第5話 母を取り戻すために


「一度、きちんと作戦会議をしましょう」


 アリスは父の執務室にヴェスターを呼びだすと、開口一番にそう告げた。


 執務室とはいっても、ほとんどがお飾りで、実際の政務はメアリーやヴェスターが行っていた。


 上座にある立派な机やモンスター革の椅子も普段はメアリーが使っていたし、父が椅子に座っている姿なんて食事のときぐらいしか見たことがない。


 現在は彼女に代わり、アリスが席についている。



「作戦……っていっても、なにか具体的な策があるのか?」


 下座の席にいるヴェスターの表情はかんばしくなく、むしろ不機嫌さを隠そうともしていない。


 それも当然のこと。

 彼は母であるメアリーを修道院から連れ戻す件で、かなり焦っているのだ。



 アリスが目覚めてからさらに三日が経ったが、ブラッディ家を立て直す算段はついていない。


 それどころか当主や次期当主もまだ目覚めず、領内では暗い空気が漂い始めていた。そろそろ王都から治療魔法使いが到着するはずなのだが……。



「まず現状を整理するわよ。わたくしたちは、信頼回復のために動いているわけだけど。それは簡単にできるものではないわよね?」


「ああ、そうだな。他の貴族も、領内の商人さえも資金援助に非協力的だった」


「そこで、どうすれば解決するか考えてみたんだけど――ここはやはり、女神様の威光を借りるしかないと思うの」


 人知を超えた力は神が存在している証明だ、と思うのが人間のさがである。加えてこの世界では女神が魔法をもたらしたことで、民は神が実在していると確信していた。


 そうした女神信仰が生み出したのが、『この世に存在するすべては、女神様からの贈り物』という精神。


 よって食べ物も女神がもたらしたもの――という発想から、たとえ食事で悪いことが起こっても、それは自分の普段の行いが悪いせいだと思い込んでいる。


 事実、神が与えてくれた魔法で治療できてしまうので、さらにその思想が浸透してしまっていた。



「安全で美味しい食品を生み出せるかは、神の御意思にどれだけ従えているかの指標になっているわ」


「今回はそのせいでブラッディ家は没落しかけているわけだけど……裏を返せば、これを利用できるってことか」


 上質な食品を生産し、加工せしめた者は信仰の厚き者として、国や教会から認められていた。五大公爵が尊ばれている、最大の理由がそこにある。



(これは女神様もお認めになっていたこと。私が利用したところで、本物の『神罰』を下される心配もないわ)


 女神としても食事の改善は人口の増加につながるので、その教え自体を否定するつもりは無い。


 動物や植物は彼女が生み出したものなので、間違ってもいない。


 だが信仰心を試すために、無茶をして害のある食べ物を食べようとする人が後を絶たない。何でもかんでも神のおぼしとされては困ると言っていた。



「我がブラッディ家は『神罰』を与えられた、と世間では思われている。この疑惑を払しょくしたいのならば、『忠実な神のしもべである』と認められればいいのよ」


「――そのために、神饌しんせんの儀で選ばれる料理をブラッディ家で用意するってことか」


「さすがはヴェスターね、正解よ」


 年初めにはその年の運勢を占う儀式、神饌の儀が王都の大聖堂で行われている。


 王や教会の枢機卿すうききょうも来席し、天候や病の流行りなどを神にたずねるもので、その際に神に対する御礼として御膳ごぜんを捧げていた。


 さらには儀式では特に優秀だった食事が一つ選ばれる。


 その料理に選ばれることは、食品を扱う者たちにとって大変な栄誉だ。同時に商売の繫盛が確約されるものなので、どの公爵家も料理作りに毎年しのぎを削っていた。



「次に開かれる神饌の儀は半年後。そこで我がブラッディ家の料理が選ばれれば、メアリーを取り戻すことも可能となるわ」


「だが、今の状態ではその神饌の儀すら参加できるかさえ分からないぞ。それに何の対策もせずに工場を再開したとしても、同じことが起こったら今度こそ終わりだ」


 ヴェスターは机の上で指を組みながら、難しい顔を浮かべている。


 彼の懸念はもっともなもの。このまま強行するだけでは何も解決しないどころか、事態が悪化するだけだ。



 しかしアリスには勝算があった。

 それを示すように彼女は胸元に手を当てると、ニッコリと微笑む。



「そのために環境衛生を改善して『賞味期限』を定める必要があるの。でもまずは、お父様たちを起こすところからスタートよ」

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