幼なじみ

「お前は、失敗をしたことがあるか?」

 夜の曇天が下ろす重い暗闇に一つの火花が散った。一拍置いて、誰とも知れない呻き声が、光のない広いだけの空き地に消えた。

 ぽつりぽつりと雨が降ってきた。

「失敗したら死ぬっつーの」

 ロードの問いかけを、アルはしっかりと聞きとどめていた。ロードを振り返ると肩を軽く上げ、ばかばかしいと吐き捨てた。その直後、アルの手元で二つの火花が金切り声と一緒に弾けた。

 火花はすぐに闇に溶けたが金切り声は止まず、アルは耳障りだった様子で、何度も火の花を咲かせ、ようやく声を黙らせた。

 少し離れた場所にいた影がよろよろとくずおれる。引きつった声が聞こえたような気がした。

「なに、ロードはあんの?」

 ロードは目をすがめた。

「残念ながら、初任務の時にな」

「完全無欠の天下の副長様にも、そんな初々しい時があったのね」

 ずっと呻き声を上げていた影に火花が飛んでいく。びくりと震えた影は静かに横たわった。

「俺を馬鹿にしているだろう」

「滅相もない。誰でも通る道だって。ま、俺とレオはなかったけど」

 けらけらと笑い、アルは残った影から黒い飛沫を上げさせた。

 金切り声とは違う、不愉快で汚らしい悲鳴が上がる。雨が降って気温が下がったのだろうか、影の口元から白い靄が吐き出される。時折喘鳴に交じって歯のぶつかり合う音がしたかと思うと、わななく唇が言葉を紡ごうと動く。しかし、音にはならなかった。

 アルが口火を切る。

「あ、もしかして、コイツ?」

 影は絶叫し、大腿を押さえながら右へ左にのた打ち回る。

 ロードは沈黙した。

「真面目に?」

 沈黙を是と受け取ったアルは、息を付くと影の鼻筋に銃口を向けた。

 影の口が開く。悲鳴でも、呻きでもなく、誰かを呼ぶように、はくはくと白い息を吐きながら言葉を紡ごうとして何度も失敗する。命を求めて震えながら伸ばされた手が求めたのは、

――ロード 

 丸みを帯びた声が、伸びてくる小さな手が、ロードの記憶の霞をかすかに晴らす。

――助けて

 影が地に伏した。

 湿り気を帯びた草地に、水とは違う液体が広がっていく。むせ返るような鉄の臭いは、雨によって地に落とされわだかまる。

「ちょっと、副ちょー?」

 ロードは硝煙が昇る銃をしまうと、煙草を取り出し無造作に火をつけ、くるりと踵を返した。すげなく非難を無視されたアルは肩を落とすと、彼の後に続いた。

 真っ暗であった遠くの家々に明かりが灯る。人影がカーテン越しに動き回っている。だのに、誰一人として出て来ない。ざわめきもしやしない。なんて閑静な住宅街なのだろうか。

 二人が住宅街に足を踏み入れると、道路沿いの家が明かりを消し、その隣の家も明かりが消える。消灯は連鎖を起こし、一分と掛からず街は雨の闇に沈んだ。

 アルが頭の後ろで手を組み、空を仰いだ。

「ま、これで組織としては面目が立てられたってわけか。もしかして、ロードが殺り損なったから回されたっていう可能性は?」

「大概、そうだろうな」

「お前のせいか!」

 ロードの初任務は都会から離れた田舎町で暴れる小規模なギャングの掃討だった。その依頼主がくしくも自身を捨てた故郷。組織はそれを知ってか知らずか、ロードに任務があてがわれた。

 言い渡されたロードも郷愁なんぞ感じることもなかったが、ただその中に見知った顔が一つあった。それがいけなかった。

 顔を見ただけで記憶の奥底に押し込めた思い出がよみがえった。忘れたくない存在だったのだろう。だから躊躇ってしまった。できたら逃げて、ひっそりと未来を生きてほしいと願ってしまった。

「見逃すべきじゃなかったな」

 携帯用灰皿に煙草を押し付け、すかさず新たに一本を咥える。雨のせいでライターの火がなかなか熾らない。

「ホントにな。しかもソイツが厄介な所に入るとか、マジで笑えないわ」

 隣を行くアルの空気が冷ややかだ。珍しく怒っている様子だった。

 ロードが平凡な人生を願い生かした人間は、ロードの情報を他組織に提供していたという。情報部によれば流されていた情報は大方、実行部に所属していた頃の情報で特務隊に関するものはなかったという。いかんせん、提供先の組織が敵対勢力であったのがいただけなかった。

 敵対勢力は特務隊の隊長の情報を執拗に欲していた。副長であるロードの情報がどこで隊長に結び付くとも知れず、漏洩元を聞いた時は流石のロードも背中を冷たい汗がつたった。

 元情報部所属であったリックやカストも参加し、漏洩した情報を徹底して精査して、おそらく紐づけはできないだろうという結論に至ってなお、ロードは何度も過去の自分を詰り続けた。

 ライターにようやく火が付いた。煙草の先に火をかざすと、真っ赤な光が浮かんだ。

「見逃されたのが悔しかったんだろう。アイツ、負けず嫌いだった。俺に情けをかけられたのが相当嫌だったんだろうな」

「ん? 知り合いだったのか?」

「幼馴染み」

 アルが天を仰いだ。

「……昔馴染みならなおさら、その時にちゃんと殺してやれよ」

 アルらしからぬ憂いの色が声に滲んでいた。きっと自らの幼馴染みと重ねてしまったのだろう。

「――そうだな。ちゃんと一緒に、殺してやるべきだった」

 ロードの前には夜にひっそりと存在する故郷の町が広がる。

 町並みはあまり変わっていなかった。小さい頃はこの町で、あの人間と走り回って遊び続けた。覚えているのだから楽しかったはずだ、幸せだったはずだ。ならば、アルが言ったように、あの時に殺しておくべきだった。そうすれば仲の良かった幼馴染として、綺麗でほのかな記憶のまま終わることができたのに。

「ああ、悪いことをしたな」

 目の縁に落ちた雨粒が彼の輪郭に沿ってつるりと地面に落ちていった。

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