第70話 賞状
「わかった。ただ、俺たちはマッキンゼ卿に招待されていて、これからミニーブルに行かないといけない。明日にはこの町を発つ予定だが、間に合うか?」
アティアスは兵士たちに答えた。彼らは戸惑いながら顔を見合わせ、やがて口を開く。
「今日中にはお渡しできます。……失礼ですが、お名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」
感謝状を作るのにも名前が必要だが、この質問はアティアス達の身分を問うものだろう。
「俺はアティアス・ヴァル・ゼルムという。これは妻のエミリスだ。……俺は何もしてないからな、感謝状ならこっちにあげてくれ」
そう言って彼女の肩に手を乗せる。「ええっ⁉︎」と戸惑う小さな声が聞こえるが無視する。
「ゼルム……。ゼバーシュ伯爵家の方ですか?」
兵士が確認する。まさか隣の領地の貴族が、護衛も付けずにこんなところでドーナツを食べていたとは想像もしていなかった。
「ああ、一応ゼバーシュ伯爵の息子にあたるな」
「それは失礼しました。」
一同が頭を下げて礼をするが、アティアスは構わず話す。
「いや、気にしなくてもいい。今はプライベートな旅だからな」
「は、ありがとうございます。……それでは、恐縮ですが、近くの詰所までご足労願えますか?」
申し訳なさそうに兵士が言う。
わざわざ足を運ばせるのは申し訳ないが、かといってここで渡すわけにもいかない。
「ああ、構わない。さ、行くぞ」
「はい、アティアス様」
兵士に先導されて2人は近くにあった兵士の詰所に向かう。
橋が町の中心ということもあり、詰め所はすぐ近くに設けられていた。
着くとすぐに会議室のような所に案内され、すぐに温かいお茶か出される。
それをエミリスがくんくんと匂い、毒など入っていないことを確認する。
「アティアス様、問題ありません」
「ありがとう」
以前から聞いていたが、大抵の毒は匂いで嗅ぎ分けられるそうだ。シオスンのところにいた頃に、そういう練習もしていたらしい。
しばらくすると、ドアがノックされた。すぐに先程の兵士のほか、その上司と思われる人物が入ってきた。
それを見て、2人は立ち上がる。
「はじめまして。私はラムナールと申します。このルコルアの兵士を任されております」
歳は40代くらいだろうか。黒い髪できちんとした濃いグレーの制服を着込んでいる。少し涼しくなってきたとはいえ、まだ半袖だ。
任されている、ということはこの町の兵士の長なのだろう。
「聞いているかと思うが、俺はアティアスという。ゼバーシュ伯爵の息子だ。たまたまマッキンゼ卿に招待されてね、これからミニーブルに向かうところでここに立ち寄ったんだ」
簡単に自己紹介して、握手する。
「こっちは妻のエミリスだ。護衛も兼ねてもらっている」
「はじめまして」
エミリスも同じように握手する。
促され、2人とも改めて椅子に座る。
ラムナール以外の兵士は、下座にて整列している。
「話はお聞きしました。我々が躊躇している間に子供を助けていただいたそうで、ありがとうございました」
「大したことはしていないさ。子供が無事で良かった」
「いえいえ。……エミリス殿は魔導士なのでしょうか? 私も魔導士の端くれですが、あのようなことはとてもできませんので……」
ラムナールはエミリスの方にも笑顔で話しかける。
彼もやはり魔導士か。マッキンゼ領では魔導士の力が強いとは聞いていたが、相当だな。
「はい。まだ修行中ですが、少し変わった魔法が得意ですので。たまたま役に立てて良かったです」
「ご謙遜を。アティアス殿のような方が、たった1人の護衛で旅をされるということは、よほど信頼されているのでしょう」
エミリスの表情は笑顔だが、思考は冷静に保っていた。こういう時にどう振る舞うべきか、それを考えるのも自分の役目だと理解している。
「エミリスは確かに一人前だと思うが、俺もそれなりには戦えるからな。旅をするくらいなら大丈夫だ」
嘘を言っている訳ではない。彼女が規格外なだけだ。
アティアスも決して弱いわけではなく、むしろ平均的な冒険者達よりも強かった。
「なるほど、そうでしたか。マッキンゼ卿も以前は殆ど護衛を付けずに領地を回っていた方です。もしかしたら気が合うかもしれませんね」
ラムナールはそう言いつつ、整列している兵士に目配せする。
すると、その兵士が一枚の紙を彼に渡した。
「さて、それでは感謝状としてエミリス殿にお送りさせていただきます。私の名で恐縮ですが……」
ラムナールは席を立つと、机越しにエミリスにその紙――感謝状を手渡す。
受け取ったそれには、今回の簡単な内容と功績を讃える文言が記載されていた。
「ありがとうございます」
「今回の件は、領主……マッキンゼ卿にご報告してもよろしいでしょうか? ……それとも伏せておきましょうか?」
プライベートということを事前に話していたからだろうか。
