子供の泣き声が聞こえる。

 抑えきれない耳障りな嗚咽に不快を感じながら、カストは目をそっと開けた。

「……夢か?」

 飛び込んできたのは、明らかに現代とは違う時代の景色だった。

「懐かしいって言えばいいんだか」

 崩壊した建物が煉瓦の山となってうず高く積まれている。その瓦礫が道を狭め、人ひとりがようやく通れる道が蛇行して伸びていく。あちらこちらから煙が昇る。細く、細く、赤い空に幾筋も伸びていく。風が吹けば、目に見える埃が宙を漂う。目の前が茶褐色に遮られる。

 夢であるから臭いもしなければ埃に目がやられることもないが、それでもカストは鼻を手で覆い、目を眇めた。

「……早く覚めねえかな」

 そうごちり、歩き出す。

 足場の悪い道を進んでいるのに、足裏には感触がない。歩いていると実感ではきないが、周りの景色が流れているのでとりあえずは進んでいるのだと知れる。

 懐かしいと口にしたカストの表情は、その言葉とは裏腹に、感慨などは微塵も浮かばせない、無表情に近いものだった。

 人っ子ひとりいない獣道のような細い道をカストはひたすら歩き続けた。あの耳障りな嗚咽もどんどん近くなっていく。

「あの頃はもっと煩かったような……」

 彼の思考に呼応するようにぽつりぽつりと人の姿が、それこそ幽霊のように現れ始める。老若男女問わず誰も彼もが煤塗れの格好で悲愴極まりない表情で、すすり泣き、むせび泣き、慟哭、表現は三者三様であるも、涙を流しているということは共通している。

 なぜ触覚と嗅覚は使い物にならないというのに、視覚と聴覚だけは正常に、鮮明に働いているのか。この状況におてい一番機能してほしくない感覚の正常稼働にカストの眉間にしわが寄る。

 夢とはその日にあった事を脳が整理するために見るものだとか、過去の記憶が穿り返されるとか、未来への警告だとか、人は実に面白い解釈を付けてくれるが、果たしてこの夢に意味などあるのだろうか。

 この景色は今よりも遥か昔、カスト・ダラムという名を持つ自身とは違う、クリフと呼ばれていた時代の、それも幼少期の景色だった。当然、知っている者もおらず、感慨を覚えることもない。

 周囲がやかましいなあと思いながらひたすら歩き続ける。歩きつづければ、その内目が覚めるだろうとわずかな希望を持って。

 件の嗚咽が漏れる場所までもう少し。

 そこで、カストの足が止まった。信じられないと、若干吊り上っている青い眼を丸くする。

「嘘、だろ」

 彼の目の前に立ち塞がる、一人の男がいた。

 彼は黒い髪を砂塵の風に遊ばせて、悪魔だと厭われた赤い双眸で優しくカストを見詰めてくる。

「なんで、この時代にウォルターがいるんだよ」

 クリフがウォルターと出会ったのは、十九の時。ゆえに彼が戦禍に見舞われたクリフの故郷の町を背景に佇むなど、あるはずは絶対にないのに。

 クリフが紡いだ記憶が見せる願望なのか、記憶がごちゃ混ぜになっているのか、揺らがない過去の記憶が時系列を無視して現れる程、現実世界で知らない内にストレスでも溜めていたのか。

 有り得ない人物の登場に、カストの思考もはちゃめちゃな方へと流れていく。

 すると――。

『ばーか』

 泣き出しそうな、困ったような顔でウォルターはそう言った。

 耳障りだった嗚咽がいつの間にか消えて、カストを呼ぶ声が遠くの方から近付いてきて――。

「カストッ!!」

 ハッとして目を開き、最初に見えたのは半べそをかくルナだった。常に無表情無感動を演出している彼女らしからぬ反応にカストは当惑し、上体を起こそうとして体中に走った激痛に呻く。頭から足までいたるところが痛くて、どこにどのような怪我をしているのかすら判らない。

「起きたか?」

 キラがひょいと顔を見せた。リーダー同様の子供っぽい顔には、べったりと血が付着している。

「あー、謝っといた方が良さげですか?」

「サラとダンには謝った方がいいかもな。今、残党狩りに行ってる。……死んだかと思ったぞ」

 珍しく殊勝な顔付きのキラに、本当に死地に行く所だったのかとカストは改めて感じた。同時に、烈火の如く怒るであろう助っ人のサラとダンの顔が浮かび、我知らず乾いた笑いが漏れる。

「なに、笑ってんの……」

 嗚咽混じりに怒るルナの頭をポンポンと撫で、カストはそれでも笑い続ける。

「大丈夫か? 頭狂ったか? 浩毅に言って性根叩き直してもらうか?」

 とりあえず、組織内で最もカストに精神的ダメージを与えられる人物の名を上げられ、思わずキラの額を手の甲で叩く。キラが声を詰まらせる。

「言うなよ、バーカ」

――ばーか

 夢の中で、泣き出しそうな顔でそう言った彼の声が、耳の奥に張り付いて離れない。手で目を覆うと、闇の中に立つ二人の姿が浮かぶ。

 かつてのリーダーと今のリーダーが重なって、二人揃って今にも泣き出しそうな子供のように、顔をくしゃくしゃにして、また一言だけ口にした。

――ばーか

 と。

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