第6話 まずは第一歩、そしてぎこちない二人


 アリスの誕生日祝いからちょうど七日後。


 王都から派遣された治療魔法使いの手により、ブラッディ家の当主、ジェリック=ブラッディはようやく目を覚ました。



「そう、か。俺たちが寝ている間にそんなことが……」


 娘のアリスから事情を聞いたジェリックは、彼にしては珍しく悲壮な顔でそう呟いた。


 ちなみに彼の頬には紅葉もみじ色の手形がついている。寝起き早々、日課のトレーニングに向かおうとした父にアリスがビンタをしたのだ。


 ちなみに兄であるアルバートも隣のベッドで父と同じ顔をしていた。左頬に紅葉があるのも同様だ。



「すまない、アリス。そしてヴェスター。お前たちには大変な苦労を掛けたな……」


「兄であり、次期当主である俺からも謝罪させてくれ。申し訳ない」


 ベッドの上で同時に頭を下げる二人。

 アリスは隣に立つヴェスターを横目で見ると、ジッと目を伏せていた。


 彼も複雑な心境なのだろう。メアリーが母であるならば、ジェリックは父なのだから。


 当主なのに政務をやらないことに文句を言いながらも、内心では尊敬の念を持っていたことをアリスは知っている。だから怒るに怒れないのだ。



「……謝罪は受け取りました。ですが、このままではブラッディ家は取り潰しとなってしまいます。お目覚め早々で申し訳ないのですが、お二方にも協力をお願いしたい」


 拳を握りしめながら、言葉を選ぶようにヴェスターはジェリックたちに頭を下げた。


 たしかに今は喧嘩をしている場合じゃないし、一刻も早くメアリーを連れ戻さなければならない。そのためには自分の感情をも押し殺す。それができるのがヴェスターという男だった。


 そんな彼の様子を見たアリスも、長い金色の髪が床に着くまで深々と頭を下げた。



「お父様、お兄様。わたくしからもお願いです。どうか、我が家の恩人を取り戻すため、お力を貸してください。わたくし……二度もお母様を失いたくないっ」


 ポタリ、と床の赤い絨毯に黒いシミが生まれた。



「アリス……」


 気丈で男勝りな娘が、言葉遣いを改め、さらには涙を流している。


 ジェリックは息子のアルバートと顔を見合わせて、頷いた。



「もちろんだ、我が愛しき娘よ。そして我が息子ヴェスター、お前もだ。ブラッディ公爵家当主として、できることはすべてやろうじゃないか」


「メアリーは俺にとっても母さんだ。もちろん、全力を尽くすよ」


「お父様、お兄様……」


 涙を拭い、いつも通りの強い眼差しを取り戻したアリス。その瞳にはもう悲しみの色は無かった。



(良かった……。これでやっと、僕たちはみんなで前に進める)


 ホッとした表情で胸を撫で下ろすヴェスター。

 その脳裏には、孤独だった過去の光景が浮かんでいた。



(僕は実親の顔も分からない。だけどこの家に拾われて本当に良かったし、感謝もしている。『神罰』なんかで、僕の大切な家族を奪われてたまるもんか)


 家族全員で協力して、必ずこの窮地を乗り越えてみせる。



(それにしてもアリス……死にかけてから、だいぶ雰囲気が変わったな)


 ヴェスターにとってアリスとは、一歳年下の世話のかかる妹という印象だった。


 公爵令嬢なのに淑女らしくなく、男の子のように活発な女性。社交界にも顔を出さずに、幼い頃から父たちと一緒にブラッディ領を駆け回っていた。


 屋敷の中でずっと書物を読んでいた自分とは正反対の性格だ。



 そしてそれは大人になっても変わらなかった。


 ちまたでは行き遅れで男性同士の恋愛に興味を持つ『貴腐人』と揶揄やゆされていて、ヴェスターはメアリーと共に心配していた。



(自分が貴族生まれだったら、僕が彼女を支えられたんだが――)


 彼女に恋心を抱いていた時期もあったが、自分が孤児だったことを知ってからは、その想いもしまい込んだ。


 公爵令嬢ともあろう女性が、平民である自分との結婚など許されない。それぐらい、賢いヴェスターには分かっている。



 とはいえ今回の件で、本当は年相応の女性らしさもあるのだと、あらためて知ることができた。


 アリスが見せた優しさは、ヴェスターの凍てついた心に温かな火をともしていた。




「ありがとう、アリス。これでようやく一歩、進めたかもしれない」


 執務室に戻るため、廊下を歩くアリスにヴェスターが声を掛けた。


 第一の問題であった資金。

 それを工面するために、ジェリックたちがモンスター狩りでひと稼ぎしてくれると約束してくれたのだ。


 病み上がりを心配する声も上がったのだが、むしろ体を動かした方が早く回復するといって屋敷を飛び出して行ってしまった。



「いいのよ。これからはわたくしたちが頑張る番よ。ヴェスターの頭脳もドンドン借りるつもりだから、これからが本番だと思ってちょうだい」


 笑顔で振り返るアリス。その顔を見て、ヴェスターの心臓が大きく跳ねる。


 まるで太陽のような眩しい笑顔に、彼は目を細めた。



「ああ、任せてくれ。僕で良ければ好きなように使ってくれ」


「えっ、好きなように!?」


「へ?」


「いえ、なんでもないわ」


「…………」


 なんだか妙な雰囲気になってしまったが、二人は共に顔を赤らめたまま、並んで歩き出した。

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