第4話 女神の願いと聖女(?)の誕生


『聖女とは、社交界で愛の花を咲かせる者ではない。苦難にあらがう者のために戦う、誇り高き女性である』


 王都の大聖堂にある柱は、そのような碑文ひぶんがあるという。


 かつてジャイール王国でモンスターの大量発生が起きた。その際、女神によって異世界から召喚された聖女は、果敢にも自ら剣を持って戦った――そんな逸話から生まれた言葉らしい。


 つまり聖女は物語にあるような、見目麗みめうるわしい女性が王子と恋に落ちる、といったメルヘンな存在ではない。




 ――さかのぼること三日前。

 アリスの誕生日を祝う席で皆が食中毒にかかり、ブラッディ公爵家に『天罰』が下った日のこと。


 生死のさかい彷徨さまよっていたアリスは、神の領域――神域で女神から直々に説明を受けていた。



「あ、あの! お聞きしたいことがあるのですけど!」


「なんでしょう?」


「死に掛けた私の体に異世界人の魂を宿らせて、聖女としてよみがえらせる……って本当なんですか?」


 その質問に、目の前に立つ女神はこくりと首を縦に振る。


 神秘的な輝きを見せる銀髪に、染みひとつない白い肌。整った目鼻に潤いのある唇。そして魅惑的な肢体。同性の目から見ても女神は完璧な美を持っていた。


 隙の無いたたずまいは人を委縮させてしまうものだが、不思議とアリスの心には悪感情が湧かなかった。



 ――女神の見た目はともかく。アリスは今の話に納得ができなかった。


 彼女の話が本当ならば、自分はとっくに死の世界へと旅立っているはずである。なのにこうして呼び止められているというのは、何か理由があるのだろうか。



「実は、こちらの世界に『衛生管理の知識を持つ日本人女性』をお呼びしたのですが、直前でキャンセルされてしまいまして」


「え、キャ、キャンセル……ですか? 女神様のお願いを?」


 どういう理屈かは分からないが、神の話している言語は分かる。心に直接語り掛けているのだろうか、知らない単語でもアリスはきちんと理解できた。


 それゆえに、驚いた。まさか女神の勧誘を断れるほどの胆力を持つ人間がいるなんて。



「その女性は私の世界における衛生環境の酷さに驚き、泣きながら天国行きを懇願してしまいまして」


「は、はぁ……」


 人の世界をバッチイとは、なんとも失礼な話である。異世界のことなどアリスには想像もつかないが、それほどまでに日本という場所は綺麗好きが集まる国なのだろうか。



「はい。それで急遽予定を変更して、貴女の体を借りることにしたんです」


「わ、私の体を!?」


「日本人女性の知識を、アリスさんに移植するのです」


「つまり、私に聖女の代わりを務めろってことですか!? 無理無理、そんな大それたことはできませんってば!」


 前言撤回。さすがに自分にも、できることとできないことがある。アリスは女神に向かって両手を振りながら、全力で拒否した。


 女神もそれは分かっているらしく、苦笑を浮かべながら首を横に振った。



「心配しないでください。私もアリスさんに、そこまで負担をかけようとは思っていませんので」


「よ、良かった……」


 どうやらアリスの言いたいことは伝わったようだ。


 しかし、だからといって諦めるような相手ではなかった。何せ相手は森羅万象をつかさどる、世界唯一の女神様である。



「異世界と同じレベルにしろ、とは言いません。それにアリスさんは生前に言っていたじゃないですか。『私は家で好きなものが食べられたら、他に何も要らない』って。頑張れば美味しい料理が食べられますよ?」


「……」


 なにも問題ありませんよね? といったように首を横にコテンと倒しながらアリスを見つめる女神様。


 思わずアリスは口をつぐんだ。


 たしかに言ったことはある。あれはいつだったか。社交界にも顔を出さず、ブラッディ家のキッチンで摘まみ食いをしていたときに「そんなんだから伴侶が見つからないんだ」と怒るヴェスターに返した際のセリフである。


 しかしそんなくだらない一言を、まさか女神ともあろう御方おかたに知られていたと思うと、さすがのアリスも恥ずかしさが込み上げてくる。



「そ、それはそうですけど……。だけど聖女って、もっとこう、清廉潔白せいれんけっぱくな方を選ぶものなのでは?」


「私もそう思いました。けれど他に適任がいないので、仕方がないのです」


 そう言って、申し訳なさそうに眉を下げる女神。


 いや、そんな顔をされると余計にみじめな気持ちになるのですが――とは言えず。


 結局、女神の提案を断り切れず、アリスは異世界の知識を手に入れた。



「いいですか、アリスさん。貴女の使命は私の世界に『衛生観念』を伝えることです」


 女神は真剣な顔で、まるで教師のように人差し指を立てた。



「『食』は人間の命を支える大事な要素であり、同時に文化を築く上で重要なものです。そして人間は文明を発展させるにつれ、様々な病気と出逢い、戦ってきました。そして病気と戦う上で重要となるのが『衛生観念』です」


 アリスはその話を聞きながら、これまで自分が経験してきたことを思い出していた。


 自国では塩漬けや乾燥といった保存方法をとってはいるが、言ってしまえばそれだけだ。食中毒を防ぐために必要な処置としては、あまりにもお粗末過ぎた。


 今回、自分が死ぬことになった原因なんて、思い当たることが多すぎて頭を抱えてしまいそう。もし現世に戻ったら、一刻も早く父にこのことを伝え、対策を講じなくては。



「この世界の脅威は、モンスターだけではありません。これは聖女を再誕させるほどの、世界の危機であるのです。ましてや、『神罰』だのといって放っておいたら、いずれ人類は滅びてしまいます」


「女神様、もしかして『神罰』が女神への信仰心が足りないからって、自分のせいにされるのが単に嫌なんじゃ……」


「そ、そんなことはありません! 断じて!」


 ここにきて女神に初めて動揺が見えた。

 なんだろう、この女神様……見た目と中身が合っていない気がする。



「と、とにかく! アリスさんの体に宿っている知識は、私が見付けた優秀なものでして、きっと貴女の助けになってくれるはずです!」


「あの、ちょっと女神様? なんだか私の体が薄くなってきたんですが……」


「さぁ、現世へ戻るのです我が聖女よ! 世界を救う為に!」


 そう言うなり女神の体は霧散し、アリスの意識は問答無用で遠のいていった。


 そしてアリスは気付いた時には元のベッドの上で寝ており、目を覚ますと同時に激しい頭痛に襲われた。


 どうやら女神様の話は本当だったようで、彼女は自分の中に新しい記憶を植え付けられたらしい。



「うぅ、酷い目にあった」


 だが、これで退屈だった人生でやりたいことが見つかった。この世界で自分を待ってくれている人たちがいるのだ。


 使命を果たして世に認められれば、諦めかけていたあの夢も叶うかもしれない。


 アリスは痛む頭を手で押さえながら、ゆっくりと起き上がった。



「この世界にも賞味期限を導入するわよ!」




 そうして紆余曲折うよきょくせつがあり。

 アリスはヴェスターと共にメアリーを救うべく、行動を開始したのだが――。



「はぁ? 信用が地の底にある今のブラッディ家に協力しろだって? そんなの無理に決まってるだろ」


 新たなことを始める資金がなく、得た知識も信用してもらえないアリスたちは、協力者を得ることに難儀していた。

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