頑固者

 先程からエリカが熱心にスマホを弄っている。女仲間とチャットのようなアプリでやり取りをしているのだという。

 こんな職業柄、誰かと常に繋がっていたという気持ちは分からないでもない。大切な人ならばなおの事、その無事を確認していたい。

 リックは横目に彼女を一瞥し、自嘲した。そして手にあるスマホからメールを起こし、専用の受信箱を開く。二度ほどスライドさせれば目的のメールがひょっこりと顔を出した。

 それは、彼が初めて送ってきたメールだった。


******


 人がひしめく東京の都心を抜けて電車で一時間も行くと田舎となる。何も、一面畑だとか、夜になると人影のなくなるといったような田舎ではない。都心部に比べれば田舎なだけだ。

 リックは駅前広場から左斜めに伸びる道に向かった。都心と違い、高くても四、五階くらいの建物ばかりが連なる大きめの道路を進む。外灯もあって暗いとはおもわないが、空を見上げれば夜も遅いためか建物の明かりはほとんどが消えおり、地上よりは夜らしい顔を見せていた。

 リックの足に迷いはなかった。

 駅前広場から斜めに伸びていた道が行き当たったのは、夜も深まる中、一般車両やタクシーがまだまだ元気に走り回っている大通り。

 リックは大通りを左に折れ、建物を二つばかり通り過ぎ、馴染み深いファーストフード店の前に立つ。大通りも夜にしては明るさを保っていたが、この建物だけはその明るさの中にあっても、一際光を放ち、とても浮ついて見えた。

 店内に入ると少し疲れたような挨拶がかかる。狭い店舗一階には若者が多くいるが、お目当ての人物は見当たらない。リックはコーヒーを一杯だけ頼み、二階へと上がった。

 一階ほどではないが、二階にも若者がちらほらといた。しかし、やはり腐っても都会の一角だけのことはある。異国の者が現れきょろきょろと周囲を見回していたところで、一切目を向けやしない。

 フロアを見回して、ようやく見付けた姿に一息つく。

リックの探し人はカウンターの端で、腕を枕にうつぶせていた。

「こんばんは」

 そう声を掛けると、探し人は首をもたげ、ゆるりと振り返った。眠たげな黒い眼が徐々に見開いていく。

「えっと……、リックだったか?」

「正解」

 リックは、彼――柏木浩毅の隣に腰を下ろした。少しだけ浩毅が身を引いた。

「レオから連絡があったんだよ。浩毅が帰ってこないって。とりあえず、連絡は入れさせてもらうから」

 そう言うと、浩毅は伏し目になり、すぐにまたカウンターに突っ伏した。

 リックはスマホを閉じた。

「家に帰りたくないのか?」

 浩毅は答えない。おそらく拒否はされていないと思う。比較的付き合いのあったカストが言うには、人との距離を掴むのに少し時間を要する性格だけなのだという。

どこまで踏み込んでいいのか、何がその人の怒りを買うのか、そして自分を対象として好意的な人、関心のない人、嫌っている人、そんな風に親しくなる前に彼の中でふるいにかけられ、結論を出して壁を作ってしまうのだという。

「別の住居を手配してもらうように頼んでみようか? レオとなら大丈夫だろう?」

 そして、浩毅の選別は大概において外れたことがないらしい。どれだけ上辺を繕い彼に優しく接しようと、瞬時に見破り自身を嫌っている人の望む人物を演じ出す。余計な軋轢を生まないための、いわゆる処世術というものだ。

 彼の演技に気付かずに、なおも悪意をぶつけてくる輩が傍にいて、居を共にしているのだから休まることもないだろう。

 浩毅は腕枕に額を一度強く押し付けてから顔を上げ、

「いや、いいよ」

 そう、困ったように笑って提案を蹴った。

見るからに無理していますと表情が訴えてきているのは、察して助けてほしいと甘えられているのか、迷惑はかけられないととらえるべきか。

「……そっか」

 前者であると思いたい。けれど、後者の思いがまったくないとも断定ができない。どちらにしても、ここでリックが強く言ってしまえば、浩毅はきっと「それは違う」と拒絶して、身を引いてしまうだろう。そして、すぐさまリックが望む人物を演じだすに違いない。それだけは避けたかった。ならばリックが今、取れる行動は無理強いをせずに引くということのみ。

 リックはカウンターの窓越しに外を見た。上から見下ろす形をとると、大通りは思っていたよりもずいぶんと明るく、道路を挟んだ向こう側の歩道まで筒抜けだった。どこかの五、六人の集団が歩いている。遠目に酔っているのが分かる。

 まだ待ち人は来ないようだ。

「それにしても、春の終わりだっていうのに外は暑かったな」

「日中はもっと酷かった。気温二十七度、今もそれぐらいかな」

「寝辛そうだ。体調は崩したりしてないか?」

「今のところは」

 短いやり取りであるが、言葉はよどみなく続き、浩毅のリックに対する態度はカストやフレッドに接する時のものに似ていることに安堵する。それと同時に、やはり先ほどの提案に対する返答が、迷惑をかけたくない思いからの言葉だったのかと分かった。

 難儀な性格だ。

「ロード達は加州にいるらしいけど、あっちも暑くて大変だって言っていたよ」

「うん、この前アルから全裸の写真が送られてきた」

「……何をやってるいるんだ、あの馬鹿」

浩毅は密かに笑う。

「この間は伯国に雪が降ったってメールが来てた」

「サラから?」

「うん、あの女の子と男の子」

「男の子?」

 サラと組んでいるのはダンだ。だが、おおよそ男の子と表現していい風貌ではない。南米担当は彼女ら以外にもいるし、ダンの部下という線もあるから、浩毅の知らない組織の人間かもしれない。

