第7話 珍妙な女

 私立烏山大学、世間に少しでも興味があれば知っていてもおかしくはないという程度にそこそこ名の通った大学の構内を、じろじろと見回しながら練り歩く女がいた。

 黒い七分丈のワンピースに白いカーディガンを羽織る姿はあまりに白と黒の主張が激しく、多くの人の目を奪う存在感を放っている。

 

 更に珍妙と思われるのは、彼女が肩にカラスを一羽乗せたまま構内を歩いているということだ。


 珍妙な女は珍妙なことに、構内の掲示板などに目を向けふむふむと唸ったり、ガラスを通して講義室の中などを見ておぉーと感心して頷いたりまるで初めてアトラクションに来た子供のようなリアクションを続けている。

 誰かが流石に声をかけようかと近付き始めたところで、警備員がその女に声をかけた。


「真島唱子さんでよろしいですか? こちらの方がお話があるそうで」


 魔女が警備員の後ろに目を向けると、そこには顔を手で覆いながら天を仰ぐ勝呂が立っていた。


「あ、勝呂さん。随分と遅かったじゃないですか」


 魔女は先ほどまでの行いが何でもないことであるかのようににこやかに笑いかけた。


「ああこれは申し訳ない、少し別の仕事で立て込んでいまして。で、真島さんは一体何をしてらっしゃたので? ……事件の捜査には見えませんでしたが」


「暇だったので散策をしていました」


 暇……。勝呂は呆れたように呟く。その姿はこれから殺人事件の捜査をしなければならないのに随分とのんきなものに見える。


「何ですか、その顔は。そもそも私が現場に行ってもあなたがいらっしゃらないから私はしょうがなくこの辺りを散策せざるを得なかったんですよ?」


「……ええと、確かにそれはこちらに非がありますが、一応現場には行ったんですよね? ならそのまま調査していただいて良かったんですよ?」


 と、勝呂が言うと彼女はすっと目を細める。勝呂はなんとなくその目が彼に何かを訴えかけているような気がしたが、彼自身は思い当たる点が無いというように肩を竦める。


「勝呂さんが来るのがわかってるんだから別に現場の外で待っていても問題はありませんよね?」


 魔女がどこか不貞腐れたように呟いてようやく勝呂はなんとなくどんなやりとりがあったのかを察する。

 この人はおそらく人見知りをするタイプなのだろう、と言うよりは知り合いがいる場所で知り合い以外と話す気が起こらないタイプといったところだろうか。普段の、そして現在の異様な風体であれば誰と話すときも警戒されて苦労するのも理由の一つだろうと勝呂は察する。


 そもそも勝呂としても彼女が一人で現場の人間とコミュニケーションをとること自体に不安を感じていた。まさか他人に対する態度が少々悪いだけでなく人見知りの気まであるのは勝呂としても計算外だったが。


「ええと、すみません。色々と難儀な性格をしているのはなんとなく知っていましたがそれほどとは」


 口をついて出てきた言葉にしまった、という顔をしながら勝呂は魔女の顔色を伺う。彼女はそれを何てことは無いという風に聞き流したようで、とにかく早く行きましょうと促していた。


「一旦心開くと寛容になるんですか?」


「調子に乗らないでください。貴方がいれば仕事がスムーズに進むから多少の軽口を許しているだけですから、それ以上余計なこと言ったら呪いますよ?」


「……すみません」


 魔女の口から出る呪うという脅し文句ほど怖ろしいものは無いだろう、実際今回の事件の被害者も見るからに呪いを受けて死んだように見えるから尚更勝呂にとっては怖ろしく感じ、寒気が全身に走り身震いする。

 多少の信頼を勝ち得てもその辺りは気を付けなければと彼は肝に銘じるのであった。



―――――――――――――



 現場は烏山大学A棟二階にあった。事件の通報があって1時間も待たず勝呂は現場保存の監督のため一度ここに訪れているのだが、その時からたった一日で様相はすっかり様変わりしてしまっていた。


 階段を上がってすぐ右手に見えるドアには開けるのに邪魔にならないような形で黄色いテープが貼られ、講義の中止を知らせる紙が横の壁に何枚か貼ってある。二人はドアを開け中に入り挨拶を済ませると、近くに見張りとして立っていた警察官が魔女をじろじろと見ながら話しかけてくる。


