第64話 冷菓

「ここの野菜美味しすぎますー」


 朝からエミリスはご機嫌だった。

 コテージの近くに朝市があって、その日採れた野菜や果物が売られていたのを朝食前に買ってきたのだ。

 それに簡単なドレッシングを作って合わせただけのシンプルなものだ。


「ああ、新鮮だといくらでもいけるな」


 何気なく彼は言っただけだが、エミリスは昨晩つい「いくらでも」と自分が言ってしまったことを思い出した。


「……いくらでも……」


 ぼそっと独り言のように呟き、その後の記憶を反芻すると、一気に耳まで真っ赤に染まる。

 その顔を見て、彼女が何を考えたのかを理解した彼が謝る。


「……久しぶりにゆっくり二人だったからな、悪いな」


 やはり宿の一室だと気を使うのか、久しぶりに気兼ねなく過ごせるのが嬉しかったのだ。


「いえ……私も、その…………はい。……嬉しかったのでお気になさらず……」


 恥ずかしくて顔が火照る。

 四六時中顔を突き合わせるようになって数ヶ月経つが、初々しさはあまり変わらない。


「ははは、エミーのそういうところが可愛いと思うよ。できれば、いつまでも変わらないと嬉しい」


 言いながら席を立ち、彼女に近づくと、そのまま顎を手で持ち上げて軽く口付けする。


「……はい……お任せください」


 彼の希望がそれなのであれば、自分は出来るだけ応えたいと思う。


「でも、無理はしなくていい。あまりに別人みたいに変わると困るけどな」

「私は私ですから。そんなに変わらないと思いますよ」


 今まで生きてきて、これまであまり変わった記憶はない。

 彼と出会ってからの変化が一番大きかったが、それでも本質は何も変わっていない。ならばこれからも変わらないだろう。


「だろうな。……さ、とりあえず今日は街をぐるっと散歩してみるか。良いものがあったら買ってやる」

「はいっ! すぐに準備しますね」


 ◆


「あれはなんですか?」


 街を二人で並んで歩いていて見つけた店にエミリスが興味を示した。

 ちなみに、歩く時も戦いの時も、エミリスは常にアティアスの左側に居る。右利きの彼と左利きの彼女の場合、その方が戦いやすいからだ。

 彼女が指差した店の看板には『ジェラート』と書いてあった。


「ああ、あれはな……」

「――とりあえず、このマスカットってのをひとつくださいっ!」


 アティアスが説明しようとしたが、その前に彼女は店に駆け寄って注文していた。


「え、二種類選べるんですか⁉︎ じゃ、もうひとつはこの牛乳ので……」


 カップに入れられたジェラートを受け取り、早速スプーンで口に入れる。


「んーー! 冷たい! 何これ‼︎」


 初めて食べたアイスクリームに目を丸くした。

 あっという間に全部食べ切った彼女は、猫のようにペロペロとカップを舐めている。


「……それは下品だからやめろ。一応貴族なんだぞ?」

「あぅ……」


 カップを取り上げると、名残惜しそうにそれを見ている。

 そしてそのあと、いつものように上目遣いで、彼を見つめてくる。


「じーー」

「それを自分で言うな。どうせ他の味も食べたいんだろ?」

「そーですっ。よくわかりますね!」

「わからない訳がないだろ。……あと2回までだぞ?」


 呆れる彼にエミリスは満面の笑顔で答える。


「りょーかいですっ!」


 そして追加注文をする彼女を眺める。こういうところは子供のようだ。いや、常に子供……なのか?

 普段は真面目なところが表に出てきているが、それでもどこか子供っぽさが残る。それが彼女の面白さでもあった。



「クレープとどっちが良かったか?」


 食べ終わって満足した彼女に聞くと、真剣に悩み始めた。


「むむむ……クレープは色んな組み合わせがあっていくらでも食べられますし……。ジェラートは溶けてなくなるのでいくらでも食べられますし……」

「いくらでも食べられるのはお前くらいだぞ」


 冷静に言うが彼女は聞いていない。


「うーん……甲乙つけ難いですね。……あ、クレープの中にジェラートが入っていれば最強かもしれませんっ!」

「好きなものを組み合わせたら良し、って訳でもないと思うが。……とはいえ、それに似たものは確か王都に行けば食べられた筈だ」

「なんですとっ! それは是非行かないとなりませんね」


 彼女の涎が止まらない。

 最初からこんなに食い意地張っていたかなと思い返すが、そういえば初めてチョコを食べた時からそうだったなと思い出す。


「ま、いずれ王都に行くことはあるだろう。俺も兄の代わりに式典にも出たこともあったからな。またそういうことがあれば一緒に行くかもしれないだろうし」

「式典……ですか。どんなものなんですか?」

「そうだな、定例だと建国記念の日とか新年の祝賀会とか。そうじゃないものは、王の親族の結婚パーティとかな、そういうやつだ。周囲の貴族も誰かが参加する。普段はレギウス兄さんかケイフィス兄さんが行くけど、実務があって行けない時もあるから。ナターシャ姉さんが行ったこともあるな」


