最低から最高になる夜2

「バケモノ......」


 いけないと思いつつも、思わず言葉が出てしまった。

 その瞬間、ソレは顔をこちらへグリンと回し、口を三日月の様に変えた。




 終わった。絶対気づかれてはいけないタイミングで声が出てしまうなんて。

 距離を取りたい。でも、身体が硬直して石のように動かない。


 ソレはこっちを向いたまま、ゆったりと1歩こちらに距離を近づけてくる。

 じりっと自分の身体が後ろに下がった。それが引き金となったのか、バケモノの不気味な顔をこちらに向けたまま、右に左へと人間ではできないような角度で首を回している。


「■■■■■■■■■――!」


「うわぁ!」


 三日月にしていた口を大きく開け、高いのか低いのか良くわからない粘つく声を聞いて、反射的に情けない声を出してしまった。

 鋭いギザギザの歯を見せびらかすようにだし、長い舌をだらしなく垂らしている。


 あぁ。絶対に俺を喰う気だ。どうすりゃいいんだよこの状況。武器になりそうな物は持っていない。素手で迎撃できるような相手じゃないのを肌で感じる。喧嘩なんてしたことないし、格闘技なんかやった事もない。


『詰んだ』脳裏に浮かんだのはそんな言葉。

 漫画やアニメみたいに『覚醒』して奴を倒すことなんかできっこない。


 何一つ成した事はない。後悔が押し寄せてくる。

 学生の時も社会人の時も、仕事や恋愛、部活、友達付き合いとかある程度までできるようになって満足し、『そこそこ』の地位とか関係性で終わってしまうのが俺だった。『普通』の域から出ないように生き、ソレ以上を求めてないかのように振る舞っているのに、本当は『特別』な人間になりたいと思っている矛盾の塊。

 クソッたれな人間性だ。それでも、まだ生きていたい。どうしようもなく死にたくない。


 後ろに逃げるか?いや、後ろに行った所で見えない壁がある。じゃあ前に行くしかない。あぁクソ!今にも飛びかかって来そうだ。

 何とか前に進むしかない。一撃を交わして前に。


 交わして前―交わして前―交わして前―交わして―来た!


「■■■■■■■■■――!」


 ジャンプして飛びかかって来るのを右に避ける。

 よしっ!後は全速力で走るだけだ!



「はぁ、はぁ、っあ!」


 短い距離しか走ってないのに息ができない。けど、後はこの下り坂を降りれば――


「あっ......」


 一瞬で理解した。理解してしまった。

 出口では一人立ち往生している。ソレはさっき通りすがった人だ。

 こっちも見えない壁で塞がっている。そう結論付けるには十分だろう。ソレでももしかしたら。


 走っている勢いのまま口を開く。


「はぁ、出れ、ない?」


 返事を待つ前に勢いそのままぶつかりに行く。このままぶち抜ければ!


「えっ、あっ、そっ、そう、そうです」


 案の定、壁に阻まれ勢いが反転し、尻もちをついてしまう。


「クソ!まじかよ!あぁ、よく聞いてほしい。バケモノがもう来る」


 立ち上がって息が乱れてもお構いなしに隣にいる人に言う。


「バッ、バッ、バババ」


「そう。正真正銘バケモノ。てか、もうそこにいる」



 隣の人は俺ではなく、俺が見ている方向をに視線を合わせた。

 声にならない悲鳴が右側から聞こえた。

 筋道立て話す時間はなく必要なことだけを言葉にする。


「俺は死にたくない。協力してほしい。」


 今正直に思っていることを言葉にした。一人だけだったら確実に諦めていた。二人だったら何とかできる気がする。


「アイツを殺す。石を見つけて用意してほしい。」


 隣の人からは何も聞こえない。俺はバケモノだけを見ている。拒否も了承もいらない。殺す覚悟なんかしていない。それでも殺すと決めた。死にたくない。


「いくぞ!」


 大きな声を出し、俺が相手と言わんばかりにバケモノの前に出る。

 さっきの飛びつきは交わすことができた。俺が対応できるスピードだった。大丈夫だ俺。自身を持て。一撃じゃ死なない。何とかなれクソ!



「■■■■■■■■■――!」


 さっきと同じ飛びつき。交わした。着地したその場所に走る。低い背中へ向けて目一杯力を込め足を振り抜く。死ね!


