第8話 アリス流、交渉術


「アタシも旦那を亡くしてから五年、この工房と従業員を守るために奮闘してきたんだ」


 工房の主であるエメルダは、貴族に対しても一切ひるまない。


 委縮することなく、しっかりとアリスの目を見て話を続けた。



「現在のブラッディ家に瓶をおろしたとするよ。それで万が一、また『神罰』が下ったら? うちの工房が関与していたことが知れ渡ったら?」


 前回はブラッディ家の保存肉工場から直接的に民へと振舞った。だから工場とブラッディ家が非難されるだけで済んだと言えるだろう。


 だがガラス瓶を用いて再び『食中毒』が起きたら、彼女の工房にも疑惑の目が向くに違いない。


 エメルダも自身の工房や従業員を守るため、身を切る思いで首を横に振るしかなかった。



「たしかに、貴女の気持ちはよく分かるわ。だけど、これはブラッディ家だけでなく、この国の未来を左右する問題なの。……それに、なにも確証なく貴女にリスクを負わせたりなんかしないわ」


「……それはどういう意味だい」


 アリスは懐から一枚のモンスター皮紙を取り出し、机の上に置いた。



「契約書……ではなさそうだね。絵、かい?」


「試作品として、まずは十個。この絵の通りに作ってほしいの。そして実際に十日保存したものを――わたくしが実際に、貴女の目の前で食べてみせるわ」


「おい、アリス! それは本気なのか!?」


 アリスの言葉に、エメルダとヴェスターは大きく目を見開いた。


 それはそうだ。なにせ彼女は公爵令嬢なのだから。自分の命をチップに賭けをするなんて、普通の貴族令嬢ならありえない。


 それでもアリスが真剣な表情をしている以上、彼女が冗談を言っているわけではないことは明白だ。


 エメルダは少しの間思案したあと、ゆっくりと口を開いた。



「分かりました。そこまで言うのならば、私も腹をくくりましょう。レディ、アリス」


 エメルダから、それまでの荒々しい職人の言葉遣いは消えた。そして貴族に対する礼を取る。


 ただの自由気ままなお嬢様ではなく、一人の淑女として。そして同じ誰かを守る立場である者として最大限の礼なのだろう。



「ありがとう、エメルダ。ではさっそく、試作品を作るわよ」


 心強い協力者を得たアリスは、意気揚々と作業場へと向かうのであった。




 それから十日後。

 二人は約束通り、ガラス工房前の広場にて試食会を行うことになった。


 不正が無いようにエメルダの自宅に保管されていた瓶を用意されたテーブルの上に並べていく。



「うっ、ぐぬぬぬ……」


「開かないのか? 貸してみろ」


 アリスが瓶の開封を試みるが、彼女の力では回すタイプの蓋が開かなかった。だがこの固さは、瓶内部の空気が抜かれている証拠である。



(とはいえ、改善の余地はあるわね。家庭用なら、主婦でも開けられる金具留め式にしようかしら)


 そんなことを考えつつ、アリスは慎重に小皿へと移し替えた。



「本当にアリスが食べるのか? なんなら僕が……」


 ヴェスターはアリスを止めようとしたが、彼女は首を左右に振りながらそれを拒否した。


 そしてナイフを手に取ると、まずは腸詰を一つ口に含んだ。



「んんっ~!」


「おい、大丈夫かアリス!? 変な味がしたなら、すぐに吐き出すんだぞ?」


 パリっとした食感のあとに、溢れ出る肉汁。噛めば噛むほどに旨味が染み出してきて、舌の上で踊る。


 だが、まだだ。アリスは目を閉じ、じっくりと咀嚼して飲み込んだ。



 続いて二つ目の瓶に入っていた腸詰を口に入れる。先ほどと同等の味覚が口の中いっぱいに広がっていく。



「美味しい……!」


 思わず声に出してしまうほどに、素晴らしい出来栄えだった。



「あぁ、なんて美味しいのでしょう……! こんなに美味しい食事は初めて食べたわ……!」


「ほ、本当か!? 無理はしていないか!?」


 ヴェスターは心配そうに声をかけるが、アリスは嬉しそうに頬に手を当てて何度も首を縦に振った。



「大丈夫よ! むしろ今までで一番美味しいわ!」


「ほ、本当か!? じゃあ僕もひと口だけ……!」


「別に無理しなくてもいいのよ? あっ! ちょっと!」


 止める間もなく、ヴェスターが腸詰めを摘まんで口に放り込む。


 そして――。



「こ、これは……!」


 ヴェスターは幸せそうな笑顔を浮かべたあと、皿に乗っていた残りの腸詰を全部平らげてしまった。


 そのあと、残りの八個の瓶も次々と開封。途中からエメルダや外野で見ていた職人たちも混ざって、試食会は賑やかさを増していく。


 誰が持ち出したのかは分からないが、エールを持ち出すものまで現れ、大宴会となってしまった。



 そんな中、アリスは酒も飲まず、一人黙々と瓶と内容物の観察を続けていた。


 まるで何かに取り憑かれたかのように、ひたすら腸詰を食べ続けるアリス。その姿は異様であったが、誰ひとりとして彼女をとがめるものはいなかった。


 なぜなら、誰もが彼女の表情のそれは、職人と全く同じだったから。



「味、匂い、見た目。そして食感。官能検査としては合格点、かしら。あとは細菌検査と理化学検査だけど……それらは今後の課題ね」


 アリスの脳内にはまだまだやるべきことがある。


 工場の衛生管理から食品の安全管理。法整備や国全体への周知方法などなど。


 『賞味期限』の導入には壁がいくつもあるが……今回はその一つをクリアできたと言っていいだろう。




 結局、日が暮れるまで宴会は続いた。


 アリスは全ての瓶詰を試食し終えると、ヴェスターと共にエメルダへ深く頭を下げた。



「エメルダ、ごちそうさまでした。瓶の品質は文句なしだわ」


「僕たちの領にこんな素晴らしい技術があることを、誇りに思います」


「ぷはーっ! 礼を言いたいのはこっちさ! アタシの工房がこんな美味しいものに関われるなんて、職人冥利に尽きるじゃないか!」


 腸詰と一緒に入っていた水まで飲み干しながら、エメルダは満足げに息を吐いた。



「まさか、十日も経ったメシがこれほど美味しいとは思わなかったよ!」


「ふふっ、どういたしまして。こちらこそ、貴重な体験をさせていただきました」


 アリスとエメルダは向かい合い、にっこりと微笑んだ。



「アリス様。それにヴェスター様。今回の依頼、この工房の総力を挙げて取り組ませて頂きます」


「エメルダ……。えぇ、よろしくお願いします」


 こうして、二人は固い握手を交わしたのであった。



「ねぇ、アリス様。こんなことを言うのは失礼だけど……急にどうしちまったんだい? 今までのアンタは、公爵様と一緒に野山を駆け回るようなお転婆娘だったじゃないか。こんな知識、いったいどこで――」


「え、と。それは……」


 ヴェスターがこれまで敢えて聞かなかったこと。それをエメルダは躊躇ちゅうちょなく踏み込んできた。


 だがアリスが答える前に、工房に突入してくる者がいた。



「た、大変だアリス!」


「お兄様? どうしたのですか、そんなに慌てて」


 血相を変えて工房へと入ってきたのは、アリスの兄であるアルバートであった。


 彼は肩で大きく呼吸をすると、震える声でこう告げる。



「ブラッディ家が持つ神饌しんせんの儀への参加権が、剥奪されそうなんだ――」

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