第3話 母の願いと娘の慟哭


「うそ、でしょう? メアリーが死ぬってどういうことよ!?」


 アリスは生まれてすぐに母を亡くしている。そんな彼女にとって、メアリーは母のような存在だった。


 いつも優しく、たまに厳しい。鍛錬ばかりでロクに子育てをしない父に代わり、しっかりと教育してくれた。



 淑女らしく振舞うことは達成できなかったが、アリスがグレなかったのは彼女のお陰と言っても過言ではない。


 頭脳も優秀で、政務の苦手なブラッディ家を陰から支えてきてくれた女傑でもある。



 そして孤児だったヴェスターを引き取り、自身の息子として育て上げ、己のすべてを叩き込んだ。


 そういう意味では、アリスとヴェスターの二人は血の繋がらない兄妹のようなものである。



「メアリー母さんは今回の責任を取るために、修道院に入ってしまったんだ……。だから僕が、僕が母さんを助けないと……」


「修道院ですって!? どうしてメアリーが!」


 この世界での修道院とは、犯罪者や世俗を捨てた者たちが集まる場所だ。


 清貧と貞潔、服従を是とし、朝から晩まで神に祈り、世間のために労働する。余程の理由がない限り、一度入ってしまうと二度とは帰ってこない。


 メアリーはすでに六十歳を超えている。そんな彼女が修道院での生活に長い間、耐えられるとは思えない。



「母さんからアリス宛にコレを預かった」


「なに? ……手紙?」


 彼から渡されたのはモンスターの皮から作られた羊皮紙だった。

 アリスは綺麗な円柱状に包まれたそれを広げてみる。


 几帳面な彼女らしく、綺麗な文字で書かれている。内容は主に、謝罪と願い。

 勝手に屋敷を出て行ってしまったことや、自分が至らなかったがゆえにブラッディ家に危機をもたらしたこと。


 どうか自分が居なくなっても、ヴェスターや公爵家の面々と協力し、領民を導いてほしいと。


 そして最後には恨み言が淡々と、それでいて力強い筆致でこう書かれていた。



『女神様に不平不満を言えば地獄に落とされると言いますが、覚悟の上で申し上げます。わたくしは貴女様をお恨みいたします。神罰でわたくしから愛しい孫たちを奪ったことを。生き甲斐を失くした今のわたくしにとって、この現状こそ、何よりの地獄でございます』


「メアリー……」


 きっと、メアリー本人が一番悔しかったのだろう。

 こんな形で自分の愛する者たちと別れることになってしまったことが。できることなら、この地で骨を埋めたいはずだったのに。


 だからこそ、身よりも心が引き裂かれる今を地獄だとあらわしたのだ。



 ツゥ、とアリスの頬を涙が伝う。


 この手紙には『女神を恨む』と書いてある。だけどこれは自分自身にも当てはまる話だった。


 これまでの人生を好き勝手に過ごし、無責任な生き方をずっと続けてきた。

 自分がもっとしっかりしていれば、メアリーを修道院に入れることにはならなかったかもしれないのに。


 自身の無力さに、手紙を持つアリスの手に思わず力が入る。



「これで分かっただろう? 僕がブラッディ家を建て直すしかないんだ。だから頼む。アリスは何もせず、大人しくしていてくれないか?」


 ヴェスターはそう言って、アリスに頭を下げた。


 だが彼女から返ってきたのは、否定の言葉だった。



「――それはできないわ」


「アリスはその手紙を見た今もなお、私利私欲のために行動するというのか?」


 鋭い目がアリスを睨む。彼の黒の瞳に自分の姿が映っていた。だけど彼女もひるむわけにはいかない。



わたくしに信用が無いのは分かっているわ。メアリーを取り戻すのに時間がないってことも。でも……でも、メアリーを救えるのはわたくししかいないの」


「アリス……」


 彼女のあらゆる感情の混じった顔を見たヴェスターは、思わず言葉を失くしていた。


 こんなにも悲しみと怒りが入り混じった顔は、見たことがない。

 まるで恐ろしいモンスターを前にしたような、鬼気迫るオーラをまといながらたたずむ幼馴染に、ヴェスターは完全にまれていた。



 いくらチート染みた知識を持っていても、活かせなければただの足の生えた本棚である。


 どんなに強い意志も、行動で示さなければ何の意味もない。



「ヴェスター、わたくしは必ずメアリーを取り返すわよ。そのために己のすべてを懸けて、この世界を変えてみせる。それがわたくしが選んだ使命なんだから――」

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