 硬い。蹴った足が痛い。

 バケモノはこちらに背を向け少しよろめいている。


 俺はその小さい背中に見ながら首めがけ右手を伸ばす。チョークスリーパー。友達とのじゃれ合いで幾度となくやる技。本気で力を入れるわけがない、じゃれ合いで済ませる技。


 上手く首元へ俺の肘が入ったのが分かった。

 思いっきり右手で首を締め上げる。


「■■ッ...■■...■ッ...」


 クソッ!後ろから首を締めてんのに思い切り身体が左右に振られる。不気味な声は断続的になったものの、依然として状況が変わらない。



「おいッ!まだか!早くしてくれ!」


 どこにいるかも定かではないが、思いっきり叫ぶ。頼む、このままだと俺が死ぬ。

 力を入れ続けていた腕が疲れてきたのがわかる。もう持たない。


「どっ...どうすればいい!?」


 こぶし大の石を持ってる。けど、右往左往するこのバケモノに当てられない。


「この...倒れ...ろ!」


 技もへったくれもない、足を引っ掛け、ただ力任せにバケモノを前に倒す。


「はっ、早くコロせ!」


「ひっ...や、う...」


「早くしろ!頭めがけて振り下ろすだけだ!」


 口ごもって身体を震わせている男にイライラする。早くしないと俺が死ぬ。俺の力で抑えてはいるものの、いつ抜け出すか分かったもんじゃない。


「頼む!」


「うわぁぁぁぁ――」


 男が石を振り下ろした。それに続く鈍い聞いたことがない音。顔につくナニかの液体。目の前で起きている事が視覚以外の部分でも感じられた。

 しかし、それでもバケモノの力がなくなっていない。


「もう一回!もう一回だ!」


「うらぁぁぁ――」


 今度はぐちゃりと聞こえた。ナニかを潰す音だ。バケモノの力が弱まった。

 首を締めていた右腕を外し、高く腕を伸ばしそのまま――


「死いぃねクソがぁぁ!」


 拳が気持ち悪いゾッとする感覚を抜け、ドコかにぶつかった。痛い。

 ビクッとバケモノの身体が痙攣した。すでに力は抜けている。


 殺した。多分死んだ。動かないよな...。恐る恐る乗っかっていた身体を、降りて地面に座る。心臓が痛い。手足が震える。

 隣に座り込む音が聞こえた。男だ。その男も俺と同じで震えて呼吸が荒い。手に持っている石は固く握り込まれたままだ。


「た、助かった。ありがとう。あと...大声出してごめん」


「ど、ど、どういたしまして」


「石握ったままだけど大丈夫?」


「くっ!はっ...離せない」


 未だに固く握り込まれたままの手を、指1本づつ解いていく。1本、2本と解いていくうちに力が抜けていってる。俺も大変だったが、この人も大変だったんだなと気づいてしまった。そりゃそうだよな。生きるか死ぬかの戦いだった。


 自然と頭が下がる。


「本当にありが――!」


 バケモノから音がした。急いでそちらを見て、身体を立ち上げた。


 バケモノから黒い霧のような物が噴出し、バケモノの身体が薄くなっていっている。

 なんだこれ。徐々にだが確実に消えようとしている。


「あっ、え?なん...だこれ?」


 目の前の現象が分からない。なぜ消える?てか、コイツはいったい何なんだ?

 今になって一連の現象に混乱している。


 そして、バケモノは完全に消えた。



「ごめん。もう訳わかんなくてなんて言えばいいか...。とりあえず、本当に助かった。ありがとう」


「ぼ、僕の方こそありがとう」


 自然と伸ばしていた手で握手をした。手が冷たい。俺の手も多分冷たいはず。

 あぁなんだろう。凄く心地が良い。名前も知らないはずなのに、信頼している。幼馴染のように感じている...。


「あっ俺、真田さなだ 雄一ゆういち。多分今後とも宜しく」


 この出会いはきっと『運命』だろう。そう思ったから『今後とも』なんて言葉を使った。これから何もなくても『友達』になっておきたい。


「あ、うん。宜しく。僕は村上むらかみ 一輝いっき。何とかなって本当によかった」


「俺もそうおもうよ。てか、喉乾いたから飲み物買わね?」


 道路を挟んだ自動販売機に指をさす。一輝は大きく頷いた。




 静寂が包む中、俺と一輝の足音だけが辺りを響かせる。ゆっくりと俺の歩幅に合わせるよう一輝は隣にいる。

 自動販売機の前まで行くと光が痛く感じる。財布を取り出し、小銭が500円玉だけあり、ソレをいれる。


「あ〜、何飲む?俺ペカリ」


 ペットボトルタイプの飲料水を選ぶ。ガシャンという音と共に落ちてきた。ソレを取り出し、次に落ちてくるのを待つが落ちてこない。一輝を見るとまごまごしていた。


「あぁ〜ごめん。奢るから一緒に乾杯しようぜ!」


「あ、うん。あ、ありがとう。じゃあ同じので」


 落ちてきたペカリを一輝に渡す。


「じゃあ、生き残った事を祝して乾杯!」


 蓋を開け、ペットボトルをぶつける。口に入れた瞬間もう離せなくなった。

 美味い。美味すぎる。キンキンに冷えたペカリが喉から食道を通ったのが分かる。気持ちいい。圧倒的に気持ちいい。


「ぷは〜。やべぇ、美味すぎる。あぁ〜、俺生きてるわ」


 笑っちゃう。もう言葉が出て来ない。

 隣を見るとまだ飲んでる。もう半分以上飲んでる。


「お、おい、飲みすぎ!のーみーすーぎ!気持ちは分かるけど、少し話しながら飲まねーか?」


「っは。ご、ごめん。つい...」


「いや、なんつーの。落ち着かせながら状況っつーか、事態を把握したいっつーか。まぁなんだ、もっと会話したいんだよ」


「あーうん。なに話す?」


「あー、あのバケモノについて何か知ってる事ある?」


「んー。ないと思う。」


「だよなぁ。人間じゃないのは間違いないし――」


 背後からピカッと光りが貫通した。思わず身構えたが、ただの車だった。静かな排気音が響き、何となく通り過ぎるのを待つ。


 待つ。待つ。待つ。あれ?通りすぎない。俺らの隣に車を止まってる。えっ?なんで?緊張感が高まる。


 ガチャと音がし、運転席から誰かが出てきた。自販機で飲み物を買うために出てきた線は薄いだろう。となると、用があるのは俺らか。いつでも逃げられるように身体に力を入れるのと同時に一輝へ逃げる準備をしろと耳打ちしとく。


 ドアの閉まる音がし、コツコツと革靴の音がこちらに向かってくる。

 自販機の光で相手が見える。高年の男。スーツを着ている。



真田さなだ 雄一ゆういち村上むらかみ 一輝いっき。おめでとう。君たちを歓迎する。私達は『退』だ」





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