの椅子に腰掛けた。



「アリスと僕はもう一蓮托生だろう? 困っているなら力になりたいんだ」


 ヴェスターの言葉には嘘偽りがない。


 それは長年の付き合いであるアリスが一番よく知っていた。彼は本心から自分のことを気にかけてくれている。



「ありがとうヴェスター」


「うん」


 アリスは照れくさくなり、プイッと顔を背けた。だがすぐに向き直ると、彼に質問を投げかける。



「ねぇ、ヴェスター。さっきの話だけど……やっぱりブラッディ家が神饌しんせんの儀に参加するのは難しいのかな……」


 ブラッディ家の参加権剥奪の知らせを受けたのはつい先ほど。


 当然、アリスは納得できなかった。しかし父親に交渉を任せると言った以上、自分は何もできない。それがまた悔しかった。


 ヴェスターはアリスの問いに対し、静かに答えた。



「諦めることはないさ。まだ可能性はあるはずだ」


「でもミード家は大物なんでしょう? 王家も無碍にはできないっていうし……」


 段々と言葉が小さくなっていくアリス。


 そんな彼女の手に、ヴェスターは自分の手を重ねた。アリスの手は冷え切っていたが、彼の大きな手でじんわりと温まっていく。



「ヴェスター? どうしたの急に……」


「ん? 君が元気になるようにと思って」


「……もう、バカ」


 アリスは頬を赤く染め、恥ずかしそうにうつむいた。だが、握られた手を振り払うことはしなかった。



 それから二人は他愛のない話をした。

 アリスは女神から得た知識を話し、ヴェスターは昔の思い出話を語る。


 そんな時間はとても楽しく、あっという間に過ぎていった。



「少しは落ち着いたか?」


「えぇ、ヴェスターのおかげよ。ありがとう」


 気が付けば夜は更け、日付も変わっていた。


 今日は色々とありすぎて体は疲れていたが、アリスの心は随分と軽くなった。



「それじゃあ、そろそろおいとましようかな。あまり遅くまで女性の部屋に留まっていると、ジェリック父さんにどやされる」


「ふふっ、そうね。……ねぇ、ヴェスター。これからも私の夢に付き合ってくれる?」


 やっぱり諦めきれない。だからもう一度だけ、彼に頼んでみた。


 すると彼は優しく微笑みながら頷いた。



「もちろん、約束は守るとも。メアリー母さんから『ブラッディ公爵家としての誇りを常に忘れずに』って育ったからね」


 アリスの肩をポンポンと叩き、ヴェスターは立ち上がる。そしてゆっくりと扉に向かって歩き出した。


 やっぱりヴェスターは心強いなぁ、としみじみと思ったところで、アリスは「あれ?」となにかが脳裏をよぎった。



「――ちょっと待って、ヴェスター」


「え?」


 アリスは不意に呼び止めると、扉に手をかけた彼の背中に飛びついた。



「ちょ、アリス! どうしたんだいきなり!」


「今、なんて言ったの?」


 アリスはヴェスターの背中を掴んだまま問いかける。


 その声色は普段よりも少しだけ低く、真剣味を帯びていた。



「なにって、約束は守るって――」


「そっちじゃないわ! メアリーが言っていたことの方よ!」


「母さんが? 口癖のように『公爵家の誇りを忘れるな』って叱られたことか?」


 それがなにか、という前にアリスは確信を得た。



「やっぱりメアリーは最高のお母様だわ! もちろんヴェスター、貴方もよ!」


 つい先ほどまで涙を流すほど落ち込んでいたはずなのに、アリスは満面の笑顔でヴェスターに抱き着いていた。



「えっと、どういうことなんだアリス……?」


「すべてをひっくり返す秘策を思いついたの! でも説明はあとにするわ。忙しくなるから、ヴェスターも早く寝なさい!」


 アリスはそう言って、ヴェスターの背中をグイグイ押して部屋から追い出してしまった。



「な、なんなんだ……?」


 廊下に放り出されたヴェスターは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。



「だけど……いつものアリスに戻ったみたいだな」


 一時は落ち込んでいたが、あの元気さこそがアリスだ。


 消えていく背中の温もりを少し寂しく思いながら、ヴェスターは自分の部屋へと戻っていった。





 そうして一か月が経ち。


 予告通り、王城の謁見の間にてブラッディ家の審問が行われた。



「皆の者。良く集まってくれた」


 数段高い玉座から、ジャイール国王は臣下たちを見下ろした。年齢は五十代ほどで、あごには立派な髭を蓄えている。


 集まったのはブラッディ公爵を始めとした五大公爵たち。そして宰相と教会の枢機卿が出席していた。誰もがこの国における重鎮といえる。



「して、今回ブラッディ領で起きた『神罰』についてなのだが」


 王の言葉に、自然と皆の視線がブラッディ公爵家当主であるジェリックへと集まった。


 普段は狂暴なモンスター相手に物怖じしないジェリックも、今日ばかりはその鍛え上げた大きな体を小さくしていた。


 そして宰相から事件の顛末てんまつが説明されたのち、最終決定を王の口から下された。



「ミード公爵から『神罰』を下された者が神聖な『神饌の儀』に出るのは、いささか不適切だという意見が出てな」


 今回の一件はおそらく、ミード家の当主が仕組んだことだ。その証拠に、隣に並ぶミード公爵の顔が愉悦に歪んでいる。


 ミード公爵は齢八十を過ぎても現役で、この場にいる中で最年長だ。腰は折れ曲がり、四肢は枯木のように細くしわだらけ。杖が無ければ立っていることもままならない。


 なのに体から溢れ出るオーラは昔から微塵も衰えていない。それどころか年々、その頭脳の鋭さは増しているようにも思える。



「余も枢機卿との相談の上、神の許しが確認できるまでは、参加を見送るのが妥当と判断した。宰相、そして他の公爵家もそれでよいな?」


 ジェリックは目を伏せたまま、歯を食いしばる。


 神の許しとはいうが、具体的にいつまでという期限はない。要するに工場の安全性が認められるか、罪をくつがえすほどの功績を示すしかない。


 だがどちらも一朝一夕では達成できないことを、この場にいる誰もが理解していた。



(すまぬ、アリス……俺の力では決定を覆すことはできなかったようだ……)


 王は順々に顔を見て、最後に残ったミード公爵へと視線を向けた。



「お主もそれで構わんな? ミードよ」


「はい。私も異論はございません。神がお許しになるまで、腸詰などという食品は世に出すべきではないでしょう」


 うやうやしく頭を下げるミード公爵。その瞳には強い野心の炎が宿っていた。



 こうしてブラッディ公爵家への『神罰』は決定した。


 だが、これは始まりに過ぎなかった。

 ブラッディ家の運命が大きく変わる出来事は、ここから幕を開けることになる。



 今回の審問は終わり。張りつめていた空気が弛緩した。これでお開きとなると思っていたところで、王が頬杖をつきながら「そういえば」と前置きをしてから話し始めた。



「此度の件はブラッディ家に『神罰』が下ったが、その後の一か月でどうなったか――誰か知っている者はおるか?」

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