第010話 自称28歳

 僕は速足で新校舎に向かった。

 朱里あかりさんが顔を近づけた場面は当然ジンにも見られていたはずだ。

 正直まずい。

 ジンはストライクゾーンが高いから僕と女性の趣味がかぶる可能性は皆無だった。

 そのため今まで女絡みでケンカしたことがない。

 それなのに誤解させたかもしれない。


ジン君に見られちゃったね」


 朱里さんは明らかに僕をからかって楽しんでいる。


「知ってますか?

 双方に信頼関係のないイジリってハラスメントだってこと」


 昨今の漫画・アニメでは相手をイジるラブコメがちらほら人気だ。

 フィクションとして見るなら『アリ』だと思う。

 でもリアルでやられる側の意見は『不快』でしかない。


「あれれ、もしかして怒った?」


 朱里さんは並走しながら僕の頬を人差し指でつつく。


「…うざい」


 心のどこかでスイッチが入ったのを自覚した。

 僕は本当に怒ると心がすっと冷めていく。

 そして頭が冷静になる。

 僕は努めて陰キャであろうと努力している。

 その理由の根本がこれに起因しているのだと思う。

 排除すべき対象をどう『料理』するのが効率的か思考が高速回転する。

 もちろん実行すれば法律により罰せられるのは理解している。

 でも一定のキャパを越えた場合に実行しないと僕自身断言できない。

 だからそのようなことにならないように努めて目立たないようにしている。


「へー、それが君の本当の顔なのね。

 ちょっと素敵かも」


 なおもからかい続ける朱里さんをおいていこうと速足のスピードを上げる。


「ちょっと!フレをおいていかないでよ!!」


 ヘタレな僕だがそれでも高一男子である。

 女性よりは体力があるはずだ。

 そんな僕の後ろを朱里さんは必至でついてくる。


「こんなに動いたらしゅわしゅわする飲み物が欲しくなっちゃうじゃない!」


「朱里さんがシュリーさんだって認めるってことですね」


 僕がシュリーさんを男性だと思い込んでいたのには理由がある。

 しゅわしゅわする飲み物、つまりビールが好きだと公言していたこと。

 そして何度か部下の愚痴を聞かされた。

 そんな先入観から僕は朱里さんを『30代中間管理職の男性』だと思い込んでいた。


「君は私のことを男だと思っていたみたいだけどね」


「おっさん臭が半端なかったですから」


「28歳のおねーさんにひどくない!?」


「ああ、永遠の自称28歳ですか」


 朱里さんの言葉を軽く流す。

 だが明らかに空気が変わったのがわかった。


「…そう、自称28歳よ」


 この空気に記憶のなにかがひっかかった。

 母さんの誕生日、あるいは節分の日。

 子供の頃ケーキが食べたかったからという理由で母親の誕生日におねだり。

 店員の『ろうそくは何本にしますか?』の問いにうかつにも個人情報を答えてしまったケーキの味は甘くなかった。

 節分の『年の数だけ豆を食うと幸せになれる』と言われているのを信じて母親の豆が少ないと指摘した純真だったあの日。

 それ以来僕は女性の年齢を指摘しないようになった。

 地雷を踏んだ…だが謝る気はない。


「改めて自己紹介するわね。

 私がネトゲ『光の戦記』プレイヤー名『シュリー』。

 本名『鈴鳴朱里すずなりあかり』、自称28歳」


 背後から聞こえる声にはまったくの感情がない。


「自称28歳と言っているのには理由があるの。

 だって私自身が正確な自分の誕生日を知らないんだから」


 その言葉に自然と僕の足が止まった。

 だが後ろを振り向くことはしなかった。

 いや、できなかった。


「ねえ、君はアダムとイブの楽園追放をどう思う?