 しかし、その考えをリックはすぐさま否定した。

 相手はサラだ。適当な相手とツーショット、しかも送信先が浩毅とくれば否定をせざるを得ない。

 浩毅が何やらごそごそと動き、おもむろにスマホを取り出した。

「ほら、この子」

 スマホ画面に映っていたのは満面の笑みのサラと、少し強張った笑顔を見せるキラだった。

「ああ、こいつはキラ。大洋州の担当だ。この二人は子供っぽいところがあるから、返信してやると喜ぶぞ」

 浩毅から気の抜けた息が漏れる。きっと返信ができなかったのだろう。

 英会話は本場出身のカストとフレッドから仕込まれたおかげでものにはなっているが、あいにくと、この少年はメールも電話も苦手ときた。そもそも、会話中心に教えていたせいもあってか単語を覚えていない。本部からの連絡に支障がないのかと思えば、レオの検閲が入るから今のところ問題がないらしい。

「あと、ロードは分かるか? ダンは?」

 困ったような顔を向けられ、リックは浩毅のスマホを拝借した。おそらく、彼の勘が正しければ入っているはずだ。

断りを入れて写真を遡っていけば、果たして、お目当ての画像は見付かった。

「この金髪猫っ毛で目付きの悪い奴がロード。それで、その斜め横にいる茶髪の短髪がダン。カストは分かるだろ?」

浩毅に見せたのは在仏中にアルが撮った一枚だ。当時は消せと三人に迫られていたが、浩毅に顔を覚えてもらうためだの一言で保存、送信されたものだった。まあ写真だけを送られても困惑するだけだろうとは思うのだが。

「この二人は滅多に連絡を寄越してこないけど、ちょっと心配性なんだ。体調を気にしてきたら一言でもいいから返信してあげてほしいな。じゃないと胃を痛めそうとか本当に思う」

「あらま」

「特にロードはアルっていう馬鹿がいるしね」

「あー……」

 アルが馬鹿というのは納得してくれたらしい。

 まあ、馬鹿とは言うが、アルの馬鹿さは計算された馬鹿だ。言うなれば、馬鹿を演じているといって良い。流石にそこまで暴露してしまったらアルが可哀想なので伏せておくが。

「逆にアルのメールは無視していい。一々付き合っていると際限がないから、暇つぶし相手って思っておけばいいかな」

「それはレオにも言われた」

 流石レオ、抜かりがない。

 噂をすればなんとやらで、窓の向こうにようやく待ち人の姿が見えた。リックが付いているのを知っているから、随分とのんびりしている。

 浩毅も彼に気付いた様子で、申し訳なさそうにさらに眉尻を下げていた。

「……それと」

 浩毅が首を傾げる。

「もし少しでも辛かったら、俺に言ってほしい。他の奴らは皆そうしているからさ」

「……お前はカウンセラーか何かか?」

 目を丸くする浩毅に、リックは小さく笑った。

「副長のロードがあんな見た目で、性格もまあ気難しいというか、取っ付きにくいからかな。そういう役目はないんだけど、自然と俺に集まってくるんだよ」

 浩毅はいまだスマホ画面に映る画像を見て、微かに笑った。

「リックは優しんだな」

「優しいというか、一人だけ辛いっていうのが嫌なのかもしれないな。逃げ場所がないっていうのは、悲しいだろう」

「……やっぱり優しい人だよ」

 店の前まで来たレオが不意に顔を上げてきた。彼の表情が微かに崩れ、どこかホッとした様子を見せる。リックが手招きをしてみれば、すぐにぶすくれて店内に向かって姿を消した。

「帰れるか?」

「……頑張る」

 予想通りの返事にリックは内心で笑った。本当に手強い人だ、と。

「そうか。……浩毅、一つ、俺のわがままに付き合ってくれるか?」

「わがまま?」

「そう、仲間の情報提供の代わりってことで、聞いてほしいんだ」


******


『俺は元気です。今日も暑かったです』

『今日は雨でした』

『レオが外で寝たので蚊に刺されました』

 専用の受信箱には、定型文を貼り付けたような文が並ぶ。それも長くて三行。単語の間違えも多い。だが、浩毅は律儀にリックとの約束を守ってくれている。

――一日一通、メールをしてほしいんだ。くだらないことでもいいから――

 メール交換の仕方とか、添削をしてやるだとか、もっともらしい理由はいくつか考えたが、浩毅は何も聞かずに頷いた。

 約束をしたのが春の終わりころ。今は晩夏だ。

 メールを現在に近づけていけばいくほど、文章は長くなり、近況が詳細になっていく。他の面々の名前が出てくる頻度も増えた。最近では、ふざけた内容のものもある。一日に二、三通も届く日もあった。ある日、黒光りする昆虫の写真を「初めて見た!」と歓喜の題名で送られてきた時は、心を許してくれたことを喜ぶべきか、変なものを送るなと怒るべきか悩んでしまった。

 リックは肩を落とすと、スマホを暗転させた。黒い画面に泣き笑いをしている自身の顔が映る。

「頑固者が」

 長い履歴、定型文からふざけた内容の数あるメールの中、弱音をつづったものは、未だに一通としてなかった。


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