15 「触るな」
*
魔術城に連なる塔の一つの最上階で、サシャリアの花を燃やす。
最上階は部屋ではなく、屋根はあるが壁がなく外を一望できる屋上だ。首都を囲む防壁まで築かれた街並みと、その外の地平線まで見渡せる。
魔術で燃やした花は煙を生み、細い煙は風に揺られながら天に向かってのぼっていく。
空は、もうすぐそこに雨期が迫っているため曇っていて、煙は灰色の雲に紛れてしまう。
「滑稽ですねぇ。魔王の祝福を受けるあなたが、聖王ゆかりの儀式を行うのですか」
「……ラザル・フロスト」
あとはただただ煙がなくなるのを待つだけ。シェノンがぼんやりしていたところに、嫌いな魔術師第一位が現れた。
柱に寄りかかって立っていたシェノンは、顔をしかめて鼻で笑う。
「おまえこそ、まっとうな人間に生まれ変わったなら聖王に感謝を捧げ、祈ればどうなの」
シェノンの口調は普段とは別人のように冷え切り、汚物を見るような目をラザルに向けていた。
「ええ、していますよ。儀式に参加していますから」
果たして本当に聖王を信仰しているのか。人間になり、性根まで人間に生まれ変わったのか。
そうは思えない。魔王の祝福を受けるのにこれほどふさわしい『人間』もいないだろうに。この世は何一つ思い通りにいかない。望んだものは得られず、望まないものを与えられる。
「何の用。賢者集会じゃないでしょ」
「お加減はいかがかと思いまして。例の魔術、聖王の祝福の受け手に止められているそうですねぇ。久しぶりに生身で受ける瘴気の感覚はいかがです?」
「そう仕向けたのはおまえでしょ」
「魔術の方は私のせいではありませんよ。随分気に入られているようではありませんか。その腕輪、昔を思い出しますねぇ。ああ、あのときは首輪でしたか」
シェノンは鋭くラザルを睨むが、睨んだ先がにたにたと笑っていたため、気分が悪くなり、無視をすることに決めた。
幸い他に人はいない。自分が聞き流せばいいだけだ。
「人間に好まれることは心地よいですか? あなたが欲した生活でしょうからねぇ」
「……」
「しかし聖王の祝福の受け手も愚かだ。あの魔術が担う役割を知らないがために、あなたを気に入っていると思いきや、『あの方』のように苦しめて楽しむつもりなのでしょうか?」
「……」
シェノンは無言で手のひらを握りしめ、唇を引き結ぶ。
ラザル・フロストの挑発に乗ってはならない。この男も『今は』この国の民。傷つければ契約違反となる。
「こちらとしては好都合ですがね。あなたには再び、呪いと瘴気で染まっていてもらわなければ」
肩に手がかかった。耳元に近づく気配がし、息がかかる。
ぞわりと体に悪寒が走り、シェノンは我慢を越え、反射的に魔術を構築する。
シェノンが振り向きラザルの腕を掴む──その前にラザルの腕を掴み、シェノンから引き剥がした者がいた。
「触るな」
唸るように、低い声が警告する。
おそらくたった今この場に現れたレナルドが、ラザルの腕を掴んでいた。
「これはこれは、麗しき聖王の祝福の受け手」
ラザルは一瞬目を不愉快そうに歪めたが、すぐに笑みを浮かべ、自らの手をレナルドから取り戻そうとする。
が、レナルドの力が強くて手を抜くこともできないらしい。
「今、シェノンに何しようとした」
気のせいか骨が軋む音が聞こえ、ラザルが顔をしかめた。
「お話ししていただけですよ」
「そのわりにシェノンが反撃しようとしてたみたいだが?」
冷え冷えとした声は、自らの目で見た光景の誤魔化しを許さない。そんなレナルドに対し、ラザルは瞳に不快さを表しながら、くつくつと喉の奥で笑う。
「……愚かですねぇ。滑稽ですねぇ。その『篭の鳥』を守っているつもりなのですかね」
レナルドの前でこれ以上ラザルの口を開かせることに危機感を感じ、シェノンはレナルドの手に触れた。
離すように視線で何度か促すと、レナルドは渋々といったようにラザルの腕を掴む手を緩めた。
「ラザル、さっさと消えなさい」
「まったく、仲がよろしいことで。──お忘れなきよう、シェノン殿」
ラザルはその隙を逃さず、その場を後にした。
「用は済んだの?」
ここに来たということは、用事が終わったと迎えに来たのだろう。使い魔に呼びに来させればいいのにご苦労なことだと思いながら、シェノンは柱にもたれ直す。
