第41話 選択

「はぅー、今日は疲れましたー。もうダメです……。動けません……」


 今日は一日歩き回り、それに加えて気疲れもあったのか、エミリスは家に帰った途端、テーブルに突っ伏してぐてーっと伸びてしまった。


「予定を詰め込みすぎたな、すまん」

「むー、やっぱり体力はまだまだです……」


 今までは彼に泣き言を漏らすことはあまり無かったが、さすがに疲れ切ってしまったようだ。

 彼女の能力はすごいものがあるが、体力は人並み以下なのだ。


「とりあえずお風呂の準備しておくよ。ゆっくり入ったら疲れも取れる」

「申し訳ありません……」


 自分がやらないと、とは思うものの、身体が動かずつい彼に甘えてしまう。

 そうしているうちに、だんだんと眠くなって……。


 ◆


「おーい、もうお風呂の準備できたぞ。先に入っていいよ」


 待っているうちにぐっすりと寝てしまったエミリスに声をかける。全く返事がない。

 頬をふにふにしてみるが起きる気配もない。


「うーん……」


 どうしたものか。服そのままで寝かすのもどうかと思うし、起こすのも可哀想だ。

 でも起こすしかないか。

 ほっぺたを摘んで、引っ張ってみる。


「おきろー、ふろだー」


 耳元で話しかける。


「……ふにゅー。……起きてませーん」


 目を閉じたまま彼女が呟く。


「起きてるじゃないか。風呂だぞー」

「……ダメですー。……もう起きられませーん」


 頑なに動かない。

 仕方なくアティアスは彼女の脇腹に手を遣る。

 そして、思い切りくすぐってみた。


「ふぎゃーーーっ‼︎」


 尻尾を踏まれた猫のような叫び声を上げて、エミリスが飛び起きる。

 目を見開いて、肩で息をしていた。


「ひ、ひどいですっ……! わ、わ、脇は絶対ダメですっ」


 言いながら、猫が引っ掻く時のように両手でシャッシャッと彼を威嚇してくる。

 それが思いのほか可愛くて笑いが込み上げてくるが、我慢して答えた。


「だって起きないし……」

「起きます!  起きてますからっ! 脇は絶対禁止ですっ! アティアス様でもこれだけは許可できません!」


 よほど苦手なのか、必死で拒否する。

 彼の言うことは大抵のことならなんでも受け入れる彼女が、ここまで拒否するのは珍しいことだった。

 とりあえず彼女の弱点のひとつとして記憶しておく。


「一応覚えておくよ。……さ、早くお風呂入りな」

「や、約束ですよっ!」


 そう言いながら彼女はお風呂に入っていった。



「……なかなか出てこないな」


 いつもはそれほど長風呂をしない彼女なのだが、今日は珍しく出てこない。溺れたりはしないだろうが……。


「寝てるんじゃないだろうな……?」


 心配になって様子を見に行き、風呂の扉越しに声をかけた。


「おーい、エミー。起きてるか?」


 しかし返事がない。

 もう一度声をかけても返事がなかったので、少しだけ扉を開けて様子を見る。


「……やっぱりか」


 すると、湯船に浸かったまま、ぐっすりと寝ている彼女がいた。

 仕方なく、耳元まで近づいて呼びかける。


「エミー、こんなところで寝るな。起きろ」


 その声でさすがに目が覚めたのか、眠そうに目を擦りながら言う。


「……あれ? アティアスさま……どうしてここに? ……一緒にお風呂入りたいんですか……?」

「何言ってるんだよ。なかなか出てこないから心配したぞ? 寝るならベッドでな」

「……ええ? わ、わたし寝てました……? ごめんなさい……」


 慌てて風呂から出ようとする彼女を残し、アティアスは自分も風呂の準備をしに寝室に戻った。


 入れ替わりで彼も風呂に入る。

 今日は朝からレギウス兄さんに会ってそのあとノードと。

 昼からは街を散歩して、夕方トリックス兄さんとの話。

 それから何故かプレートアーマーと戦わされてから、ナターシャ姉さんとケイフィス兄さんと夕食。

 更に帰りにはよくわからない侵入者と遭遇した。

 盛りだくさん過ぎて、アティアスもだいぶ疲れていた。


「ふぅ……」


 ゆっくり湯船に浸かると確かに眠気が襲ってくる。彼女が寝てしまったのもわかる気がした。


「……出るか」


 自分も寝てしまうわけにはいかないので,、早めに上がることにした。


 寝室に戻ると、エミリスはすでにシーツにくるまっていた。

 自分も早く寝ようと、その横に身体を滑り込ませる。

 すると先に寝ているのかと思っていた彼女が、くるっと向きを変えて引っ付いてきた。


「ふふ、アティアス様っ。待ってましたよ……?」

「なんだ、まだ寝てなかったのか?」


 彼が言うと、頬を染めて彼女が答えた。


「……だって、初夜ですよ……? 先に寝られる訳……ないじゃないですか……」


 その言葉と表情に、つい、ごくりと喉を鳴らしてしまう。

 それを見た彼女が不思議そうに首を傾げる。


「アティアス様……どうかなさいましたか?」

「いや……エミーが可愛くて、見惚れていただけだ」

「ふふ、ありがとうございます……」


 彼女から笑みが溢れる。


「……アティアス様。ひとつ気になっていることを聞いても良いですか? ……なぜ私を選んでくださったのですか?」


 どうしても聞いておきたくて、彼を見つめて疑問を投げかけた。

 彼は一瞬考えるが、すぐに答える。


「……そうだな。選ばない理由が思いつかなかったからだ」

「選ばない理由……ですか?」

「そうだ。ずっと前からそうだったみたいに、自然に横に居てくれて、俺を助けてくれていて。たぶん、この先もきっと。……そう思うと、エミーが横にいない選択肢があるとは考えられなかった」

「……嬉しい……です」


 彼女は涙を溜めてアティアスの背中に手を回した。強く強く……。

 そして彼の唇に自らの唇を重ねる。


 しばらくそのままの時間が過ぎ、唇が離れたあと、彼がそっと囁く。


「エミー。……本当に良いのか?」


 その言葉にエミリスは、こくんと頷き答える。


「……もちろんです。……私はアティアス様のものですから……」


 ◆


 朝、エミリスが目を覚ますと、すぐ横でアティアスが寝顔を見せていた。

 起こしてしまわないように気を付けてその顔を眺める。


 昨晩のことはもちろんはっきりと覚えている。

 何があっても、今後忘れることはない夜だろうと思う。


 夫婦となり、指輪を貰い、そして……。

 幸せが一気に押し寄せてきた、怒涛の一日だった。


 この先何があっても、この日のことを思い出せば乗り越えられる気がした。


 そして愛しい彼に顔を寄せ、額に軽く口付けし、ゆっくりと目を閉じた。

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