16 「そんなのじゃなくて……魔王とか」





 ──邪竜

 魔王の配下である竜の中でも、強い力を与えられた竜。魔王ありし頃、その竜は多くの地を焼き尽くし、そして人間の命を奪った。

 人の歴史に語られる邪竜は、漆黒の鱗を持ち、黒い炎を吐く。

 竜種の目覚めが魔王の目覚めの前兆と言われる所以は、竜種が魔族の中でも強い力を持つからだ。

 現在各地に封印されている竜の心臓自体は、四百年前からすでに鼓動せず、それらは『死んでいる』。

 聖王の遺物が聖遺物と言われるのに対し、魔王の遺物とも言える竜種の死体は呪物扱いで封印されているのだ。

 しかし言い伝え曰く、竜は殺されたのではなく魔王の討伐と共に倒れた。ゆえに魔王が再びこの世に戻ってくるときがあるのならば、竜種の心臓もまた動き出すのではないかと言われていた。


 空の彼方には、まだ竜の姿はない。

 曇り空はただただ灰色を天に広げるばかり。

 シェノンは紫の目を見開き、魔術を使ってさらに肉眼で確認できる範囲を広げる。

 すでに『あれ』が戻ってきているのか。それとも魔国の土地に『あれ』の力が戻りはじめ、一足先に竜が目覚めたのか。


『第一種防衛体制を敷く。レナルド、他に用事があるのはいいが騎士団長としての仕事はしろ。シェノン、契約の元に来てもらわなければならん』


 エトの声に、シェノンは知らず知らずのうちに首の辺りに触れていた手を離し、空から目を引きはがす。


「……すぐ行く」


 シェノンは梟の使い魔からエトの位置情報を読み取り、空間移動の魔術を構築する。

 しかし構築までの一瞬の間に魔術を壊された。

 こんなときに何をすると、シェノンは眉を潜めてレナルドを見上げたが、目が合った青い瞳にたじろいだ。

 青い瞳には、先ほどまでの怒りなどの感情が残りながらも、案じるような色が混ざっていた。

 そんな目を向けられることに、シェノンは戸惑う。


「……レナルド、状況分かってるの」

「分かってる。だから今約束しろ」

「何を」

「後で話だ」


 たった今までの続きだと分かった。

 シェノンはそっと息を吸い、答える。


「あなたにまともに話をする気があるなら」


 ことごとく話を逸らしてきたのはレナルドでもあるのだから。


「……ああ」


 なんだその微妙な間は。

 しかしごねている暇はないので、それで一旦よしとしてシェノンは改めて空間移動の魔術を構築する。

 その傍らでレナルドが騎士団所属を表す徽章の形をした通信の魔術具を起動し、「キース」と副官の名を呼んだ。


「城壁と首都外壁の防衛魔術を発動させろ」


 その指示を聞きながら、シェノンはエトがいる場所に移動した。



 エトは自らの執務室ではなく、広い会議室のような場所にいた。扉は開け放たれ、ばたばたと魔術師が行きかっている。

 眉間に深いしわを刻んだエトは、側に現れたシェノンに机に広げられた地図を示した。地図の上に自立したペンが少しづつ動き、線を描いている。


「竜の進路だ。一直線にここに向かっているようだ」


 おそらく観測の魔術師が自身なり使い魔なりで追っている竜の状態を、報告により最新の進路を記しているのだ。

 なるほど、魔国の方角から突如始まった線は、蛇行も寄り道もすることなくまっすぐ首都に近づいてきている。

 竜の飛ぶ速度はただの鳥とは比べ物にならない。魔術を帯びた翼は風を生み、空を裂き巨体を運ぶ。

 しかし、気になるのは……


「線がいくつか合流しているのは何?」


 一直線に首都に向かう線には、途中でいくつかの線が横から合流していた。

 疑問を口に出してから、シェノンは自分で気が付く。


「この国で封印していた竜ね」


 四百年前当時、この聖王の国で戦っていて動かなくなった竜の封印は定期的に補強がされている。その魔術にシェノンも関わっていたため、場所を知っていた。

 案の定、エトが頷く。


「そうだ。邪竜だけではなく、この国で封印されていた竜、さらに魔国からも邪竜と共に目覚めたらしい。現時点で十五体はくだらない」


 竜は人間にとって、災害そのものの影響を及ぼす。

 魔術師でもない、ろくな抵抗の手段を持たない一般の民にとっては、過ぎ去るのをただただ待つしかない嵐がくるに等しい。

 もちろん、嵐が来た方がましに決まってはいるが。


「他には?」

「他? 他の魔物か?」

「そんなのじゃなくて……魔王とか」


 シェノンが口にした単語一つに、慌ただしい場が凍り付いたかに思えた。

 一瞬、誰もがぎくりと身を竦ませた。

 睨む視線をひしひしと感じたが、遠回しに聞いている悠長な暇はなかったのだ。シェノンはいつも通り何も気が付いていない振りで無視する。


「いや、報告にはない。おそらく魔王はまだ復活していない」


 反射的にわずかに肩の力が抜ける。一方で、エトが報告にないだけで復活していないと言ったことに疑問を抱く。


「復活してないって、どうして言えるの?」


 推測の口調だとしても妙だ。

 竜は魔王復活の前兆と言われているが、その関係性を考えるとどちらが先に復活していてもおかしくないはずだ。


「他に目もくれずに『ここ』に向かってきているからだ。魔王が復活しているのなら、進路を手当たり次第に荒らしながら来てもいいはずだ。おそらく、完全に復活させるためにここを目指しているのだろう」

