第71話 鉄板

 予定通り、夕方には次の街ダライに着いた。


 昼間はずっと雨だったが、幸い午後には雨が上がってくれた。

 雨の中ですれ違った人達に目立たぬよう、念の為に雨具を着ていた。しかし、幸い多くが馬車であり、アティアス達が濡れていないことを不審がることはなかった。


 ダライはルコルアから北に進路を変え、緩やかな丘陵地帯を越えたところにあった。

 街に入り、まずは宿に向かう。


「この街は、今までと匂いが違いますね……」


 エミリスが周りをきょろきょろしながら呟いた。


「ここはな、鉄工業が盛んなんだ」

「鉄工業?」


 聞きなれない言葉に彼女は聞き直す。


「鉄はわかるだろ? ここはその鉄を作る所と、作られた鉄で色んなものを作ってる工場がいっぱいあるんだ。鉄以外の違う金属も作られてるけどな」

「へー、鉄というと剣とかですか?」


 パッと思いつくものを挙げてみる。


「それもあるけど、例えば釘とかの金具もそうだし、農業する時の道具もそうだよな。鉄が使われてるところなんて、いくらでもある」

「なるほどー。ああいうもの、どこで作ってるのかと思ってましたけど……」

「ゼバーシュ領にもそういう町はあるけど、ここほど大きくはないな」


 宿に着くとまずは荷物を下ろして、部屋に空きがあるか確認する。

 幸い泊まれるようで安心する。

 荷物を宿に預かってもらってから二人は馬を牽き、近くの業者に預けた。


 ◆


「綺麗な部屋ですー」


 宿の部屋は白く塗られた壁が綺麗な模様を描いており、そこに幾つかの絵画が飾られていた。

 室内の設備も新しい。

 ただ、ガラス張りの広い浴室が備えられているのは珍しい。


「これはちょっと恥ずかしいですね……」


 それを見て彼女が呟く。

 カーテンで隠せるとはいえ、何もしなけば外から丸見えの浴室である。そこに1人で入るのは恥ずかしい。


「……どうせ一緒に入ってくるんだから関係ないだろ?」


 彼が指摘する。


「それはそうなんですけど……」


 そういう浴室である、ということを考えるのが単純に恥ずかしいのだ。

 とはいえ、広い浴室はゆっくり過ごすのには良い。


 ◆


「この鉄板、すごいですねー」


 夕食にと入った店で、カウンターに調理用の大きな鉄板が設えられているのを見て、彼女が感嘆した。

 その鉄板の上では、エビなどの魚介類や野菜のほか、分厚い肉も焼かれていて、匂いが食欲をそそった。


「すごいだろ、この鉄板。厚みもすごくあるんだぞ?」

「ほえー」


 この大きさなら、どのくらいの重さになるだろうかと考えたが、いまいちイメージが湧かない。

 この重さなら、エミリスの魔力でも到底持ち上げられないのは確かだ。


「さ、好きなだけ食べて良いぞ?」

「良いんですか⁉︎」

「……やっぱり、ほどほどにな」

「えー」


 いつものような会話をしながらマスターに注文する。メインのステーキ以外は、店の主人にお任せとした。ただ、量は彼女に合わせ、とりあえず普通の2倍くらいで、と伝える。


 カウンターに2人は横に並んで、次々と焼き上がり届けられる料理をつまみにワインを嗜む。

 エミリスは久しぶりに眼鏡を宿に置いてきていた。夜だとそもそも目立たないのと、油が飛んで汚れるのが面倒だったからだ。


「美味しいですねー」

「珍しいだろ? これほど大きな鉄板は他の町まで運べないから、この街にしか無いんだ」

「……確かに。……うちにも欲しいと思ったのですけど、ちょっと無理そうですね」


 がっかりしながら彼女が言う。『うち』とは、もちろんゼバーシュの自宅のことだ。


「まぁ家で使うほどの大きさなら買えなくもないけどな。……要るのか?」

「うーん、よく考えます……」


 欲しいけど、旅先でしか食べられないものがあるのは、それはそれで良いことでもある。

 急ぐものでもないし、そのうち考えることにする。


「ところで、ここからミニーブルまではすぐなんですか?」

「そうだな、馬なら1日で着くだろ。慌てて行かなくても大丈夫だ」

「だいぶ遠くまで来ましたねー」


