第7話 アリスの策と街工房


「『賞味期限』を導入するにあたって、まずは瓶詰を作ろうと思っているの」


 アリスは揺れる馬車の中で、向かいの席に座るヴェスターへ一枚のモンスター皮紙を渡した。



「……これは何の絵だ?」


「だから、瓶詰よ。見れば分かるでしょう?」


「いや……うん、そうだな」


 アリスはドヤ顔と胸反りのセットで、戸惑うヴェスターに説明を始めた。


 ちなみにだがアリスに絵心はない。

 描いてあるのも、細長い何かにステーキらしき肉片が入っているという図だった。


 ヴェスターは幼女時代からまったく進歩していないなぁ、と思いつつもその拙いイラストから彼女の真意を汲み取った。



「瓶詰……その汚いイラストと併せて察するに、ガラスの瓶に食べ物を収納するのか?」


「汚いっ!? 絵なんて伝われば何でもいいのよ! ――と、ともかく。瓶に入れるのは、ただ収納することが目的じゃないわよ。収納したあとに、密閉。そして湯煎で加熱処理をするの」


「……その工程を加える意味は?」


 アリスはペンを持ち、更に炎の絵を付け加えていく。

 馬車が揺れるせいでさらに絵は酷さを増していくのだが――。



「以前、ヴェスターに『神罰』は食中毒だって教えたと思うけど。そもそもどうして食中毒が起きると思う? あぁ、ちなみに女神様への信仰心がどうこうは抜きにしてね」


「食中毒の原因? うぅん、なんだろうな……」


 いきなり質問され、腕を組んで悩むヴェスター。

 女神に対する信仰心は関係ない。そう言われても、いまいちピンとこなかったからだ。


 ならばなぜ、と頭を回転させ一つの結論を導き出す。

 それは――。



「ふむ……まるで魔法のように食べ物が毒へと変わる、と言っていたよな。もしや何者かが起こした、人為的なもの……なのか?」


「んー。良い線だけど、ちょっと惜しいわね」


 アリスは首を横に振り、今度は顔と手足つきにデフォルメされた病原菌の絵を描き加えた。



「細菌……っていっても通じないでしょうね。食べ物にはとても小さなモンスターが付着して悪さをしている――そんなイメージをしてくれればいいわ」


「それは目に見えないほど小さいのか? 火を通すことで、そのモンスターを殺せると?」


「そう。ヴェスターがわたくしの誕生日会で『食中毒』にならなかったのも、貴方が生食を嫌う習慣があったからよ」


 また突拍子もない話が出てきたな、とヴェスターは思いつつも否定はしなかった。たしかに自分は食べる直前に何でも加熱してから食べる癖があったからだ。


 悪魔憑きではないが、妄想にしては随分と説得力のあることばかり言うようになった。


 理由は分からない。いや、一つあるとすれば『神罰』事件なのだが、それで賢くなった人間が現れたという話は聞いたことがない。


 そんな馬鹿な、というのは簡単だが。今のヴェスターにとって、僅かな希望でも縋りたい心情なのだ。


 アリスはフフフンと満足げな表情を浮かべると、さらに続けた。



「完全に殺すことはできないけど、その効果は絶大よ。保存できる期間が数日から数週間、肉でなければ半年近くにまで伸びるわ。それも、ちゃんと水分のある状態で」


「なっ、半年だって!?」


 思わず立ち上がり、目を見開くヴェスター。


 この世界での保存方法といえば、塩漬けや燻製が主流だ。王国軍御用達の保存食ではあるのだが、しかも限界まで水分を抜くので肉の繊維がカチカチに固まっていて、お世辞にも美味しいシロモノとはいえない。


 だから王侯貴族でさえも、新鮮な肉はかなりの贅沢品。

 毎日のように肉を食べているブラッディ公爵家は、国王から羨望の眼差しを向けられているほどだ。


 貴族でそうなのだから、民間では保存という概念があるかさえ怪しい。精々が食品を早く消費するぐらいしか手段はなく、悪くなったものを口にして腹を下す者が多い。


 そんな環境の中で、半年も保存できるなんてまさに神の奇跡だ。冷静沈着なヴェスターがここまで驚くのも当然だろう。



「もちろん、安全性を検証する必要性はあるわ。でもこれなら新作の腸詰も、長期の保存ができるようになるはずよ。そして食品の寿命である『賞味期限』を瓶に書いておくことで、いつまでなら安全に食べられるかが一目瞭然になるわ」


