SA 34. 知らない記憶
背もたれのない丸椅子に腰を下ろし、店内をぐるりと見渡す。
暗めの照明、雰囲気のある控えめな音楽、陽気に笑うカジュアルなオフィス人たち、なんの変哲もない、ごくごくありふれたバーである。なんとも思わないはずの光景に対して、これは違うなと感じる記憶がある。
明るい空間だった、音楽などかかっておらず、きちんと着込んだ人から浮浪者までもが集い、身分の壁もなく語らっていた、ような気がする。匂いもそうだ。酒臭くはなかった。もっと芳しい、落ち着く香りが立ち込めて――。
違う、とダンは首を横の振る。体をカウンターへと向き直し、食べかけのピザを手にする。それは随分と冷えていた。
店のドアが開き、賑々しい店内に軽やかなベルの音が溶けた。
カウンター内の店員がそれに気付いて来客に声をかける。その姿が見知ったような、見知らぬような男とかぶる。
「いらっしゃい」
――おかえり。
店員の声に知らない男の声が重なる。どこか懐かしい声だった。
ダンはピザを皿に戻し、ビールに口をつけた。温い炭酸を飲み下し息をつく。そして沈黙するスマートフォンを指で叩いた。
「捨てないで、か……。そう言ってくれれば良いのにな」
捨てたのも、離れてしまったのもこちらだというのに、あの時のように「行くな」と言って縋ってほしかった。
思わずこぼれそうになった自嘲に、ダンははてと内心首を傾げる。
なぜ自分は自身を嘲りたいのか。自分は隊長を裏切ったことはない。縋られたことはない。自身を嘲りたいのは誰の感情か。
しばし黙考し、どうでもいいかと投げ捨てる。誰のともしれない感情と、ダンが抱く感情に相違がないのならば問題視する必要はない。
店のドアベルがまた鳴り、
「ダーン!」
サラが殊更明るい声で駆け寄ってくる。
「酒を飲んでいたんですか?」
彼女と連れ立ってきたアンジェラが顔をしかめた。「これから聞き込みなのに」と小言を漏らす。
ダンはジョッキに残ったビールを一気に飲み干し、カウンターに静かに戻した。
「夜の聞き込みなら酔っていた方が自然だろう」
それでもアンジェラは何か言いたそうに恨めしそうに彼を睨みつけはしたものの、結局のところ立ち位置的には上であるダンに何も言うことはできなかった。
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