 彼女が感慨深げに言う。


「と言っても、急いで来ればそこまでかからないからな。……王都はもっと遠いぞ?」

「むー、行ってみたいですけど、そんなに遠いんですか……」

「馬車で毎日移動して2週間かかるからな。今みたいなペースだと1か月だな」

「うーん、疲れそうですね……」


 それを聞くと、げんなりした様子を見せる。


「ま、滅多に行くこともないからな。……お、次はステーキだぞ?」

「はい。待ってました!」


 鉄板の上では分厚いステーキが美味しそうないい音を立てている。

 じゅるり……。

 涎が出そうになるのを我慢する彼女を横目で見る。おあずけされている犬のようだ。


「ど、どうぞ……」


 その様子を見ていたマスターは少し顔が引き攣っている。


「いただきますっ!」


 凄い勢いで胃袋に格納していく彼女を見て、アティアスはあと2枚ステーキを注文した。


 ◆


「満足ですー」


 宿への帰り道、彼女は満足気に歩いていた。

 ただし、『満足』したのであって、『満腹』ではないことに注意しなければならない。

 思えば、エミリスが『もう食べられない』状態になったのを見たことがなかった。


「……でもデザートが欲しかったですねー」


 思い出したようにぽつりと呟く。あの店にはその類のメニューはなかったのだ。


「諦めろ。そういえば、この街にはワッフルって美味いやつがあった気がするぞ?」

「ワッフル、ですか?」

「ああ、甘い焼き菓子なんだが、上にチョコやシロップが乗っててな。絶対気に入ると思う」

「ふむー、それは楽しみですねー」


 彼女はどんな食べ物なのか想像しながら目を輝かせた。


 ――そのとき、エミリスは不意に表情を変えた。


「……アティアス様、つけられています」


 宿への道の中盤ほどだろうか、暗い夜道を歩いている時だった。

 彼女が小声で彼に耳打ちする。

 アティアスは気付かなかったが、エミリスは常に周りに魔力を張り巡らせている。怪しい動きがあればすぐに把握できるようにしていた。


「そうか。何人くらいいる?」

「把握できるのは5人です」


 追い剥ぎが何かだろうか。

 先ほどの鉄板焼きの店はかなりの高級店である。そこから出てきたのを見ていたのだろうか。


「面倒だな。逃げるか?」

「ですねぇ。……飛ぶわけにはいかないですよね?」


 念の為聞くが、もちろんこんなところで飛ぶわけにはいかない。非常事態の時だけだと決めていた。


「ダメだろ。……走るぞ」

「はーい」


 走るのはあまり得意ではなかったが、仕方ない。

 2人ちらっと顔を見合わせて、宿に向けて走りだした。


 はぁはぁ……!


 必死に走るが、エミリスはあっという間に息が切れてしまう。

 後ろからの気配は変わらずついてくる。

 振り返る余裕がないので目では見えないが、追いかけてきているのは確かだ。


「あー、もーダメですー」


 まだ宿までかなりの距離があるというのに、彼女は音を上げてしまった。

 これ以上、走って逃げ切れる気がしないというのも理由のひとつだった。


「仕方ないな。追い払うか……」


 彼も立ち止まり、振り返る。

 暗くて見えない。彼には人がいる気配も感じられない。


「本当にいるのか?」

「……はぁはぁ……真っ直ぐ正面に5人……、全身黒っぽい人たちが……はぁ……いますっ……」


 息を切らしながら、彼女が説明する。

 真っ暗なのでわからないが、彼女には見えているようだ。


「……灯せ!」


 アティアスが魔法で灯りを灯す。

 すると少し離れた所に5人、確かに立っているのがわかった。


「俺たちになんの用だ?」


 アティアスが問う。

 男達は答えない。代わりにナイフが光るのが見えた。

 以前テンセズでも似たことがあったな、と思う。

 もしかして……。


「雷よっ!」


 前触れもなく、男の1人が魔法を使ってきた。しかも雷撃の魔法だった。

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