「にわかには信じられないが……たしかにそれが実現すれば、消費者も安心して購入してくれるようになるな」


「でしょう。ちゃんとした知識を広めることで、この世界から『神罰』といった間違った認識を人々の頭から駆逐するの」


 何でもかんでも女神様に委ねるのは、人類の自立を妨げる行為。それこそ、女神様に対する無礼じゃない? とアリスは言い切った。



 話をひと通り聞いて、ヴェスターは感嘆のため息を漏らした。


 たしかに『神罰』という誤解をなくし、正しい知識を広められたら。人々はもっと気軽に食事を楽しめるかもしれない。そんな世界がくればいいな、とさえ夢を描いてしまうほどに。



「それにしても、アリスはすごいな」


「なにが?」


「いくら勉強をしても、僕はそこまで考えが至らなかった。やはり君は、この国の未来に必要な存在だ」


「ヴェスター……」


 真っ直ぐな瞳で見つめてくるヴェスターに、アリスは頬を赤らめて視線を逸らした。



「そ、そんな褒めたって何も出ないわよ。ただの付け焼き刃だし……私はただ、メアリーを真似て振舞っているだけよ」


「メアリー母さんのように?」


 アリスの言葉にヴェスターは首を傾げた。



「えぇ、そうよ。あの人は誰よりも優しくて、そして強い人だった。私が男だったら、きっと惚れていたと思うわ」


「はははっ、確かにメアリー母さんは素敵だ。だけど、君も十分魅力的な女性だと思うぞ」


 ヴェスターの言葉を聞いた瞬間、アリスの顔がボンッ! と爆発的に真っ赤に染まった。


「ちょっ、何を言っているのよ!? わ、私は真面目に言っているんだからね!」


「えっ!? す、すまない。変なこと言ってしまって」


「あっ……いえ。こちらこそごめんなさい」


 お互いに顔を赤くし、気まずい雰囲気が流れる。


 するとタイミングよく、馬車が目的地に到着した。



「着いたみたいだな」


「えぇ。今日はこれから、ガラス瓶の製造をしている町工場に試作の依頼をするわよ」


「大丈夫なのか? また断られるんじゃないか?」


 ヴェスターは不安げに眉を下げた。


 これまで彼は資金援助のためにあちこちを駆け回っていた。だが斜陽の貴族に金を出そうという物好きはいなかった。



わたくしに任せて。それに今回は向こうにとっても、美味しい話なんだから」


 アリスはヴェスターを連れて、町の外れにあるガラス工房を訪れた。石造りの建物に入った瞬間、肌を焼くような熱風が二人を襲う。



「あら、アリス様。いらっしゃい」


「こんにちは、エメルダ。お邪魔するわよ」


 出迎えてくれたのは、三十代前半の女性だった。


 ウェーブのかかった茶髪に、涙ボクロ。そして何より特徴的なのは、頭頂部に生えた猫耳。そう、彼女は獣人族――つまり亜人と呼ばれる種族だった。



「やぁ、アリスお嬢様。会いたいって手紙は受け取ったけど、本日はどのような御用件だい?」


「えっと、実は――」


 アリスはエメルダの前に立つと、事情を説明した。



「なるほど。腸詰を収納するための瓶、それも熱に強い品を……かい」


「えぇ。それも蓋つきなのだけれど……可能かしら?」


「そりゃあ、もちろんだよ。うちの職人は熟練者揃い。普段使いのコップから工芸品まで、なんでも作れるよ。耐熱に関しても、モンスター素材を使うことで可能だろうね」


 女性二人が話している隣で、ヴェスターは彼女の頭上に生えているネコミミに注目をした。


 この国において、亜人の数は圧倒的に少ない。それは差別的な意味ではなく、単純に数が少ないのだ。


 その理由は、彼らが他の人間に比べて身体能力が優れているからである。


 たとえば筋力ひとつをとっても、普通の人間の二倍から三倍の力を持っている。だからモンスター狩りのような危険な仕事に従事する者がほとんどで、彼らは冒険者や兵士として活躍している。


 目の前にいる女性は、そんな亜人たちの中でも数少ない生産職に就いている者たちの一人なのだろう。


「だけどお嬢様。申し訳ないけど、今回の件はお断りさせてもらうよ」

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