わかること、わからないこと
「わあ! すごいすごい! わたし、桜って初めて見たよ!」
十代も半ばを越えた女が髪を振り乱して、何をはしゃいでいるのやら。
ジェシカは金の髪を煌めかせながらせわしなく桜通りを駆け回り、ジェインがそんな彼女を微笑ましいと言わんばかりの慈悲の目で見守りつつ、ゆっくりとついていく。
強い風が吹く。もう終わりの近い桜の花びらが見事な吹雪となって、通りに隣接する湖へと散って行く。目立つ金髪に色合いの強い服装の二人ですら見失ってしまいそうなほど、薄いピンク色が視界を覆う。
興味なさげに二人の後について歩くロードとアルは、桜と共に舞い上がる埃に、青い目をやや細くした。
「……根性のない花だな」
やまない風に攫われる桜の花びらに、ロードがそう悪態をつく。アルは声を殺して笑った。
「そこがいいじゃねぇの? ほら、潔さは美徳だし」
「それはあっちの国だけの思想だろう。それに、こんなのを見て何が楽しいんだか」
「テンションが上がるんだろ。ジェシカなんてまんまだし。あの雪を始めて見た犬みたいな反応」
花びらで遮られた視界の先から、なおも楽しそうな彼女のはしゃぐ声が響く。あれだけはしゃがれて、桜も本望だろうなとアルは思った。
かの桜の国でも、この時期は花が咲く度に騒いでは祭になるらしい。なんでも、夜に外で酒を飲み、騒いだところで、とりあえずは大目に見てもらえるらしい。まあ、度が過ぎれば警察のお世話にはなるらしいが、とにもかくも、ジェシカのように騒いでいるのだ。花が咲いては騒ぎ、花の散り際にまで感嘆の声を漏らす。それを飽きもせずに、毎年、毎年。
その感性がよく分からない。ただ騒ぎたいだけなんじゃないのか、と。
豪州にいるキラのように花を愛でる趣味のない男二人は、駄々をこねた女二人の後をつまらなそうについていく。
「何がいいんだか」
「ま、綺麗じゃん?」
「歩くのに鬱陶しいわ」
「……視界が遮られるのは確かにきついな」
常に誰かに命を狙われている、そんな職業についているのだから視界不良ほど怖く、神経を使う場所もない。いつこの薄いピンクに真っ赤な色が混じるのか、少し想像してみて、それはそれで面白い光景だとは思うのだが、そうなったら関係もないのに自分を責めだす阿呆を知っているので薄いピンクのままで合ってほしい。
ふと思い出して、アルは携帯を取り出すと、足を止めた。薄いピンク一色の歩道にカメラを向けて――。
ロードも歩くのを止め、振り返る。不機嫌そうに歪められた表情にアルは苦笑した。
「撮ってねえよ。花だけ撮ったの。浩毅に送ってやらないと」
その言い訳に、ロードの顔からほんの僅かだけ険しさが失せたように見える。
「えーっと、『こっちの桜は咲いて散ってますよ』っと。――送信」
送信完了の文字を確認してから、再び歩き出す。気付けばジェシカの声も遠くになっていた。
風が弱くなる。そうすれば桜の吹雪も収まって視界が開けた。数十メートル先でジェシカが相変わらず子犬のように駆け回り、ジェインは親犬や飼い主のように彼女の気を配りつつ、桜を見上げながらのんびりと歩いていく。
そんな彼女らと擦れ違って、こちらに向かって来るカップルが一組。顔立ちからして東洋人だろうか。仲良く手を繋ぎ、揃って桜を見詰めて、時折思い出したように互いに顔を合わせて言葉を交わし、また桜へ。
「……騒ぎもしないで愛でるだけの奴のは、一体何を求めているんだ」
「さあ? 俺にもよく分からないけどさ――」
文化が違えば、育った環境も違う。彼らは豊かな環境で、優しい情緒に囲まれて育ってできたのだ。だから、彼らがあの花に何かを見出しているのは分かる。分かるけど、理解できない。そして、時間を浪費してまで理解したいとも思わない。ただ――。
「あいつが喜んでくれるんなら、それでよくね?」
横目にロードを窺えば、彼は不気味なほどに優しい顔で、
「——そうだな」
と、桜に目を細めていたのだった。
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