第8話 独裁
事件現場となった講義室のある棟から向かって右に歩いて3分。辿り着いた研究棟に事件当時の講義を受け持っていた教授、鏑木育也かぶらぎ いくやの研究室が鎮座している。
「ここの3階ですね」
勝呂のその言葉を聞き魔女はうげっと言葉に発していかにも嫌そうな顔をする。勝呂はそれを無視しエレベーターの方へ向かった。
「あ、エレベーター……あるんですねぇ!」
「烏山大学って私立の有名校なんですから、そりゃエレベーターくらいあるに決まってるじゃないですか……」
開いた扉の内に意気揚々と乗り込む彼女を見ながら勝呂はため息を吐き、今日は随分と彼女に対し呆れることが多いなと思う。以前会ったときの彼女は推理の時以外はあまり多くを語らなかったし、感情を表に出すことが少なかったこともあるだろう。
そして今回はそれに比較して随分と素直に感情を露わにしているように見えた。
「大学ってそうなんですね。こんなに便利なら私も是非通ってみたいところですが」
「……講義の直前になるとエレベーターって混むでしょうし、あまり貴女には向いてないと思いますよ」
「やはり魔女という生き物は独学に限りますねぇ」
魔女であることが関係するのかは二人にはわからないが、とにかく彼女の気質と大学という場所が合っていないことは明白だった。
3階につき、勝呂は社会学研究科というプレートが掲げられた部屋へ向かい、ドアをノックする。
くぐもった返事と共に扉が開くと、そこには目の下に濃いくまを作った初老の男性が勝呂を見上げていた。
「やあ勝呂さん、昨日と変わらず大きいねえ。羨ましいことだ」
「どうも鏑木さん。今日は昨日の事件の件で来たんですけど、まずは改めて我々の捜査に協力してくれる”魔女裁”の方を紹介しますね」
魔女は頭をぺこりと下げながら優雅に自己紹介をする。初対面の人が相手の時でも、しっかり心の準備をしていれば問題無いというのは本当だったんだなぁ……と勝呂が感心していると、鏑木は大きく目を見開き輝かせる。
「おお、貴女が! これはこれは、私こちらの大学で社会学……主に歴史の分野を研究しております、鏑木育也と申します。魔女裁の方を実際に目にするのは初めてで誠に光栄に思いますよ」
鏑木は魔女をじっくりと観察しながら二人を部屋の中へ入るよう促した。部屋に入ると、そこにはいかにも教授と呼ばれる人種が中にこもっていそうな研究室然とした光景が広がっていた。中央の机に置かれた書物の山を見た魔女は思わず顔を顰める。
本棚は利用者が多いためか埃が積もっている様子は無く、仕事用と思われる机に置かれたカップは底まで完全に乾ききっていて研究に夢中になった誰かが放置したままなのを思わせる。机に積まれた本の間には白い何かのコピー用紙が挟まっているのが散見された。
「部屋が汚くてすまないね、昨日のごたごたもあって片付ける暇が無いんだ」
カリキュラム、スケジュールの調整などに大きな影響が出ていることは講義室の前の張り紙から見て取れた。勝呂は気の毒そうに思いながら鏑木からそっと渡された紅茶を啜った後、角砂糖を二つポチャリとその中に落とした。
「なるべく早く事件を解決させないといけませんね、尽力します」
「君がそこまで肩肘張る必要はないさ、大事なのは迅速さより正確さだよ。特に魔女裁が来たとなればなおのこと、ね」
意味ありげに魔女に笑いかける鏑木を彼女は無視しながら、紅茶に砂糖を入れては啜り、入れては啜りを繰り返していた。
「……(何か喋れよ)」
そう勝呂が視線を強く彼女に投げかけても無反応なのを見て、彼は自分でその話を続けることにした。
「そうですね、魔女に対する魔女裁の権力は絶大のようですから……」
ふと、以前の事件での彼女の判決を思い出す。彼女は犯人と思われる魔女に確たる証拠が無いまま、自分の推理を信じて罰を下した。それは強い意思が無ければ出来ないことで、同時に判決を下すということの危うさを勝呂は思い知った。
果たして、アレは本当に正しかったのか。誰だってそんな疑問が浮かばないわけがないのに。
「だから私としては彼女が自分で満足できるだけの証拠を集めて判決を下してもらいたい。魔女の犯罪の証拠なんて集まり難いことこの上ないだろうがね」
「随分と
魔女はその話を続けて欲しくないとでも言うように遮り、事件の話を始める。
「事件の事ですが……」
勝呂は彼女が現場で気にしていたことが何だったかを思い出す。被害者が講義室の後ろの方の席に座っていたこと、被害者にはガールフレンドがいたらしいこと、総じて被害者の普段の授業態度などに関わってくる話だ。
「取り敢えず被害者に対する印象をもう一度詳しくお願いしても良いですかね」
「ああ、良いとも」
