第5章 マッキンゼ領での旅

第63話 甘味

 下りということもあり、順調に歩みは進んだ。


 休憩は数回。

 出発してしばらくしたときに沢のところで朝食。そのあとは適当に景色のいいところで止まりながら進む。


 午後にはマドン山脈を抜けて、マッキンゼ領の平野に降りてきていた。

 エミリスもようやく普通に馬に乗っていられるようになり、落ち着きを取り戻していた。


 午後の最後の休憩のつもりで、街道沿いの少し高くなっている丘のところで止まった。


「あと数時間もあれば街に着くだろ」


 広げたマットに座り、テンセズで彼女が作りおきしてあったクッキーを齧りながら、アティアスが口を開く。

 エミリスは少し離れた所で自分を浮かせられないかと試行錯誤していたが、なかなかうまくいかないようだ。


「次はどんな街なんですか?」

「トロンとテンセズの中間くらいの大きさの街かな。農業が盛んなところだ。今の季節なら葡萄が美味しいだろうな」

「葡萄! 私大好きです!」


 彼女が目をキラキラとさせ始める。甘いものが好物なので、フルーツも当然その範疇に入る。


「好きなだけ……とは言わんが、着いたら買ってみようか」

「はーい。楽しみです! ……あ、見て! ちょっと浮きましたよっ‼︎」


 見ると直立した彼女の足がほんの少し、地面から離れているように見える。

 髪が全て逆立ち、服もひらひらと波打っていた。


「おおっ、やっぱりできそうなのか」


 アティアスが感嘆する。


「でもなかなか難しいです。……自分を上げようとするより、反対に下の地面を押し下げようとする感じ……でしょうか」


 確かにジャンプするときは地面を蹴って飛び上がる。

 同じように魔力を下に向けて出すことで、その反動で持ち上げているのだった。


 彼女は集中して少しずつ高く持ち上げようと身体を上げていくと、すぐに彼女の身長の高さくらいまで上がった。


「浮くだけならコツを掴むと結構いけそうです。……でも横に動くにはどうしたらいいかわかりません」


 困ったようにエミリスが話す。

 気球のように上がるのは良いが、自由には動けないのか。


「ちょっと押してみようか?」


 アティアスが言いながら、彼女の膝あたりを軽く押してみる。


「あ! ちょ、ちょっと! 今はダメっ‼︎」


 慌てて彼を制止しようとしたが間に合わない。

 脚の横から力を受けた彼女は、くるっと回って逆立ち状態になってしまった……と思ったら、そのまま頭から地面に落ちてしまう。


「ふぎゃっ!」


 滅多に発しないような叫び声が聞こえる。

 浮き上がった状態でバランスを取っていたところに変な力が加わったことで、魔力を出す方向がわからなくなってしまったのだ。


「いったぁ……! アティアス様酷いです!」


 彼女は蹲ったまま、頭を押さえて涙目で彼を非難する。


「す、すまん……」


 アティアスはすぐに謝る。

 まさかそんなに簡単にバランスを崩すとは思わなかったのだ。


「罰として葡萄好きなだけ食べさせてもらいますよっ」

「仕方ないな……」


 頭を押さえてはいるが、彼女は笑顔だった。

 とりあえず体を浮かせられることがわかった。

 昔に夢見た、鳥になりたいというのは無理でも、鳥のように飛べるようになるかもと思えたのが嬉しかった。


 ◆


「この街、なんか変な感じがします」


 二人は夕方にはマッキンゼ領の街ウメーユに着いた。

 街を取り囲む塀の外に、広い畑が広がっていて、昼間はそこで農民が働いていた。その守りのために周りを兵士が定期巡回している。

 農業が大きな産業基盤になっているこの街の特徴でもあった。


「畑がすごいだろ。ここの果物や野菜はゼバーシュにもかなり入っているからな。ここだと新鮮なものが安く買えるから、料理が得意なエミーには良いところかもな」

「ですねー。厨房のある宿があれば、手料理を召し上がっていただけるのですけど……」

「しばらくこの街で情報収集するつもりだから、一軒家みたいなところを探してみるか」

「はいっ、良いところがあると良いですね」


 二人は馬を預け、とりあえずギルドで宿の斡旋がないかを聞くと、都合よくこの街にはコテージ様の宿屋がみつかった。

 少し金額は高いが、宿を数部屋取るよりはリーズナブルで、家族連れなどを想定しているのだろうか。話声を気にしなくても良いのが良かった。


 コテージに着き、荷物を整理してから設備を確認する。

 厨房もそれなりの充実具合で、腕を振るうのに不足はなさそうだった。

 居室は2部屋で、4人くらいまでが滞在することを想定しているようだった。


「ふふふ。……ここならたっぷり……」


 アティアス様と……。

 エミリスは妄想が止まらない。昨晩は場所が場所だけに寂しく思っていたので、夜が楽しみだった。

 大きめのお風呂が付いているのも都合が良い。


「……たっぷり料理ができるな」


 ただ、彼は別のことを答えた。エミリスは、はっと正気に戻る。


「そ、そうですね。頑張りますっ」

「どうした?」


 恥ずかしくなって焦る彼女をアティアスは訝しむ。


「い、いえっ、なんでもないですっ。さっ、食材買いに行きましょっ!」

「あ、ああ……」


 明らかに不審な様子だが、よくあることだ。

 おおよそ何を考えているのかは予想が付くので、今は気にしないでおく。


 ◆


 夕食として野菜をたっぷり使ったパスタで軽くお腹を満たしたあと、二人の時間を過ごす。


「ワインも美味しいですー」


 ウメーユは葡萄の産地でもあるため、ここにはワイナリーも多く存在していた。そのためリーズナブルに良いワインが手に入る。

 エミリスは少し冷やし気味にした赤ワインを、ここの野菜を軽く素揚げして塩を振っただけのチップスをつまみにして飲んでいた。

 野菜の素材が良いこともあり、それだけで充分美味しく食べられた。


「あんまり飲みすぎるなよ」


 彼女が飲み始めると寝てしまうまで止まらないことをアティアスは知っているが、とりあえずは忠告する。


「ふふふー、今日は大丈夫ですぅー」


 すでに少し顔が赤いが、何故か自信満々だ。


「なんでだ? ……前も同じこと言ってたけど」


 理由があるようには思えないが、とりあえず聞いてみる。

 まさか聞き返されるとは思っていなかったのか、彼女は固まってしまった。


「え? いえ……。な、なんとなくです……」


 もじもじしながら答える。その様子が可愛らしく思えた。


「……そろそろお酒はもうやめておくか? 俺もデザートが欲しい」

「えっと……すみません。今日はデザートは準備できてないです。……葡萄ならありますけど」


 エミリスが申し訳なさそうに言うが、彼は気にせず席を立つ。

 彼女の横に行き、髪をそっと髪を梳くように撫でる。


「あ……」


 酔っていて気付くのが遅くなったが、ようやく彼の意図がわかり、彼女も猫のように彼に顔を擦り付ける。

 このコテージに着いた時の彼女の様子から、どうして欲しいのかわかっていた。


 普段からも遠回しにしか言わないエミリスだが、それは彼がいつもすぐに察してくれることを分かっているからでもあった。


「ふふ……お風呂を沸かしますから、そのあといくらでも召し上がりください」

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