第46話 堰

 男は蹲り、潰れてしまった手を抱え、必死で回復魔法で止血をしていた。

 魔法でも激しく傷んだり、欠損した部位は元には戻らない。せいぜい断面が回復する程度だろう。


 エミリスはしばらく膝をついていたが、少し身体の自由を取り戻したところで、ゆっくりと立ち上がった。

 この状態では男がすぐに攻撃してくることはないだろうと考え、まずは自分の手足を縛っている縄を一瞥して解き放つ。そして自由になった両手でゆっくりと口枷を外した。

 それから歩いて魔法陣から出る。


 痛みが少し治ったのだろうか、男はその様子を驚愕の目で黙って見ていた。


「お、お前は何者なんだ……⁉︎」

「……それはどういう意味の質問ですか? 立場のことなら、私はアティアス様の妻……ということになりますけど」


 努めて冷静に、彼女は口を開く。


「いや……そうじゃない。その力……信じられない。……封じていたんだぞ。普通なら魔法など使えないはずだ。それに口も……」

「……多少は魔法陣の影響でしょうか。……魔力が構成しにくかったのですが、それほどの影響はありませんでしたね」


 男は絶句する。

 自分でもあの魔法陣の中だと、魔法は全く使えないのだ。それを気にしないというのは、どれほど力があるのか想像もできなかった。

 彼女が続ける。


「……あと、あなたはここで死んでもらうので話しますけど、私は無言でも魔法が使えます。詳しい理由は分かりかねますが」

「それができる魔導士が現代にいるとは……。先祖にはいたと聞くが……」


 男が呟く。


「……最後に遺言くらいならお聞きしましょう」


 アティアス様を殺そうと計画していた男だ。最初から殺すべきだと考えていた。

 強力な魔導士は捕えるのにも危険が伴う。……例え優しいアティアスであっても、同じ判断をするだろう。

 尋問ならば、いま気絶している男達で事足りる。


 男もそういう覚悟を持って、今この場で話をしていた。


「そうか……。なら最後に少し話をしたい。お前の容姿のことだ。……昔から代々言い伝えられてきた話だが、俺の祖先には偉大な女神がいたらしい。その肖像画を見たことがある」

「女神……ですか。それが何か私と関係でも?」


 エミリスは聞き返す。


「その肖像画は……赤い目と鮮やかな緑の長い髪で描かれていた。そして言い伝えでは凄まじい魔力を持っていたと。……お前のその姿と力は……まさに……その女神と何か関係があるんじゃないかと、俺には思えた」


 アティアスから聞いていた。魔導士は必ず遺伝で魔力を持っているかどうかが決まる。

 ならば最初は何者だったのか。

 疑問は尽きない。

 しかし、今の彼女にとってはどうでも良いことだった。確かにこの男の言う肖像画と自分は似通った容姿をしているのかもしれない。

 だが間違いなく別人なのは明白だった。


「そうですか。でも私には関係ありませんね。……話は終わりですか?」

「……ああ。その髪の色を見たときに気付くべきだったよ。……お前の力は歴史を変えるかもしれん。気をつけた方がいい」

「ご忠告には感謝します。……私からも質問します。ゼルム家を狙っているのはあなただけですか?」


 逆にエミリスから男に聞いておきたいことがあった。


「……今はそうだ。ただ、俺はマッキンゼ子爵に仕えている。あの方はいずれここにも手を出してくるだろう」

「戦争でもするつもりですか?」

「……可能性はある。俺のような強い魔導士を集めている。お前にとっては子供みたいなものだろうがな」

「私はあなたが思ってるほどではありませんよ。……彼がいなくては何もできない子供です」


 エミリスは謙遜するが、男は分かっていた。

 あの状態から自分を上回ったのだ。どんな魔導士でも、まともにやり合って勝てるわけがない。


「ふ……いずれわかる時がくるだろうさ」


 彼女は考える。

 自分の魔力は確かに他人とは違う。

 でもそれをどう使うかが大事であって、誇示するようなものではない。

 権力も同じで彼女が――自分の意思では無いにしても――過去に仕えた者達もそうして失脚してきたのを知っている。

 そしてアティアスにはそんな節がないことが、惹かれた理由のひとつだということも。だから自分は彼のためだけに力を使いたい。


「……わかりたくはないです」

「そうか。……その方が幸せかもしれんな。……話はこれで終わりにしよう」

「わかりました。ありがとうございます。最後にお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「……オスラムと言う」

「ありがとうございます。……それではオスラムさん、せめて……苦しまないようにして差し上げます」


 それまで無表情だった彼女が、一瞬だけ悲しい目を見せたのを男は黙って見ていた。


 そして――


 命を失った男の身体が崩れ落ちた。


 ◆


 エミリスはまだ息のある男二人を縛り、彼らを残し部屋を出る。ここは地下室のようだった。

 上の階は普通の民家のようで、誰も人はいない。


 そのまま家から外に出る。

 見覚えのある場所だった。

 アティアスの家から3軒ほどしか離れていなかった。こんな近くに潜んでいたのか。


 ――家に戻ろう。

 ――早く彼に会いたい。


 重い足取りでふらふらと歩いていると、アティアスが家の前にいるのが見えた。

 嬉しくて自然に涙が溢れる。


「エミー!」


 彼女を見つけた彼が、走り寄ってくる。

 そしてそのままぶつかるように抱きしめられた。


「……アティアス様、申し訳ありません。……お昼、遅くなってしまいまして……」


「……何を言ってる……! エミーが無事ならそんなことどうでも良い! ……良かった」


 以前トロンの町で彼に買ってもらった服は、返り血を浴びて黒くなっていた。それに雷を受けて所々焼け焦げてもいた。

 それを一目見るだけで、彼女がどれだけ大変な目に遭ったのかなど容易にわかる。

 それなのに、この少女は自分のことよりも、アティアスの食事のことを優先的に考えている。それがたまらなく愛おしく思える。


「すまない……。俺がしっかりしていれば、エミーをこんな目に遭わせることもなかったのに」


 見れば、アティアスの目にも涙が浮かんでいる。

 彼のこんな泣き顔を見るのは初めてだったことに、エミリスは気付く。

 自分の無事を泣いてくれることが嬉しくて、嬉しくて。

 やはり自分が付いていく人は、この人しかいないと再認識させられた。


「うぅ……。アティアス……さまっ……! うああぁ……っ!」


 堰を切ったように嗚咽が抑えきれなくなる。

 張り詰めていた糸が切れてしまった。

 嬉しさと、悲しさと、少しの後悔と、そして彼への愛おしさと。

 いくつもの感情が入り混じって、整理がつかない。


 彼にとっても、彼女が見せるそんな姿は初めて見るものだった。

 涙を溢すことはあっても、人目をはばからずに大声で泣くことなど一度もなかった。

 そんな彼女を強く抱きしめる。


 ――今できることはそれだけだった。

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