第114話 海

「しかし、王都に行くのに剣の修理だけが目的じゃ、ちょっとな……」


 一度家に帰って、2人で今後のことを相談する。


「アティアス様は、以前に式典とかで行ったって言っていませんでしたっけ?」

「そうだな。建国記念の式典で行ったよ。あれは5月の初めだから、まだまだ先だな」

「5月といえば、私がゼバーシュに来た頃ですね。……今年は誰か行ってたのですか?」

「いや、今年はゴタゴタがあったからゼバーシュからは行っていない。……必ず行かないといけない訳でもないから」


 その頃、ちょうどゼバーシュではレギウスの毒殺未遂事件などがあって、ゼルム家からは人が出せなかったのだ。

 理由があれば咎められることはないが、それが毎年のことになれば話は変わってくる。


「あとは新年の式典があるくらいだな。それはもっと行かないけれど……」


 寒い時期ということもあって、王都近隣の諸侯は参加するが、ゼバーシュや更に王都から遠いマッキンゼ領から、わざわざ時間をかけて行くことはほとんどなかった。

 なにしろ、新年の式典は各領地でも行われるのだ。どうしても自領が優先となる。


「うーん、ならしばらくは難しそうですね。……しばらく待ちますか?」

「そうだなぁ……」


 アティアスは椅子に座って頭の後ろで手を組んで考える。


「とりあえずお茶淹れてきますね」

「すまないな」

「いえいえー」


 気分を切り替えるために、エミリスは厨房にお茶を淹れに行った。

 急いで修理する必要もないし、どうするかなぁ……と悩んだ。


「はい、どうぞー」

「ありがとう」


 差し出されたお茶を一口飲む。


「……ま、いったん親父に王都行きの話を通しておくか。次に誰か行く機会が来たら、行かせてもらおう」

「はい、承知しました。ではそれまではゼバーシュで?」

「いつまでも待つのも性に合わないからな。近隣を出歩く程度なら構わないだろ。今度は南にでも行ってみるか?」


 アティアスの提案に彼女は地図を思い浮かべる。


「南……ですか。海の方ですよね?」

「そうだ。もうこの時期は泳いだりはできないけどな。ただ、海の近くは美味いものだらけだから、エミーには堪らんだろ?」


 秋も深まるこの時期は、魚も脂が乗って美味しいものが多い。

 それを想像して彼女が涎を飲み込んだ。


「それは魅力的ですねぇ。私、海を見たことないんですよ」

「よし、なら決まりだ。しばらくそっちに行ってみよう。親父には何かあったら書状で伝えてもらうように話しておけば、ゆっくりできる」

「はいっ! 楽しみです」


 ◆


「このゾマリーノはゼバーシュ領では唯一の海に面した街なんだ」


 2人は馬に乗り、ゼバーシュから2日かけてまっすぐ南にあるゾマリーノという港町に着いた。

 この街は交易で栄えていて、他の国の珍しいものを扱っている店も多い。また、船便を活かして、ミニーブル領のダライと同じく、工業も盛んだった。

 ゼバーシュから北にあるトロンが歴史のある街なのと対照的に、ここは比較的新しく活気がある。


 まず馬を預けてから、荷物を手分けして背負って宿に向かっていた。

 アティアスはともかく、エミリスは体の大きさに見合わぬほどの大量の荷物を背負っているが、涼しい顔をしている。もちろん、こっそり魔力で軽くしているのだ。


「栄えてますねー。ゼバーシュとはまた違う感じがします」

「だな。外国の人も多いから、服装も変わってるし」

「ですねー。あ! あの女の人、凄い格好ですねっ」


 エミリスが指差す先には、ほとんど脚全体が露出しているほどのショートパンツ姿の若い女性が歩いていた。


「ゼバーシュでは絶対見かけないよな」

「……アティアス様、ああ言うのも今度着てみてもかまいませんけど?」


 アティアスの顔を覗き込むようにして、彼女が笑う。


「あ、いや。やめてくれ。……俺はどっちかというと……って、これ以上はやめとこう」

「ふふふ、アティアス様の好みは大体把握していますからね」


 宿は海の近くに多く、そちらに向けて歩くと、建物の隙間から海がちらりちらりと見え始める。


「ああっ、あれ海ですよねっ! すごいっ! 向こうが見えませんよっ!」


 初めて見た海にエミリスがはしゃぐ。

 陽が傾き、徐々に海を黄色く染め始めていた。


「ちょっと見ていくか」

「はいっ!」


 港の方に歩くと、目の前に海が広がる。

 波が夕日を反射させ、キラキラと煌めいていた。


「すっごく綺麗ですね……」

「ああ、そうだな」

「前に見た湖も綺麗でしたけど、また違う感じですね……」


 そのまま彼女はしばらく波の音を耳に、海を眺めていた。


「……どうした?」

「あ、いえ。アティアス様と旅をしてなければ、一生見ることもなかったんだろうなって思って」

「そうかもな。……多くの住民は、自分の街から出ることもない。自分がすごく恵まれてるってのを実感するよ」

「私なんて、屋敷から出ることもありませんでしたからね。……こんなに幸せで良いのかなって思うと、ちょっと感動しちゃって」


 感慨に浸る彼女の頭をそっと撫でる。


「それだけ苦労してきたんだ。少しくらい幸せになる権利くらいあるだろ」

「……はい。本当に……心からアティアス様には感謝していますよ」


 笑顔を見せ、涙を指で拭った。


「さ、宿に参りましょう。お腹空きましたしっ」

「だな」


 そうして2人は並んで宿に向かった。


 ◆


「…………まさか、宿が空いてないとはな」

「……すごくがっかりです」


 もう日も沈み、暗くなった海辺に並んで座り、ぼーっと海を眺める。

 昼間はあれほど綺麗だった海は真っ黒になり、どこまでも吸い込まれそうなほどだ。


「……どうする?」

「どうしましょう? 選択肢はありますか?」

「野宿するか、一度帰るか、かな?」

「ですよねぇ。……でもせっかく来たので、せめて夕食は食べたいです」


 顔を見合わせて笑う。

 別に野宿でも構わないし、彼女がいればゼバーシュまで飛んで帰ることもできるのだ。

 地面も真っ暗だが、ゼバーシュの灯りを目指して飛べば辿り着くだろう。


「じゃ、とりあえず食事しながら考えるか」

「賛成っ!」


 2人は立ち上がると、事前に目星をつけていた店に向かって歩き出した。

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