そう言い、鏑木は被害者のことを詳細に語り始める。被害者の名前は池田優介いけだ ゆうすけ、草食の優男と言った容姿を持ち、基本的に真面目で優秀な生徒だそうだ。後ろの席に座るようになったのはここ最近のことで、そうなるのと彼の隣に一人の女生徒がよく座るようになったのはほぼ同時か完全に同時だったそう。
それ自体はよくあることで、カップルになった途端授業を真面目に受けなくなる生徒は一定数いるから別段おかしなことではないと鏑木は言う。
話を聞いていた魔女は途中から俯きながら姿勢を正していた。それは考え事に入るためだ。
「大したことは話せていないと思うんだが、今のところどう思うかね」
鏑木が池田に対する大方の印象、そして事件当時の様子を話し終えてしばしの沈黙が訪れた後、痺れを切らした鏑木は声をかける。魔女は視線だけをそちらに一瞬動かすと、先ほどまでじっと見つめていた紅茶の方へと戻してから呟いた。
「痴情のもつれ……いえ、どちらかというと一方的な恋慕でしょうか」
「と、いうと?」
鏑木は身を乗り出すようにして彼女の結論を固唾をのんで見守る。社会学の教授ということもあって魔女の手口に興味津々といった考えが表情にありありと浮かんでいるのを見て勝呂は少し彼から離れるようにして座り直す。……よもやこの魔女、教授を張り倒したりはしないだろうななどとハラハラとしながら。
「おかしいなとは思ってたんですよ、何故魔法で殺すタイミングがよりによって授業中だったのか。殺すにしたって夜中一人でいる間に殺してしまうのが手っ取り早いしコストもさほどかかりません」
出たな、コストパフォーマンス……と勝呂は呟く。コストは魔女にとって重要な概念であることは既に彼も先刻承知のことだったが、何度も口に出されると釈然としない気持ちになるようだった。
それを彼女はさっと睨みながら話を続ける。
「犯人はどうしても、このタイミング……被害者の彼女さんと被害者が確実に同じ場所にいる時に殺しを行いたかったんです、彼女にも何らかの方法で危害を加えるために」
ああ、だから痴情のもつれか。と勝呂と鏑木の二人は納得しつつまた別の疑問を投げかけた。
「しかし彼女の方にも危害を加えたかった、ということであれば何故彼女ではなく被害者を殺したんでしょうか? どう考えても殺す対象が逆でしょう」
「そこまではまだなんとも。考え中に邪魔をされたので」
魔女が鏑木を睨むことは無かったが、どう考えてもその考えを邪魔した相手が彼であったので、鏑木は肩を竦める。
「これは申し訳ない。ですがこちらも忙しい身でして、結論を急ぎたい気持ちを許してはいただけないでしょうか?」
「構いません。どうせ彼女さんの方を調べて犯人が何をするつもりなのかを確かめればおのずと知れます」
もう聞きたいことは聞き終えた、と言わんばかりに魔女は席を立つ。それは普段の冷徹ながらも柔らかな物腰と違いどこか剣呑とした雰囲気を醸し出していた。その証拠というべきか、彼女は鏑木に会釈もせずに部屋を出る。
「ちょ、ちょっと真島さん! あ、鏑木教授……今日はお話聞かせていただいてありがとうございます。また来るかもしれないのでその時はよろしくお願いします」
そう言って頭を下げた勝呂は彼女を追うようにして出ていく。
それを見届けた鏑木は机に積まれた本の一番上にあるものを手に取り開く。本の題名は『魔女裁判が独裁と呼ばれる理由』
「魔女裁判、ただの処刑に対して便宜的に作られた呼び名。現代に至っては魔女が罪を犯した魔女を裁くことで、魔女と人間との和合を長続きさせるための形式だけのもの」
要はただのパフォーマンスだ。人間側の上層部に位置する人間に、魔女は悪い魔女を許さないという姿勢を見せるためだけのパフォーマンス。魔女と人間が仲良くするために必要な条件。
だから魔女裁判に正当性は必要無い。犯人が誰かが重要なのではなく、犯人が裁かれたという事実だけが重要だから。そもそも魔女の犯罪を暴くこと自体かなりの時間と手間を要求されることで、立証が不可能なことも多い。
だから魔女裁判は一人の裁判官だけが必要で、全ての判断をそのたった一人に委ねなければならない。そうしないと多くの事件が長時間の議論を重ねた末に未解決に終わってしまうからだ。
だからそこに魔女裁以外は必要が無い、独り裁判なのだ。
それを揶揄して『独裁』と呼ぶ者がかつて居た。その本の内容はそういったものだった。
「彼女はこの本を読んだことがあったんだろうなぁ」
部屋に入った魔女が最初にどこに目をやったか、そしてその瞬間に彼女が顔を顰めたことを思い出した鏑木は、どこか申し訳なさそうに『魔女裁判が独裁と呼ばれる理由』を本棚に戻した。
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