SA 17. 表情筋不全男

 じりじり待つこと約一分。突然、人の波がさっとなくなった。どうしてか皆々足早になっている。開いてしまった場所が立ち入っていけない場所のように避け、ある者はビルの壁に肩を擦りつけながら行き、またある者は車道に下りて行く。

 不自然な空間に首をひねるサラ。ダンは我動じずと腕を組み、周囲同様に不自然な空間が終わるのを待つ姿勢をとる。

 されどここに不可侵の空間に飛び込まん勇者がひとり。まさに好機と喜びいさんだアンジェラである。

 周囲が目を丸くする最中、大股に一歩を踏み出し、サラを引っ張り、「ついてきてください」とダンを促し——、不自然空間の主に体当たりをかました。

 よろめくアンジェラをサラが受け止める。すると頭上から舌打ちが落とされた。音の太さから男だろうか。周囲の人々の流れがにわかに早くなった気がした。。

 見上げれば、予想通り男の、冷徹な灰色の目が見下ろしてきていた。それはおおよそ人間の熱が感じられない眼光。舌打ちをしたということは、感情の持ち合わせはあるのだろうが、怒りも苛立ちも見えない、表情筋が機能を放棄している。仏頂面が十八番のロードでさえもう少し人間味のある顔をしている。

「あ、っと……」

 サラは言いよどみながら、彼の右手をちらりと見る。

 男はしきりにジーンズのポケットをさすっている。ポケットの膨らみは目立たないが、ジーンズが右側へわずかにずり下がっていた。

 男のすぐ後ろには仲間と思しき男たちが四人くらい。表情筋が不全を起こしている男に比べてまったくもって人間味溢れる一般男性たちだ。

 表情筋不全の男が口を開く。喉仏が動く。

「ごめんなさい!」

 喉を絞って普段よりも高く、けれど幼さを強調するように丸みを帯びさせ、声を張り上げた。周囲の流れが止まる。頭も勢いよく下げれば周囲が「何事か」とお互いに囁き合う。

 サラは小柄な方ではないが、隣にいるアンジェラや目の前の男よりは小さく、ダンも入れると小柄に見えなくもない。

 と、そこでサラはダンの気配がないことに気付く。近くにはいるだろうと思うけれども、むしろ女二人になれば都合がいい。

「突然飛び出してしまって……、怪我とかありませんか……?」

『私はしおらしい小動物』と呪文のように胸中で繰り返す。言葉尻は意識して消え入りそうに弱々しく、声の端々に反省しています感を出しつつ、被害者を気遣える良い子ちゃんアピールも忘れずに。

 表情筋不全の男がまた何かを言おうとするも、

「すいません。私がちゃんと前を見ていなかったばかりに……」

アンジェラが参戦、深々と頭を下げ、男の出鼻をくじく。

 表情筋不全の男が忌々し気に顔をゆがめた。表情筋が緩和されたらしい。

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