第69話 散歩

 このルコルアには1日だけ滞在する予定にしていた。

 着いた翌日、せっかくなのでぐるっと町を回ることにした。

 あまり大きな街ではないこともあり、華やかな商店街などはなかった。兵士の数もウメーユより少ないようだ。


「静かなところですね」

「ま、ここは田舎だからな。でもそれはそれで良いところもある」


 ウメーユでは農業が盛んだったが、ここは川での漁業が多くを占めていた。また、川の水を使っての稲作も盛んだ。

 パン食が多いこのエルドニアでは、少し珍しいかもしれないが、それゆえに一部の人達からは重宝されていた。


「私、橋が見たいです」


 2人で歩きながら彼女が言う。彼女はアティアスの左腕にくっついていた。

 橋とは、この町の中心に掛かっている大きな橋のことだ。


「そうだな。橋のあたりは栄えてるし、行ってみるか」

「はいっ」


 それほど広い町でもなく、すぐに橋の近くまでたどり着く。

 町の南北を行き来するのはこの橋か、もしくは他数カ所にある渡し船を使う必要があるため、この付近は人通りも多い。

 そのため、それを目当てに店も多くあった。


「あっ! ドーナツ屋さんがありますよっ!」


 彼女は目ざとく見つけた店に彼を引きずっていく。ほっそりとした身体のどこにそんな力があるのかわからないが、甘い物を前にした彼女は止められない。

 トレーに色々な種類のドーナツが並べられていて、選ぶのに悩みそうだ。


「これは悩みますね……。うーん……」


 考え込んでいると、店員の女の子が声をかける。


「いらっしゃいませ。ゆっくり選んでくださいね」

「おすすめはどれですか?」


 エミリスが聞くと、少し考え込んだ店員が答える。


「全部おすすめですよ!」


 それを聞いた彼女は、なるほどと頷く。


「じゃ、全部一個ずつくださいっ!」

「……20種類くらいありますよ? 大丈夫ですか?」

「はいっ! すぐ食べますので」


 店員は箱にドーナツを詰めていく。

 かなりの量だが、エミリスは何事もないような顔でそれを見ている。


「……俺は1つか2つで良いぞ?」


 呆れつつ彼が言うと、彼女は答える。


「え⁉︎ じゃあ残り全部食べて良いんですかっ?」


 本気でそれだけ食べるつもりなのか……?

 ちょっと信じられない。


「食べられるのなら、好きにしていいぞ」

「はいっ! 余裕ですー」


 もしかして、今まではあれでも遠慮してたのだろうか。

 支払いをして、ドーナツが詰められた箱を受け取る。ついでに飲み物も買う。


「せっかくなので、橋を見ながら食べましょうか」

「そうだな」


 アティアスは河原にある大きめの石に腰掛けて、ドーナツをひとつ手に取って齧り付く。

 甘くて美味しい。

 ただ、大量に食べるのは辛いな。


「おいしー」


 見れば彼女は既に2個目を食べ始めていた。

 こんな甘いものを平然と。


「胸焼けとかしないのか?」

「いえ、全然?」


 どうなってるんだ。信じられない思いで、どんどん食べ進めるエミリスを眺めていた。


 ――彼女が12個目を手に取った時だった。


「誰かー!!」


 突然、女性の大きな叫び声が響き渡る。

 声は橋の上からのようだ。

 見ると、人だかりができており、皆橋から身を乗り出すようにして下を見ている。


 その視線の先に目を遣ると――

 子供だ!