アティアスは少し考えて答えた。
「報告してくれて構わない」
「ありがとうございます。承知しました」
ここで隠しても、どこかからマッキンゼ卿に伝わるかもしれない。できれば子供を助けた手段は隠しておきたいが、それも既に大勢に見られている。
となれば、隠さずにおいた方が不信感を持たれないだろうと考えた。
「では、今日はここで失礼するが、構わないか?」
「はい。お時間をいただきありがとうございました。またどこかでお会いしましょう」
2人は兵士達に見送られながら、詰所を出た。
◆
「ふー、緊張しましたぁ」
宿に帰りベッドに腰掛けると。開口一番にエミリスが漏らす。
「そうは見えなかったけどな。落ち着いてたし偉いぞ」
「ふふふ、偉いでしょー」
彼が労いの言葉をかけると彼女は破顔する。
「それにしても、あのラムナールって男はかなりできる魔導士なんだろうな。見かけでは分からないが、兵士にも魔導士が多く居そうだ」
前回滞在したウメーユほどではないにしろ、この町もマッキンゼ領である。それなりの魔導士が配備されているのだろうことは予想できた。
「うーん、見るだけじゃ分からないですからねぇ……。でも、もし何かあっても建物ごと吹き飛ばしちゃいますけどね」
軽々と物騒なことを言う。そんなことを実際にしたりはしないだろうが、やろうと思えばできるということも、また事実だった。
今の彼女なら、1人で軍隊とやり合うこともできるかもしれないと、彼は思う。そもそも高く飛んでしまえば、どんな攻撃も届かないのだ。あとは上から魔法の雨を降らせば事足りる。
「ま、目立つことは避けたいけどな。間違えても爆破なんてするんじゃないぞ?」
「はーい。アティアス様のご命令か、もしくは危険があるときとかじゃなければやりませんよぅ」
物騒な少女は、ぺろっと舌を出して笑った。
◆
予定通り、その翌朝にはルコルアを出発した。
次の町にもまた、夕方には到着するだろう。ただ、今日は雨が降りそうな空だった。
アティアスは1日遅らせるかとも考えたが、エミリスはそのままで構わないと言ったのだ。
「降ってきたな……」
空を見上げてアティアスが呟く。
出発してから30分ほど、まだ午前中なのに雨がポツポツと降り始めた。
「雨具を着たほうがいいぞ。乾かせるとはいえ、濡れると体調を崩すかもしれない」
後ろをついてくるエミリスを心配して、彼は振り返りながら話した。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよー」
それを彼女は笑顔で返す。
ふと、これは何か隠してる顔だなと気づく。彼女には、時折こうやって彼を驚かせようとするときがある。
何もない時に自分から自慢するようなことはしないが、役に立つことはアピールしたい。そういう思いも持っていた。
「……何をするつもりだ?」
彼が聞くといつものように「待ってました」と言わんばかりに自慢げな顔を見せる。まさにドヤ顔である。
「ふふーん。見ててくださいね」
彼女はそう言い、空を見上げて両手を広げる。
すると、パラパラと降ってきていた雨が急に空中で弾かれ、自分達の周りに流されて落ち始める。まるで大きなガラス玉の中に入っているようだ。
その球状の壁は目には見えないが、雨が一度当たって弾けることで、確かにそこにあることがわかる。
「どーですか? 魔力で傘作ってみましたっ!」
そのまま2人が移動しても、球状の壁は彼女を中心に着いてきている。魔力で巨大な傘を作って見せたのだ。
「すごいな……」
アティアスは素直に感嘆する。これなら足元の飛沫以外は濡れないだろう。もっとも、今は馬に乗っていることもあり、足は濡れないのだが。
「魔法を防御する壁ができるなら、剣とかも守れる壁が作れないかなーって思って色々試してたんです。そこまで硬いもの弾くのはまだ無理ですけど、雨くらいならって」
「なるほど。これどうやってるんだ?」
「物を持ち上げたりする時と一緒ですね。魔力を布みたいに細かく編み込んで薄くしたものを作ってます」
簡単に言うが、そもそも魔力を糸状に細く制御することすら、誰にもできないのだ。それを自在に操るなど、考えられない。
「子供を川から持ち上げた時は、水を一緒に掬わないように、もう少し粗くして抜けるようにしてましたんですよー」
傍目からは超能力のようにすら見えるが、膨大な魔力があればこんなことまでできるのか。
「そうか。これなら濡れずに済むな。ありがとう」
「どういたしまして」
彼女は褒められて満面の笑顔を見せた。
◆
大雨のなか、全く濡れずに進む2人を影から見ている男がいた。
普段の彼女なら見逃さなかっただろうが、雨が邪魔したのだろう。周囲に雑音が大きくて気付かなかった。
男はしばらく様子を見たあと、そっとその場を離れた。
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