帰還のご挨拶
それは、風の穏やかな、暖かい日にやってきた。
「やっと見付けた。公園なんぞで缶コーヒー片手に何をたそがれてたんだよ、浩毅」
「たそがれてないって。今日は天気が良いから日向ぼっこしてんの。ていうか、なんでカストが日本にいるんだ?」
「リックにヘルプ頼まれたんだよ。豪よりの東南だったからさ。この後、仕事の予定も入ってなかったから、こっちに寄ってみたんだ。それよりレオはどうした?」
「家でお昼寝中」
「ふーん、なるほど。この陽気じゃ仕方がないか」
「だろ? 春の天気は犯罪級。かくいう俺も眠い」
「家に帰れよ」
「うーん、俺は繊細だから、テレビの音がうるさいと寝れないんだ」
「……そういう事にしといてやるよ」
「そりゃどうも。それよりそれ、公園近くにあるコーヒー店の紙コップだろ? 仏にいる時から思ってたけど、お前ってコーヒーも飲むんだな」
「んー? どっちかっていうと俺はコーヒー派だな。うちの国は紅茶が主流っちゃ主流だけど、カフェもあるし」
「へぇ、紅茶がアイデンティティだと思ってた」
「それいうならお前のとこだって、緑茶を飲める場所よりコーヒー店が多いだろ。文化ごと捨てたんじゃないのか?」
「残念、飲食店とかだとお茶は無料提供が一般的なんだよ。お金を出して飲むお茶は高いお茶。今度飲み比べてみるか?」
「…………いいや、どうせ渋いだけだろうし」
「渋いって言うけどさ、紅茶の方が渋くないか?」
「いや、緑茶の方が渋い、断言する。紅茶は渋いがギリ飲めると言った他の奴らが、飲めない渋さと表したのが緑茶だ」
「そんなに渋いかなー。みんなして渋みに弱すぎなだけじゃねえの?」
「渋いことは断言しよう。だが、まあ、弱いっていうのもなくはないんじゃないか。慣れてないっていうか、拒絶してるっていうか」
「どういうこと?」
「昔の影響って言えば分かるか?」
「昔? 研修時代ってことか?」
「それよりももっと昔だ」
カストは含み笑いを浮かべるばかりでその心の内が判然とせず、浩毅は眉間にしわを寄せた。
浩毅は人が到底持ちえない二百年間もの記憶を有しているせいか、人の感情や考えを読み解くことに長けていると自負している。柏木浩毅として生きてきた中で出会った人達で、その感情を読み誤ったということは今の時点ではなかった。それは腹に一物を抱える者が多い特務隊各班のリーダーたちと対したときも言えたことだったのだが、今まで読めていたはずのカストの心情がまったく見えない。
余程難しい顔をしていたのだろうか、カストが小さく噴き出した。
「お前は察しがいいだろ。本当は気付いてるんじゃないか?」
その言葉に心の奥のさらに奥、心底に叩き落として封じた感情が動き出そうとする。
有り得ないと初めから切り捨てていた予想が急速に浮かび上がる。胸の詰まる喜びと恐怖が一挙に押し寄せ、心臓が浅く、早く、脈を打つ。
「どういう、意味だ?」
時代の激流に呑まれ、流され、守りたかった仲間に置いて行かれ、ただ一人生き残った。誰も守れはしなかった。
その時、二百年前の浩毅は――ウォルターは悲しみと寂しさのあまり、異形の何かと『契約』を交わした。
――もう一度だけでいい、仲間に、彼らに会いたい
しかし、そんな『契約』はエゴでしかなかったと、早い段階で気づいてしまった。いや、気付かされたと言った方が正しいのかもしれない。
仲間たちには会えた。でも、誰も自分を覚えてくれていない。それどころか無意識に拒絶をしている。なにより、最も会いたかった者たちとはどうしても会えなかった。
探しても、探しても、どこにもいなかった。生まれていないのかという疑念は、探し足りないという焦燥になり、やがて他の仲間以上にウォルターを拒絶しているのではないかという絶望へと変容していった。
長い時を経て、孤独と絶望の最中、ある時、ウォルターはようやく気付いてしまった。
『契約者』であるウォルターは、異形の何かに魂を握られた。それは理解していた、覚悟もしていた。しかし契約は、契約内容に含まれる彼らや他の仲間たちの魂さえも縛り、二百年前と変わらない業を彼らに押し付け続けたているのだ、と。
それならば、仲間に、彼らに恨まれてしまうのは仕方がない。憎まれるのすら受け入れなければならない。けれど――。
「とぼける気か?」
今生で初めて彼らに出会ったとき、気付いてほしくなかった、思い出してほしくなかった。自分の行いはきっと受け入れてもらえない。現に記憶があると申告してきたハルは嫌悪を見せた。
また嫌われる、憎まれる、拒絶される、軽蔑される、一人になってしまう。仲間からの嫌悪なら耐えられる、慣れている。けれど、彼らからの拒絶は慣れていない、耐えることができない。
浩毅は呻くことすらできない。カストの目から逃げることもできない。
「なら、答えやすくしてやるから、ちゃんと答えろよ」
カストが目を細くする。
拒絶される前に、何かを言わなければ。何を。なんと返せばいい、とぼけ続ければいいのか。考えがまとまらない。
胃から熱いものがせり上がり、喉が熱を持つ。自分の唇の裏を強く噛んだ。
カストの唇がゆっくりと動く。
「ただいま」
浩毅はきょとんとした。
「は?」
カストの眉間に珍しくしわが寄った。不機嫌、いや、拗ねているような顔だ。
「二百年前に言っただろ、『いってきます』って。俺は、帰って来たぞ。返答は?」
彼の目尻が赤くなって、目つきが鋭くなる。
いつも頼りにしていた青年は、今や寄る辺のない子供になって、怯えながらも必死に手を伸ばしてきていた。
その手を取っていいのだろうかと迷った。ハルから話を聞いて、からかっているのではないかと逡巡し、カストの目尻の赤味が深くなったのを見て、噛んでいた唇から歯を離した。
今まで誰かの感情を読み間違えたことはない。今も、読み間違えはしないだろう。冷静にカストの表情を分析する思考と、直感が同じ答えを出したのだから、間違うはずがない。
「ずっと巻き込んで、ごめんな」
本当は気付いてほしかった。思い出してほしかった。傲慢にも許してほしいと願った。
長い時をかけ心の奥底に押さえつけていた感情が、押さえつけすぎて凍てつき、二度と解ける事はないと諦めていた想いが、どんどん溶けて溢れ出す。
開いた口の端に塩気を感じる。唇が小さく震える。
カストがいよいよ泣き出しそうな顔をした。
顔に当たる風が冷たくて、
「――おかえり」
頬が少しだけひりついた。
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