「どうして止めた。誰だあいつ」
レナルドは不愉快そうにラザルがいた場所を見た。
「ラザルに会ったのは初めて?」
「ああ。……なんか、違和感がする男だったな」
「……違和感」
やはりラザルの本質が異なる証か。聖王の祝福を受けるレナルドは誤魔化せないのか。
──「殺されるにせよ、聖王の手に落ちるのは許されませんよ」
──「あなたは、あの方のものなのですから」
耳元で囁かれた言葉を思い出し、シェノンはぎり、と奥歯を噛み締める。間違いなく、ラザル・フロストの性根は未だ腐っている。あれが人間に混ざれるはずがないのだ。
「……ところで、何燃やしてるんだ」
レナルドは足元から漂う、花の香りと煙たさが混ざる匂いが気になったらしい。
「サシャリアの花。知り合いが死んでいたから、形ばかりの弔いをね」
足元で燃やしていた花からは煙は消えていたから、シェノンは残りかすを魔術で消す。
その慣れたような様子を、レナルドはじっと見つめていた。
「……見送るのは、嫌じゃないのか」
「見送ることになるのは分かってたから」
「俺なら、シェノンに見送られたくない」
シェノンは声が詰まりそうになった。今日薬草園から頭に残り続けていることに引っかかったからだ。
「……じゃあ葬儀にも出ないし、弔いもなしね。あなたなら普通に聖王の元に帰れそうだし」
「そういう意味じゃなくて、俺はシェノンと」
今聞きたくないと思ったから、シェノンは思わず、手を伸ばしてレナルドの口を塞いだ。
これ以上は、もう。
その拍子に、一輪の花が落ちる。シェノンの突然の行動に目を丸くしていたレナルドが、地に落ちたそれを視線で追う。
落ちたのは、マリアからせっかくなので一輪どうぞともらった『祈り』の花だった。
しまったとシェノンの手が離れた瞬間に、レナルドがその花を先に拾ってしまう。
「この花……」
レナルドが花を手に身を起こし、シェノンを見る。
祈りの花言葉を持つ花。
ベッドの側の花瓶に活けられていた花。
八年の間にレナルドが起こした事件。自分のことで怒るレナルド。告げられた言葉と眼差し。
その全てが、今、シェノンは堪えられなくなる。
「どうして」
問いたいことは山ほどあった。
レナルドの行動が理解できなかった。
シェノンがやり過ごそうとするにはあまりに手に余った。
「どうして、そんな花を置いたの」
「……シェノンに、起きてほしかったから」
レナルドは、少し躊躇ったあとにそう明かした。
無理矢理に魔術を解くのではなく、レナルドは待っていた。それはもう知っていたけれど、その花の意味を知り、『あのレナルドが』まるで祈りを込めていた事実はシェノンには『過ぎたもの』だった。
「どうして祈れるの、どうして私なんか──私は、あなたが思うほど生易しい存在じゃない」
なぜ祈る? 何を祈った?
その祈りに値するような人間じゃない。
「シェノン」
「私は、あなたを絶対に好きになることはないのに──」
いつになく疑問を口にするシェノンに伸ばされた手の動きが一瞬鈍る。
そしてその一瞬、遠くから、何かの声が聞こえた気がした。嫌な予感と、悪寒を感じさせるそれに、シェノンは即座に彼方を見た。
「ねえ、今……」
何か感じなかったかとレナルドに問いかけたとき、腕を掴まれた。
強引に振り向かされて見た先で、レナルドは悲しそうな、怒っているような表情をしていた。
『シェノン』
と呼んだのは、レナルドではなかった。
ばさりと羽ばたく音がして現れたのは、梟だった。エトの使い魔だ。
『レナルドもいるのか、ちょうどいい』
使い魔の目を使用しているらしいエトの声が、梟の嘴から発される。
「第一位、邪魔をしないでもらえますか。今、忙しい」
腕を掴むレナルドの力が強くなった。有無を言わせない声音が、梟を黙らせんばかりだ。
『話だけ聞いて優先順位を決めろ』
「何かあったの、エト」
『緊急事態だ。邪竜が現れたと連絡が来た。──ここに向かっている』
シェノンは目を見張り、先ほどまで見ていた空の彼方を見た。
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