「お疲れ様です、勝呂警部補。そちらの方は……」


「魔女裁の真島唱子さんだ、なるべく失礼のないように……どうかしたか?」


 紹介した後も警察官がじろじろと彼女を眺めているので気になった勝呂は問いかける。


「いえ……その、このお方がそうだったとは。そうとは知らず先ほどは失礼を」


 と頭を下げるのを見て魔女も一緒に頭を下げた。


「いえいえ、こちらこそ何も言わずに。申し訳ないです」


 立ち去っちゃってという言葉を強調する彼女の言葉を聞きながら、あー……と勝呂はまたしても天を仰ぐ。


「真島さん……」


 そもそもこの魔女は会話すらしてなくて、ただ一方的に勝呂がいないのを見てそこの警察官に話しかけられると同時に逃げ帰ったのだ。コミュニケーション能力に問題があるにもほどがあると思われても仕方がない。


「いえ、これに関しては先ほど申し上げた通り勝呂さんがいると思って覚悟せずに来たが故の不意打ちによる事故です。最初から知り合いがここにいないというつもりで来ていれば一切の問題は無くてですね……」


 初対面の人間と話すことを覚悟していればそこまで問題は無い、などと早口で言い訳をする魔女を他所に勝呂は被害者の死体を形どった白いテープに近付いていく。それを魔女は後ろから追った。


「……随分と後ろの席だったんですね」


 魔女がまず言及したのは魔法の痕跡云々ではなく被害者が座っていたであろう席の事。一般的に後ろの席であればあるほど講義においては不利になることが多く、真面目な人間は前の席を取ろうとするものだということを勝呂は知識として知ってはいた。なので彼は肯定するように頷く。


「確かにそうですね、聞き込みでは不真面目な生徒だったという情報は目立ってはいませんでしたが」


「不真面目であること以外にも後ろの席を選択する理由はあるでしょうね、ならば注目するのはそこでしょうか」


 うーむ、と頷いた後いや、そこではないですよねと勝呂は我に返る。


「あの、魔法の痕跡の方はどうなんですか?」


「それならばっちりです。ここまで濃い魔法の痕跡を見るのは久しぶりなくらいですね」


 明確な殺意の証拠です、と魔女はこともなげに言いながら教室を見回す。大学の講義室と言われて思い浮かべるそれとは違い、そこは高校や学習塾の教室と大して変わらないように見えた、違うのはその大きさくらいのものだろうか。


「大きい教室ですねぇ、きっと教授には後ろの方の席の生徒を認識するのは容易ではなかったでしょう」


 彼女がまだその話を続けるのを見て、勝呂は大人しくそれに従う。彼女が話を続けるということはそれなりに重要な情報なはずだから。


「意外とそうでもなかったらしいですよ、教授に話を聞いたところ被害者が別の女生徒といちゃいちゃしていたのは見えていたそうで」


「……そうなんですか?」


 意外そうに目をぱちくりさせてから彼女は静かに考えこみ始める。邪魔はするまいと勝呂はその様子を静かに見守った。


「死体の調査の許可ってもう出てるんですよね?」


「御遺体ですね、ここから二駅ほど移動した場所にある警察署に安置されているそうです。そちらへ向かいますか?」


 もう既に見たい物は見終えたと言いたげな魔女の反応に大丈夫かな、などと思いながら勝呂は提案した。結局調査の主導は自分と彼女がやるのだから、今は彼女に委ねようと彼は思っていた。


「……いえ、そこは後でも構わないでしょう。それよりもその教授と被害者の友達、そして彼女さんのお話を聞きたいのですが」


「教授はここにいますね、話は聞けるようにしてくれているはずですが……ご友人の方はわかりません。一応連絡先は確保していますので後で電話で確認してみましょう」


 魔女は一瞬顎に手を当て思案する。


「わかりました、友人の方は別に直接聞かなくても残ってる調書とかで十分です。まずは教授に……あれ? 彼女さんの方は?」


 一番重要なのはそこなのだろう、だが勝呂は言いづらそうに言葉を詰まらせる。


「それが、聞き取りを拒否されていまして。そちらの方はもうしばらく様子を見なければならないようで……」


「なるほど、では仕方ありませんね。取り敢えずは教授の方へ話を聞きに行ってから考えることとしましょう」


 二人は早々に現場を立ち去り、件の教授がいるであろう研究室の方へ向かった。

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