決して離れない

 探していた人物は、住宅街のはずれにある小さな公園にいた。

「浩毅」

 そう声を掛ければ、俯いていた顔がゆっくりと持ち上がる。眠たそうに、半分ほど瞼の下がった眼は、しかし、ちゃんとレオを捉えていたようで、

「よお」

 そう気だるげに片手を上げて、挨拶をしてきた。

 濃い紫色の、藤というつる性の花がまきつくパーゴラ。その下にある古びたベンチに座って、彼は船を漕いでいたようだ。この今にも泣きだしそうな曇天の下、人けのないみすぼらしい公園で、彼はどうしてか寝ようとしていた。

 レオが歩み寄って行けば、浩毅は軽く腰を上げて少しだけ端に寄る。つまりは、まあ座れ、という無言の催促。

 レオは隠しもせず溜め息を零すと、すとんと空けられたその場所に腰を落ち着けた。

「何やってんだよ」

 そう問えば、浩毅は薄手のジャンパーの襟に顎を埋めて、声もなく笑った。

「雨が、降りそうだったから」

 意味が分からない。

 確かに雨は降りそうだが、それならば部屋にいるものだろうが。まして今は季節の変わり目で、この免疫力が弱いと仲間内で認知されている男がほいほい出歩いて、あまつさえ外で寝ていいような時分じゃない。

 目で訴えれば、浩毅は一瞥を寄越し「大丈夫だ」と言ってまた笑う。

 口には出さずとも、浩毅は他人の機微に敏い。読心術でも心得ているのかと思えるほどに、他人の内をよく悟る。

 けれど、逆に浩毅は他人に自分の気持ちをさらさない。組織内で、腹の内が読めない人物は、豪州のカストに欧州のフレッド、米州のアルが上げられるが、レオとしては浩毅もその中に入ると思っている。ただ、腹黒く強かな三人とは違い、浩毅は虚勢を張るから読ませてくれないのだ。だから今も、彼が何を考えて、何を思ってこの場にいるのかレオには計り知れない。

 と。

「お、降ってきた」

 ぱたり、ぱたりとまばらな雨粒が空から落ちては、藤の葉を叩く。ここ最近、初夏並の気温が続いたために、乾いていた大地に斑の模様が増えていく。

 舞い上がる埃。小雨だというのに、摩天楼と言われるこの日本の大都会がけぶるのは、それだけ埃が溜まっているからなのだろうか。

 雨粒が藤の花に弾け飛ぶ。雨に打たれる花弁はその色をいっそう深めて、朧となった景観の中、唯一、その姿を鮮明に浮かばせる。

 ぼんやりとその様は眺めていると、不意にレオの鼻孔に触れるものがあった。

「……臭い」

「そうか? 俺はこの匂い好きなんだけど」

「都会にいすぎて鼻が捻じ曲がったんじゃねーのか?」

 幾度となく嗅いだことのあるこの臭いを良いものだと捉えたことが、残念ながらレオにはない。超大国の掃き溜めで育ったために馴染み深いとは思うが、好んで嗅ぎたいとは思わない。そんな臭いだ、これは。

 横目に浩毅を見遣れば、またおかしそうに笑っていた。

「それにしても、やっぱり藤いいわー。癒される」

「そうか? 雨に濡れている花なんて惨めなだけだろ」

 防ぐものなどなにもなく、空から落ちてくる水の弾丸に打たれるがままにさらされ、項垂れて、弱った花弁から埃まみれの地へと落ちていく。場所が悪ければ道行く人間たちに踏みつぶされて、アスファルトのしみにすらなる。

 無様。それ以外に何も感じはしない。 

「きらきらして綺麗だろ? 俺は好きだ」

 仰ぎ見る藤は空模様と同じ、どんよりとした表情をしている。泣いているようにすら感じた。

「目が悪いんじゃねーの。俺には理解不能だ」

 こんな惨めな花の何に癒されるというのか。というかいつまでここにいる気だ。葉の間から水滴がぽつぽつと落ちてきてうっとうしいのだが。

 レオの無言の訴えに、浩毅はレオを一瞥すると眉を下げ、

「もうちょっとだけ」

 と謝り、そして愛おしそうに藤を見詰める。

 レオは溜め息をついた。

「後一分な」

「了解」

 押し問答で無駄に時間を費やすよりも、言質を取った方が早い。

 レオ自身、欧州のキラではあるまいに、花を愛でる趣向はなく、はっきりいって見ていてもつまらない光景で、雨天ということもあってとっとと帰りたい気持ちが強い。

 しかし、何故か濡れそぼる花を眺める男がそこに癒しを見ているのならば、その平穏を壊す気など毛頭なく。

 できればこのまま細かな雨で降り続いてくれることを、信じもしない神に祈るばかりであった。

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