 いいえ…追放されたのならまだしも自分から楽園をでていった人間をどう考える?」


 突然の質問。

 その答えを一瞬考える間に背後から深い闇が追いついていた。


「両親は幼い私を連れて日本を出たらしいわ。

 くだらない理由で日本を捨てたって話」


 日本で上手くいかなかった理由で真っ先に思いつくのは仕事関係だろう。

 バブルがはじけたあとの時代は『失われた30年』と言われている。

 朱里さんが幼少気はそんな景気が悪い時代だったはずだ。


「本人達が生涯働かなくてもいい最貧国に移住。

 そのために親類縁者から金を借りまくったのよ」


 朱里さんの声に一瞬憎悪が混じる。


「日本政府から渡航禁止が出ていた地域に渡り、その挙句あっさり殺された。

 日本という平和な楽園で育った愚かな羊の当然の結果ね。

 日本では行方不明者として親子三人もう死んだことになっているわ」


 感情のない声で朱里さんは話を続ける。


「私は物心がついた頃には鉱山で地面を掘らされていた…手で」


 なぜか暗闇で必死に地面を掘る小さな少女の姿が見えた。


「レアメタルを掘っている最貧国じゃありふれた話よ。

 日本という楽園を支えるために学ぶ機会なんて与えられずにその日のわずかな食料をもらうためだけに必死で地面を掘る子供なんて」


 そんな記事をネットのどこかで見た記憶がある。

 でも僕はそれを流し読みしただけだ。

 すぐにアニメやゲームの記事に変えたような気がする。


「病気で使い物にならなくなった私はゴミ捨て場に捨てられた。

 そこで作戦行動をしていたスメラギの特殊部隊に拾われたの。

 隊長の気まぐれで、ね」


 僕自身この話も朱里さんの冗談だと思いたい。

 でも背後から感じるプレッシャーは話が嘘だと断定させない。


「後日報告書を閲覧したなかに私の誕生日があった。

 私の個人情報や両親の人となりとか、ね。

 すでにスメラギに忠誠を誓った私にはどうでもいいことだったからうる覚えなの」


 スメラギという企業が軍産複合体であるならその作戦行動は極秘である可能性は高い。

 その最中に死にかけた子供がいたとしても当然スルーするはずだ。

 本当に気まぐれで助けたのだろう。

 本来であれば親類縁者の元に戻されるべきだったかもしれないが借金を踏み倒した人間の子供を快く受け入れられるとは思えない。


「スメラギの庇護下で育った私は自分が生まれた意味をいつも考えていたわ。

 そしてその結論が私の夢になったの」


 朱里さんの夢。

 僕のような将来ゲーム会社に就職し、自分のゲームを世に送り出したいなんてありふれた夢ではないはずだ。


「日本という極東のエデンの管理者になること。

 楽園の価値のわからない住人を追い出し、本当に楽園を求める人を受け入れる。

 どう?…素敵でしょ」


「それって移民を際限なく受け入れるって話ですか?」


「残念ながら楽園には受け入れ可能な人間には限度があるわ。

 今の総人口を維持する程度で入れ替えをするって話」


 EUという共同体は移動の自由を保障することで経済活動を活性化しようという考えで成立している。

 だが中東からの難民が大量流入した結果治安が悪化し、経済活動の足枷になってしまった。

 これと同様の現象がアメリカでも問題になっている。

 国境に壁を作ると主張した大統領をマスコミは糾弾した。

 そして次の大統領に代わり、真っ先にその政策は撤回された。

 その結果南米からの経済難民が大量流入し、受け入れのキャパを簡単にオーバーしてしまった。

 特に問題なのは経済難民に非合法組織の構成員がまぎれている件。

 治安の悪化により急遽国境に人を配置して取り締まろうと動いたが結果をだせてはいない。

 当時国境に壁を作る費用が莫大で馬鹿げていると主張されたが現在の人件費だけでそれを軽く越えている。

 しかも移民希望者はそのほとんどがわずかばかりの荷物で国境を越えている。

 その滞在費用や職業訓練などを含む教育費は馬鹿げていると言われていた国境の壁の建築費の10倍を超えている。

 移民を簡単に受け入れると主張はしてもそれにはコストがかかる。

 移民は受け入れる側にもそれ相応の覚悟や準備、そして責任が必要だと僕は思う。


「君が協力してくれれば私の夢は叶うはず」


「無理ですよ」


「新たな神を誕生させることができれば可能だわ。

 そうすればその褒美として極東のエデンの管理者になるくらいは問題ないの」


 正直言葉の意味がよくわからない。

 自分なりの考えを回答にしてみる。


「朱里さんが選挙に出馬したら清き一票を入れればいいんですね。

 将来の敵になる某公共放送の受信料を0にしてくれるなら喜んで投票させてもらいます」


 将来的に僕は一人暮らしを始めるだろう。

 だとすれば月額2000円なんて無駄金は御遠慮したい。

 日向ひゅうが家では両親は朝早くから夜遅くまで仕事なのでテレビなんて見る暇がない。

 僕自身もアニメはネットで見るのでテレビは必要ない。

 電源さえまともに入れないテレビにそんな支払いは無駄。


「君って馬鹿なの?

 戸籍のない私が選挙に出馬できるわけがないでしょ」


「いえいえ、今の日本では国籍の怪しい人間が平気で議員をしていますから大丈夫です」


 朱里さんは小さな溜息をついた。


「具体的な協力の内容はあとで話すわ。

 とりあえず君の協力を仰ぐために報酬の先渡しを提示するね」


 僕は恐る恐るだが振り返る。

 そこには笑顔の朱里さんがいた。


「へー…そりゃ楽しみだ」


 気乗りはしないがどうせ協力させられるのは目に見えている。

 ソシャゲのSSR確定ガチャ10連くらいもらえればそれなりに協力してもいい。


「君のお隣の席にはロシア人を準備したわ」


「是非協力させてください!!」


 くっ…こんなことならもっと早くロシア語を学んでおくべきだった。

 ロシアンJKとのニヤニヤラブコメとかラノベか!?

 こんな事態を想定して中学でロシア語を必修にしろよ、文科省!!



□□□ 閲覧ありがとうございました □□□


 次回やっとヒロイン登場…多分。

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