 彼が詳しく説明する。


「なるほど……。でも疲れそうですね」

「ああ、下手なことは言えないし、気が疲れるよ。……もしエミーを連れて行くことになっても、お酒は飲むなよ?」

「ぶー、私を爆弾か何かだと思ってるんですか?」

「ははは、敵からすればエミーは爆弾より怖いと思うけどな。……魔女に近いかもな」

「むむー、酷い言われようですー。傷つきますー」


 彼女は口を尖らせる。


「別に貶してはないよ。それだけ助けられてるってことだから。俺にとっては女神だな」

「女神ですかぁ……」


 そういえば、以前殺したオスラムに似たことを言われたなと思い出す。あの時は別にどうでも良かったが、アティアスに言われるのは嬉しい。


「それに可愛い妻だからな。せいぜい暴発させないようにするよ」

「ふふふ、お願いしますね」


 可愛いと言われて満足したのか、彼に身体を寄せてくる。

 もし王都の式典で問題を起こしたら流石に守ってはあげられないだろうが、お酒さえ飲まなければ彼女は問題ない行動をすることはわかっている。心配はないだろう。


 ◆


「昨日、私が変な感じって言ったのは、畑が多いっていう意味じゃなかったんです。農業の街なのに、兵士がいっぱいいるなぁって思ったんですよ」


 ジェラートに満足したエミリスは街を歩きながら、アティアスに説明する。

 今日ももちろん眼鏡を掛けている。服はあまり目立たないようにと、歩いて旅をしている時によく着ていた、茶色っぽいワンピースを身に纏う。

 アティアスも普段と同じように、ベージュのシャツにカーキ色のパンツと、どこにでもいる格好だ。

 二人とも、日差しを避けるために帽子を被っているので、傍目からはそのあたりにいる地元の兄妹のようにも見える。


「そういえばそうだな。街の規模はトロンより小さいくらいだけど、ゼバーシュと変わらないくらいの兵士がいるように見える」


 街の外に畑があるために、どうしても兵士が多いのは理解できなくもないが、街の中も頻繁に兵士が歩いているのを見かける。


「でも別に治安が悪い感じはしないですね。アティアス様は以前来たことあるんですよね?」

「ああ、前に来たのは1年くらい前だな。そこまで兵士がいたかな? 気になったって記憶はないな」

「色んなところ行かれてますもんね」

「とりあえず街を一周したらギルドで聞いてみるか」



 ギルドはある意味で治外法権である。

 国すら跨ぎ、独自のネットワークで運営されている。

 もちろんそこで働く人はその国の国民なので全く無関係ということはないが、国や領主も手を出しにくいほどの規模で構築されていた。


「久しぶりにこの街に寄ったんだが、何か変わったことはないか?」


 ギルドに行くと、まずは挨拶を兼ねて受付の男に話しかける。

 このギルドでは2人の男女が受付をしていた。2人とも30歳代くらいに見える。名札にはそれぞれ、モーリスとレティナと書かれている。


「こんにちは。変わったってことはないと思いますよ。前から事件もあまり起こらず平和な街です」


 モーリスが気さくに答えてくれた。


「そうなのか。他の街に比べて兵士をよく見かけると感じてね」

「そうかもしれませんね。5年前にこの街がマッキンゼ領になったときから、兵士が多いんですよ。でも巡回してるだけですね」


 レティナという女性が説明してくれる。


「なるほど。そういう方針なのかな」


 1人呟くとモーリスが答える。


「この街の砦にはマッキンゼ子爵直属の軍が常駐していまして、ほとんどが魔導士なんですよ。外回りの兵士はほとんど剣士なんですが」

「魔導士を集めてるって聞いてたけど、それほどなのか」

「マッキンゼ子爵本人がかなりの魔導士みたいですからね。人前で披露したりはしませんが……」

「この街の軍の魔導士は何人くらいいるんだ?」

「正確な数はわかりませんが、100人はいると思いますよ。しかも徐々に増えていると聞きます」

「それはすごいな」


 素直に驚嘆する。

 魔導士100人。ゼバーシュの魔導士もそこまで多くない。それを考えれば、通常の兵士と合わせてもこの街だけでかなりの戦力だ。

 戦争を仕掛けてもテンセズくらいならあっという間に落とせるだろう。

 間に山脈があることを考えれば、そこだけ落としても意味はないだろうが。


「その魔導士達はどこから?」

「ギルドに斡旋依頼が来ています。報酬も高額ですよ。もしあなた方も魔導士なら応募してみるとどうでしょうか」


 レティナが2人を見て答えてくれた。

 2人とも魔導士のような格好はしていないので、みんなに声をかけているのだろうか。


「あ、いや。俺たちは遠慮しておくよ。ずっと旅をしているんでね」

「そうですか。わかりました」


 と、レティナが急に小声で耳打ちしてくる。


「……この街では軍以外の魔導士は嫌厭されますので、気をつけてくださいね」


 アティアスの返答で魔導士だということがわかったのか、親切にも彼女が忠告してくれた。

 嫌厭される理由はわからないが、フリーの魔導士が脅威になりうるということだろうか。


「ああ、ありがとう。気をつけるよ」

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