第9話 公爵家を襲う影
ガラス工房での成功を収めたところへの急報。それは『
「お父様! これはいったい、どういうことなのですか!」
急遽ブラッディ家へと帰還したアリスは、執務室にいる父ジェリックの元へと駆けこんだ。
「アリス。ノックくらいはしなさい」
「今はそれどころじゃありませんわ。早く理由を教えてください」
ジェリックは珍しく執務用の席に座り、難しい表情を浮かべていた。
アリスは有無を言わさず、工房で兄から渡されたモンスター皮紙を父の前に突き出した。
そこには【神饌の儀における、ブラッディ公爵家の参加資格に関する審問を来月、王城にて行う】と、たった一行の文章が記されていた。
「我が家が神饌の儀に出られないとは、いったいどういうことなのですか!」
「少し落ち着けアリス。まだ不参加が確定したわけではない」
「落ち着いてなんていられませんわ! これではせっかく、ここまで頑張ってきた意味がありません!」
アリスは悔しそうに歯噛みする。しかしいくら
「アリス。お前は一度部屋に戻り、大人しくしていろ。私が何とか交渉してみる」
「ダメです! 私は諦めたくありません!」
「いい加減にしなさい! お前ももう子供ではないのだぞ!」
初めて聞く父親の怒号に、アリスはビクッと体を震わせた。
「やめるんだ、アリス。ここは一旦、ジェリック父さんに任せよう。公爵同士のやり取りに口を挟むと、余計に
「ヴェスター、でも……」
アリスは自分の腕を掴んできた幼馴染に振り返る。彼の顔は青ざめており、唇を強く噛んでいた。きっと彼も悔しいのだろう。それでもアリスを
その優しさに胸が熱くなるのを感じつつ、アリスは彼の手を握り返した。
「わ、かったわ……お父様も、取り乱して……申し訳ございません」
アリスは
「……アリス」
「少し、一人にさせてください……」
扉がパタンと力なく閉じられると、執務室の空気が一気に重くなった。
「すまない、怒鳴ったりして。だが俺もどうにかしたいのは本心なんだ。分かってくれヴェスター……」
「いえ、僕の方こそ……すみませんでした。アリスもきっとそれは分かっていると思います……」
ヴェスターはそう言って、ゆっくりと首を横に振った。
「だが、これはいよいよまずいな。ここまで大々的にうちを潰そうと動いてくるとは」
「やはり、ミード公爵家が問題でしょうか」
「ああ、間違いなくそうだろう。だが他の公爵家もミード家を支持せざるを得ない」
同じ五大公爵といえど、そのパワーバランスは大きく異なっている。
穀物のグルテン家や塩のソルティ家は、人々が生きる上で必須な食材を産出するので、最重要視されている。
そして二家に次ぐ勢力を持つのが蜂蜜のミード家だ。甘味は貴重で、王侯貴族は誰もが好んでいる。神饌の儀でも、ここ数年は連続してミード公爵家が選ばれているほど。
「ミードのクソジジイは野心家だからなぁ。グルテン家やソルティ家と並ぼうと躍起になってやがる」
「なにかにつけて、我が家をライバル視していましたからね。僕も最初はあの家の妨害で『神罰』が起きたと思っていましたから」
「実際にそれをやりかねぇんだよな。狡猾っつーか、俺はどうも昔から苦手なんだ。とても八十歳を超えたジジイとは思えねぇ恐ろしさだよ」
体はスケルトンのようなガリガリなのに、脳は一切衰えていないバケモノを思い返し、ジェリックは苦笑いを浮かべた。
「まぁいい。とりあえず俺は王家の説得に専念する。ヴェスターはアリスを励ましてやってくれ」
「はい。分かりました」
ヴェスターはアリスの部屋へと向かうべく、
その背中にジェリックの声がかかる。
「お前には苦労ばかり掛けてすまないな……だが、どうかあの子を頼む」
その言葉に、ヴェスターは力強く首肯した。
「えぇ。彼女は僕にとって大事な人ですから。任せてください」
そういって部屋を出ていった。
「大事な人、か。ヴェスターが貴族生まれだったら、アリスの良い伴侶になったんだがなぁ」
それはまるで独り言のように、小さな呟きだった。
アリスはベッドの上で膝を抱えながら、窓の外を眺めていた。
すっかり夜の
「これまで頑張ったことは無駄だったのかしら……?」
せっかくの異世界知識も権力相手には無力。
簡易的な細菌兵器を使ってミード家にテロを起こすことは可能だが、そんなことをした日にはそれこそ本物の『天罰』が下ることだろう。女神の意思に反することはできない。
「また、私は何もできない女に逆戻りね……」
ふと昔のことを思い出す。幼い頃は今と違って気が弱く、病気がちだった。
モンスターが怖くて眠れず、熱を出してメアリーに添い寝をしてもらったこともある。
母の温もりは知らないが、代わりに彼女がいつも傍にいてくれた。辛いときは慰めてくれて、楽しいときには一緒に笑ってくれた。
その人は今、修道院でどんな辛い生活を送っているのだろうか。
「私だって、こんな形で終わりたくないのに……!」
悔しさに涙が滲む。
アリスは拳でゴシゴシと目元を擦るも、次から次へと感情の証がこぼれ落ちる。
その時、コンコンと控えめに部屋のドアがノックされた。
こんな時間に誰だろう? と不思議に思いながらも、「はい」と短く返事をした。
ギィと音を立てて開いた先に立っていたのは――。
「こんばんわ、アリス」
驚いて視線を向けると、そこには見慣れた幼馴染の姿があった。
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