第21話 疲労

 それからの旅も望外に順調だった。


 翌日には小さな村に寄り、食材の調達と宿での休息を取った。

 道中、獣や野党に遭うこともなく、行程の半分を過ぎた。


「うわー、この町は大きいですねっ」


 出発してから一週間経ち、久しぶりに活気のある町――トロンに着いた。

 エミリスは周りをきょろきょろと見回す。時間はまだ昼を過ぎたところだ。


「ここまで疲れただろうから、この町では数日滞在しようと思う。どうだ?」

「いいぜ。酒も飲みたいしな」


 アティアスの提案にノードが同意する。それに呼応してエミリスも手を挙げて賛成した。


「賛成です! ……でも、外でお酒は遠慮します」


 同意が得られたので、まずは宿にて二日分の部屋を取って、荷物を整理し直した。


 ノードは預かってもらうため、馬を牽いて出かけていった。

 その間にエミリスは皆の汚れた服を洗濯していく。量が多くて大変だが、魔法で乾かせるので時間はそれほどかからなかった。


 ――そしてこの宿には大浴場があった。

 エミリスは汚れた身体が気になっていたので、アティアスに断って先に風呂を頂くことにした。

 大きな湯船にゆっくり浸かれるのは嬉しい。


 ◆


「ふわー、疲れたよぅー」


 息を大きく吐き出し、口元までお湯に浸かる。

 アティアスの前では弱音を吐きたくないが、誰も聞いていない今なら少しくらい良いだろう。


 自分の手足に目を遣る。

 ここまでかなり陽射しを受けたはずなのに日焼けはしていない。そういえば以前から焼けた経験がなかった。体質なのかもしれない。


 肩が重い。足もパンパンだ。


 長時間歩くのにもだいぶ慣れてきたが、疲れは溜まっていた。

 アティアス様にお願いしたらマッサージしてくれるだろう……と思うが、当然自分からは言い出せない。なので自分で揉んでおく。


 身体が十分に温まったところで湯船から上がった。


 ◆


 その間にアティアスとノードもお風呂で軽く汗を流していた。


「だいぶ疲れが溜まってるんじゃないか?」


 身体を洗いながらノードが言う。もちろんそれはエミリスのことだ。


「そうだろうな。歩くのは結構体力を使うし、慣れない生活だと尚更だろ」


 野営の時の見張りはアティアスとノードが担当しているので、睡眠自体は十分に取れているはず。

 自分も見張りをと提案してきたが、彼女には食事や洗濯をやって貰うから、ということで説得したのだ。

 ただ、それでも一日中歩いているのだ。余程慣れていないと疲れは溜まる。


「でもゼバーシュまでもう少しだし、ここでしっかり疲れを取れば大丈夫だろ」


 彼女は頑張り過ぎてしまう性格だというのがわかっているので、周りがセーブしてあげないといけない。

 手がかかるところもあるが、ついつい保護欲がかきたてられてしまう。


「後でマッサージでもしてやろうかな……」


 アティアスは呟いた。


 ◆


 お風呂から上がったエミリスは、夕食までの空いた時間に宿の周りでも散歩しようと思っていた。

 ただ、身体が温まったせいか、どうも眠くなってきてしまった。


「エミー、大丈夫か?」


 彼女が大浴場の前のソファでぼーっとしていると、同じく風呂から出てきたアティアスに声をかけられた。


「あっ、はい。大丈夫です。でも少し眠くなってきてしまって……」


 目を擦りながら答える。


「まだ夕食までは時間がある。部屋で昼寝しておくと良い。時間になったら起こしてやる」

「わかりました。では私は部屋に戻ります……」


 エミリスは立ち上がってフラフラと部屋に向かおうとする。それを見ていたアティアスは、後ろからひょいと彼女を抱き上げた。


「うわわっ! 急にどうしたんですか⁉︎」


 突然のことに眠気が飛び、目を見開いて驚く。


「なんとなく、だ。ついでにマッサージでもしてやろう」

「へえっ⁉︎」


 そのまま部屋まで運ばれてしまった彼女は、そっとベッドに寝かされる。


「うつ伏せがいいかな」


 アティアスの言う通りに、ごろんと向きを変える。


「さ、やるぞ」


 アティアスは足先から順に親指を使って解していく。

 以前筋肉痛だった時のマッサージはひたすら痛いだけだった。だが、今日は少しの痛みはありつつも、何とも言えない気持ち良さだった。


「……んふぅ! ふぅっ! ふぁー!」


 力を入れられる度につい声が漏れてしまう。

 こういう感覚には慣れておらず、声を我慢することができなかった。

 それにしても気持ちが良い。それだけ疲れていたということだろうか。


 全身のマッサージが終わると、彼女はまた眠くなったのか、布団の中でうとうとしながら礼を言った。


「ありがとうございます……。すごく気持ちよかったです……」


 そのまま寝かしつけようと彼が頭を撫でると、彼女はゆっくり目を閉じる。

 そして独り言を言うように、ぼそっと呟いた。


「アティアスさま……お願いがあるんですけど……?」

「……なんだ? 言ってみろ」

「添い寝してほしいです……」


 眠気で思考力が鈍っているせいか、自然に希望が口に出てきてしまう。


「……時間もあるし構わないぞ」


 アティアスはそっと彼女の横に滑り込み、仰向けに寝転がる。

 エミリスは彼のほうにごろんと身体を向けると、ぎゅっと抱きつき嬉しそうに微笑む。


「嬉しいです……」


 彼女の頭をそっと撫でる。

 少し経つと、すうすうと寝息が聞こえてきた。動くと起こしてしまいそうで、彼もそのまま目を閉じた。


 ◆


 アティアスはふと目が覚ました。

 周りを見ると、もう暗くなっていた。……自分もだいぶ疲れていたようだ。


 横を見るとエミリスはまだ寝息を立てていた。とはいえ、そろそろ起こさないと夕食の時間が近い。

 彼女の髪を梳くようにそっと撫でると、うっすら目を開けた。


「……アティアスさま……」


 まだ意識が朦朧としている彼女は、すぐ顔の前にいるアティアスを見て呟く。

 そしてそのまま抱きついてきた。


「んふー」


 まだ夢の中にいるようにも思えた。


「……エミー、そろそろ起きろよ」

「……はえ?」


 名前を呼ばれて、はっとする。

 エミリスは明らかに自分から彼に抱きついているこの状況を把握した。

 い、いったい自分は何を……?


「起きたか?」

「あ、あ、アティアスさま……?」


 動揺して声が震える彼女を落ち着かせるように、彼がそっと手を伸ばし、頭を撫でてくる。


「んぅ……」


 それが心地良い。

 しばらく続いたあと、彼が口を開く。


「……さ、そろそろ夕食の時間だ。行くぞ」

「……はい」


 うっとりとした表情で彼女は頷いた。

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