 まだ5歳くらいだろうか、橋から落ちたのか、男の子が川に流されていた。

 川幅が広いため流れはそれほど速くないが、子供の足がつく深さではないだろう。

 それに泳げるようには見えなかった。

 時間の問題で溺れるだろうと予想できた。


「アティアス様、どうしましょう?」


 エミリスが冷静に判断を仰いでくる。彼女は自分なら助けられることを理解していた。

 ただ、目立つ行動を避けねばならないことも同時に理解しており、彼に判断してもらうことにしたのだ。


「……命には変えられんだろ。助けてやってくれ」

「かしこまりました」


 彼女はすぐに川縁まで行き、男の子の方に手を突き出し、凝視する。

 溺れそうで暴れている人を持ち上げるのは至難だが、子供なら何とかなりそうだ。自分が飛んでいけば良いのだが、それを見せるのはできる限り避けたかった。


「むー」


 意識を集中して魔力を編み、男の子を下から網で掬い上げるように構成する。


 程なく、子供の身体が水面に浮かび上がった。

 まだ暴れているので、構成からすり抜けてしまって落とさぬよう、慎重に魔力を操作する。

 そしてゆっくり自分の近くまで運ぶと、そっと河原に下ろした。


 男の子は何が起こったのか分からず、きょとんとしていた。


「水飲んだりしてませんか?」


 彼女が目線を男の子に合わせて優しく聞くと、こくりと頷いた。


「良かったです。……さ、お母さんが心配してますよ」


 橋の上を促すと、叫び声を上げたと思われる女性が走ってきているのが見えた。

 礼を言う女性に軽く会釈して、エミリスはそのままアティアスの所に戻ってきた。


「ありがとう」

「いえ、簡単なことで良かったです」


 アティアスの礼に、さらっと返す。

 そして、先ほど食べようとしていたドーナツを手に取って、改めて美味しそうに食べ始めた。


 ◆


「ふー、満足ですー」


 ドーナツを20個食べ切って、すっかり満足したエミリスが一息つく。そんな彼女に呆れつつも、聞いてみる。


「一応聞いてみるけど、あとどれくらい食べられるんだ?」


 彼女は自分のお腹を触ってみて、少し考え込む。あれほど食べたのに、膨らんでいるような感じもない。


「うーん……? 分からないですー。たぶん、今食べた分くらいは大丈夫かなと」


 つまり、まだ20個は食べられる、ということか?

 どう考えてもそんなに入る場所があるとは思えない。


「ちょっと触っても良いか?」

「ええっ⁉︎」


 彼が言うや否や、すぐにエミリスのお腹の辺りをぐにぐにと手で触ってみる。


「んふぅ……」


 くすぐったいのか、彼女が微妙な表情を見せている。だが触っても違和感はなかった。


「食べたすぐに消化されてるんじゃないのか?」


 もう考えられるのはそれくらいしかなかった。食べたら胃に溜まることなく、すぐに消化されてエネルギーになっているのではと。

 とはいえ、それで太らないのも不自然だ。

 やっぱり異世界に繋がっているのかもしれない。


「いっぱい食べられるお腹で良かったですー」


 ただ、彼女はそれを前向きに捉えていた。


 と、その時――


「ちょっと構わないか?」


 突然2人に声をかけてくる男がいた。1人ではなく、その男の周りにも5人ほど同じ服装の男が立っている。

 ――この町の兵士だろう。


「……ああ、構わないが」


 アティアスはこうなることをある程度予想していた。できるだけ不自然にならないように返答する。


「先程のことを私も見ていたが、子供を助けてくれたのはその少女か? 何をしたのかは理解できなかったが……何かの魔法か?」

「ああ、あのままだと溺れそうだったからな」


 端的に、事実だけを答える。

 色々と問い詰められると面倒だなと、対処方法を考える。

 だが、兵士はアティアスの返答に、さっと敬礼して礼の言葉を述べた。


「感謝します。本来、我々が対処しなければならないところ、眺めていることしかできませんでした。申し訳ありません」

「気にしないでくれ。大したことはしていない」

「旅行者の方とお見受けしますが、ぜひ感謝状をお渡ししたい。時間はあるだろうか?」


 急な申し出に考え込む。こういう展開は予想していなかった。

 目立ちたくはないが、既に見れているものはどうしようもない。ならばいっそのこと受けてしまうか?

 いや、しかし受けるなら身分を名乗らねばならない。それも面倒だった。

 エミリスの様子を見ると、同じく困惑しているようで、じっと見つめてくる。


 よし、決めた。

 アティアスは兵士たちに向かい合い、口を開いた。

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