誕生日
「ダーンー」
カーペットに座り、ローテーブルで何やら作業をしていたサラに、子供のような間延びした声で名を呼ばれる。
子供っぽい性格だと言われやすい彼女であるが、実質、かなりの大人である。相手を観察し、どう転がせば己の得になるかというのを若干十六歳にして心得ている。傍から見れば、コロコロと態度の変わる気分屋とそれを当人に感づかせない手腕すらものにしている。
もしここが自分たちの借りている居住スペースではなく、仕事の場であったのならば、彼女の表情、声の抑揚をつぶさに観察し、その心の内を測らなければならない。そして、それを推し量り、彼女をサポートすることが、組織や特務隊隊長から自分に与えられた任務である。
だからつい構えてしまったが、
「ダンってば」
こちらを振り返り、頬を膨らませる彼女を見て、張っていた肩から力が抜けた。表も裏もない、純粋に拗ねた顔である。
「どうした?」
「ダンの誕生日って四月のいつだっけ?」
「十日だが」
答えてやれば、彼女はさっさと作業に戻る。
何をしているのかと思い、ソファーから腰を浮かせて彼女の手元を窺う。何やら小振りなノートに書き込みをしている。そのノートの枠組みや数字の羅列を見るにカレンダー、ならばこれは手帳か。『10』と記された列に『ディーゴの誕生日』となかなか流麗の字で書かれている。ちなみにディーゴとは、電話口で隊長が俺を呼ぶときに使用する呼称だ。サラはアメリアと呼ばれている。
それはいいとして、サラが誰かの情報を紙上に起こすとは珍しい。情報漏洩が命取りになりかねない職種であるために、そういうものを忌諱していたはずなのだが。
「……これ、日本のか?」
数字の近くには見慣れない一つの単語。アルファベットではない、少々角ばった文字は、広い海を渡った向こう側の大陸、その限られた国々が使っている文字だった、はず。
果たして――。
「クリスマスの時に浩毅が欲しい物あるかって訊いてきたから、あの猫のグッズなら何でも、って言ったら送ってくれたの」
いや、まあ、予想通りだったのだが、それで何故手帳なのかとアイツに訊いてみたい。
サラが手帳に予定を記するなど、そんなまめっちい事をするようなたまではないのは、承知のはずだ。それに重ねて言うが、予定などを個人的にでもあれ、紙面に記せるような職業でもない。この猫の類ならば他にもいろいろあるだろうて。
アイツが組織に入って日が浅いとは言え、レオ辺りが止めてもいいのではないかと、いや、レオはレオで興味なしで助言すらしなかった可能性が高い。
「お前ってこの猫が好きだったのか?」
キャラクター物など、持っている所を見た事がない。持っていても不思議ではない年齢だが、コイツの性格を鑑みるに、そんな女々しくファンシーな物を嬉々として持つとは到底思えない。
本当は好きだけど、周りの男連中に馬鹿にされるからひっそりと楽しんでいるなんて殊勝な性格でもない。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきりと区別する、それがサラ・フィルトンという女だ。
サラは苦い顔をして呻いた。
「……いきなりだったから、焦って……、なんか、こう女の子っぽい物の方がいいのかなあって思って」
案の定、打算しまくりの答えが返ってきた。
「それでその猫か」
「ちょうど見てたテレビに出てたから」
アイツは同性ならば躊躇いもなく、どうでもいいことで電話を掛けてくるというのに、異性には掛けたことがないらしい。情報源はレオだ。この間、携帯を何故か盗み見て、何故かアルに連絡し、それが組織の男全員に知れ渡った。
それで判ったのが、アイツは比較的仲が良いサラにですら自ら電話を掛けたことがなかったという事実。結構な頻度で連絡を取り合っているように思っていたが、いつも彼女から連絡を付けているらしかったのだ。だから、初めてアイツからかかってきた電話に、取り乱すことのないサラの不動の精神が揺らいでしまったのも頷けるというものだ。なによりも、惚れている相手から初めての電話である。
サラの性格は組織内で一番理解していると自負しているが、あまりの健気さに涙が出そうになる。まあ、このことで隊長を詰ることは自分にはできない。隊長もまたサラ同様、自分にとっては甘やかさなければならない存在であるのだから、むしろ、緊張しながらも電話をかけてきたのだなあと、感慨深さを感じてしまう。
「貰ったのはいいんだけど、書くこともないし……、でもそれだと浩毅に悪いかなって」
「それで予定を書いているのか?」
「うん。でも安心していいよ。誕生日くらいしか書いてないから」
ほら、と言って渡された手帳を受け取り、ぺらぺらとページをめくっていく。面白いほどの空白である。ファンシーな猫のキャラクターが月ごとに愛らしいポーズを決めているイラストが滑稽なほど、カレンダーは未定に埋め尽くされ、時々誰かの名前と誕生日の文字。
ページをめくるごとに自分の眉間にしわが寄る。
数が足りない。圧倒的に足りない。特務隊の人数は、二十余名。それなのに十二か月しかないカレンダーのほとんどが空白とは、何故か。そんなのは簡単だ。
「露骨すぎるぞ」
暗にたしなめれば、悪びれた様子もなくサラはきょとんとする。
「だって、その人が生まれたことを嬉しいと思うから、誕生日は覚えるし、祝うものでしょ?」
いや、一理あるが。
「なら、わたしの大事な人を、大嫌いだって言う人が生まれ日を覚える必要なんてないでしょう?」
サラの顔から子供らしさが失せた。獰猛さをあらわに、端麗とほめそやされる顔に埋め込まれたエメラルドグリーンの瞳が燃え、上がる口角は妖艶を越え、いっそ狂気じみていた。
好きなものは好きだと全力で叫び、大好きなものが望むなら大嫌いなものにさえ愛想を振りまき、仲間を装い演じる。しかし、彼女の好き嫌いははっきりとしている。
一度嫌いになったならば、二度と好きの区分に移ることはない。にこにこと仲間ごっこのその裏で、いつ大嫌いなものを排除できるのかを狙い続け、ボスや隊長からどうにか言質を取れないかと言葉を誘導している節もある。
この手帳を見たらロードですら頭を抱えるだろう。隊長が見てしまったら、きっとのこの世の終わりと言わんばかりの顔になるだろう。そして、ここに名前が記されていない者たちは、特に女連中はこぞって隊長を詰るだろう。
「なんで生まれてきちゃったんだろうね、あの人達」
何が誕生日だけを記しているだ、バカ娘。
ああ、この手帳は俺が死ぬまで守らねばと、この時、本気で思った。
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