第17話 あの件はどうだっていいじゃない

「今日はありがと」


 そんなことを夏理南奈なつり/ななから言われた。

 意外と素直な言い方だ。


 今、街中の喫茶店にいる。

 一時間ほど前に学校が終わり、テーブルを挟み、向き合うように会話していた。


 入店時に注文したのは、ココア二つ。

 南奈の方は、フルーツ系のデザートを追加で注文していた。


 優斗はそこまでお腹が減っていなかったのだ。

 あと、数時間ほどで夕食も近いことから、余計に注文することはしない。


「ねえ、優斗さ。さっき私が注文したもの、飲まない?」


 南奈は誘ってくる。

 すでにココアがあるのに、彼女はオレンジジュースを追加注文していたのだ。

 その上、怪しいストローまである。


「それって、アレ?」

「そうだよ。カップルストロー的な」

「いいよ、俺は遠慮しておくから」

「そんなこと言って、本当は使ってみたいんでしょ?」

「そ、そんなことはないよ」


 今いる喫茶店にはそこまで知っている人はそこまで多くはない。


 少し学校から離れた場所にある店屋を選んだことで、多分、誰にも見られてはいないはずである。

 だから、気にする必要性はない。


 けど、誰かに見られているような気がして、胸の内がモヤッとしていた。

 芽瑠に見られていたらと思うと、心が痛む。


「やっぱさ、そういうのはいいから……」

「でも、秘密をばらすかもしれないし」

「……わ、わかったから。じゃあ、一回だけというか。一瞬な。今回だけだから」


 優斗は何度も忠告しておいた。


「本当はやってみたかったんでしょ?」

「そういうわけじゃないから……」


 優斗は照れ隠し程度に返答しておいた。

 彼女のことを意識しているからなのだろうか。


 なぜか、南奈のことが少しばかり気になってしまっている。


 彼女のおっぱいは小さい。

 そこまでデカいものではなく、些細な感じ。


 制服を脱いだら違うかもしれないけど、明らかに、胸元の膨らみ具合は乏しいものだった。


 付き合い続けるなら、デカい方がいいに決まっている。


 でも、昨日。

 寝ている時に見た現実に近い夢の中で、南奈みたいな小学生の子を見てから、不思議と意識するようになってしまったのだ。


 こんな感情なんて押し殺したいのに。


 そう思い、優斗はそれ以上、多くを語ることなく、仕方なくといった感じに、カップルストローの先端に口をつけることになった。




「どう? 美味しかった?」

「そんなの聞かなくてもいいだろ……」


 優斗は恥ずかし気に、彼女の方を見ることなく告げた。


「ねえ、もう一回、どう?」

「いいよ。さっきも言ったと思うけど、一回だけだって」

「えー、でも、そんなに我慢しなくてもいいじゃん」


 彼女は何気に積極的になっていた。


 さっきまでとは雰囲気が違う。


 やっぱり、そろそろ、ここから立ち去った方がいいのかもしれない。


 そう感じ、優斗は席から立ち上がる。


「どうしたの?」

「いや……なんというか、そういえば、少し用事を思い出したっていうかさ」

「用事? 嘘ついても無駄だから」


 彼女は余裕を持って話を進めている。


「本当に用事があって。本当に今日はここで」

「えー」


 南奈は、本当の恋人のように振舞っている。

 そういう態度はやめてほしいと思う。


「本当にダメなの?」

「うん」

「どんな用事があるの?」

「それは、色々と」

「色々って?」

「それは、今は言えないから」

「えー、教えてよ」


 今日の彼女はやけにグイグイと距離を詰めてくる。


「でも、後で教えるから」


 何とか話を終わらせようとする。


「まあぁ、しょうがないっか。でも、後で教えてよね」

「わかった。約束する……」


 優斗は何とか話をまとめ上げた。


「代金はここに置いておくから。俺はココアしか頼んでないから、三〇〇円だけな」

「でも、ココアは二五〇円だよ」

「いいよ。今はさ、一〇円とか、五〇円もないし」


 優斗は急いでいた。

 だから、金額の誤差なんて気にしない。


 それに、さっき、南奈が注文したオレンジジュースを少しだけ口にしているのだ。

 その分という意味合いも込めて、おつりは求めることはしなかった。


 優斗は必要最低限の準備を整え、また明日と伝え、その喫茶店から立ち去る。

 背後からは、店員からの“ありがとうございました”というセリフだけが聞こえてくるのだった。






「そろそろ、やるか」


 中村優斗なかむら/ゆうとは溜息を吐いたのち、心を入れ替えることにした。


「最初に何をするかだけど……」


 そう呟き、玄関の階段前に佇む優斗は手始めにスマホを手にしていた。


「やっぱ、母親に確認しておいた方がいいよな」


 時間帯的に、夜の六時にもなっていない頃合い。

 電話をしても問題はないと思われる。


「……聞いておかないと、昨日みたいに、まったくわからなくなりそうだしな」


 夜遅くになってからだと、色々と迷惑が掛かるだろう。


 優斗はスマホの連絡先一覧から母親の電話番号を見つける。

 そして、電話を掛けたのだ。


 少しの間を挟み。

 やっと母親が出る。


『何?』


 母親からの最初の発言は大体、こんな感じである。

 普段から仕事とかで忙しく、威圧的な返答が最初に口から出ることが多いのだ。

 初めての人が、そんな風に言われたら、少々怖く感じるかもしれない。


 でも、いつもの事であり、優斗には態勢があった。

 すぐに気分を切り替えて、話を進ませた。


「えっと……聞いておきたいことがあって」

『だから何?』

「自分って、昔、どっかの田舎に行ったことってあるっけ?」

『……まあ、あるわね。確かに』


 母親は多少の間があってから、スマホ越しに声が帰ってくる。


「そうなんだ、やっぱり。それで、なんで、その場所に行くことになったんだっけ?」

『それは、街のイベントとかで、夏休み中に自然を経験しようって企画があって。あんたさ、小学三年生の頃だけ、街の児童同好会に入っていたでしょ?』

「何それ?」

『まあ、わかんないんだったらいいわ』

「どうして? 俺、そこら辺を知りたいんだけど」

『あまり思い出さない方がいいわ。思い出せないなら、猶更ね』

「え?」


 優斗はドキッとする。

 昨日、夢の中で見た、屋敷のことが脳裏をよぎった。


「もしかして、屋敷とか?」

『あー、そういや、私、仕事があるの。ちょっと、今から忙しくなりそうだし。その件はもうなしね。絶対ね』

「え、ちょっと」


 優斗がさらに聞き出そうとした頃で、通話が切れていたのだ。


「な、なんだよ」


 そんなによくないことだったのか。


 考えて見れば、なぜ、昔、自分が所属していた児童同好会のことを忘れていたのだろうか?


 優斗は首を傾げたのち、掃除道具を持って、再び、あの埃っぽい二階の、あの部屋へと向かうのだった。

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