「? どういう意味? ──っ」


 新たに疑問を持ち、シェノンが傾げた首が締まる。

 対応に追われ行きかう人の足音が響き、足取り荒く現れた存在に気が付かなかったせいで、手荒く後ろから服を掴まれまともに首を圧迫された。


「魔王の魔術師め! お前が竜を呼び寄せたのだろう!」


 無理やり振り向かされた先で、唾が飛ばんばかりに怒声を浴びせられた。

 胸ぐらを掴むのが誰だと認識し、シェノンは淡々と応じる。


「……第二騎士団長殿、すっかりお元気なようで。この大事に床に臥せっているような状況にならなかったようで安心しました」


 以前に訓練と称してシェノンを痛めつけるはずが、返り討ちにされた第二騎士団長は顔を真っ赤にし、シェノンの胸倉をつかむ拳がぶるぶると震える。


「何をのうのうと──!」

「アドニス、シェノン・ウォレスはこの国で生きるにあたって様々な契約を結んでいる」


 エトが、この忙しい時にという苛立ちと呆れを含んだ声で間に割って入った。寄ってくる魔術師の報告に耳を傾けながら、片手間で第二騎士団長を諭す。


「その中には魔王と接触を図った場合、という内容がある。彼女の身に刻まれた契約がある一定の魔王の魔力を感知した場合、即刻体内の魔力路を焼かれ、見た目にも契約違反が表れる」

「あれは竜です! 契約を掻い潜れるのではないですか!? 魔物討伐の度に契約違反になっていたわけではないでしょう!!」

「そうだな。では事を収めた後に竜を呼んだ証拠を見つけることにしよう」

「竜と共謀してこの国を落とそうとしていればどうするのですか!?」

「そんなことが出来る状態でこの国に身を置いていないと言うのだ。いいか、シェノン・ウォレスの契約内容には『この国に魔国からの危機が迫れば、最前線でそれを阻むべく戦う』というものが含まれる。そして知っての通り、『この国の民を害さない』というものもだ」

「最下位の魔術師がこの状況で何の役に立つと──」


 遠くの方から、咆哮が聞こえた。

 微かな音。しかし魔術の気配を孕んだ音は、魔術師の耳にざらりと引っかかった。

 室内にいる魔術師たちが固まる中、シェノンは不快に眉を潜めた。

 邪竜の咆哮だ。地図に目を落とすとまだ距離はあるが、時間の問題か。

 未だに胸倉を掴む手を、邪竜の声を聞いた名残で不快げに見下ろしていたシェノンは──直後、ぞわりと全身が粟立った。

 同時に魔王の祝福の印が熱くなったかに思えて、首のあたりを押さえる。

 何だ、急に。

 空気が。雰囲気が。気配が。

 咆哮に呼応するかのように、明らかに何かが反応した。

 近くに、どこかに、何か、ある。

 一瞬感じたその気配はまるで──


「……エト」


 再び始まるかもしれない不毛なやり取りを待つ気はなくなり、シェノンは胸ぐらを掴んだままの目の前の存在を完全に無視し、エトに目をやる。


「他に目もくれずに『ここ』に向かってきているから、おそらく魔王を完全に復活させるためにここを目指しているんだろうって言ったね」

「ああ」

「ここにあるの? ──魔王の遺物が」


 こんなにも予想が外れてくれと思ったことはない。

 思わず囁くような声になったシェノンの問いは、声の小ささに反して室内に通った。

 誰もが聞き耳を立て、恐る恐るといった視線をエトに向け答えを待った。


「そうだ」


 肯定に、シェノンの口が強張る。


「四百年前、先代の聖王の祝福の受け手が魔王を討伐した際持ち帰ってきたものが封印されて『ここ』にある」


 大方聖教会から押し付けられたのだろう。本来そんなもの聖教会の神官が封印を行い、管理するべきだ。しかし聖教会が魔王ゆかりのものなど置きたがるわけがない。

 首都に、という大きなくくりではなく『ここ』にある。魔術城に。


「何があるの」


 強張る口を動かし、シェノンはさらに問う。

 魔王の遺物と言うのなら、何が。魔剣か、王冠か、何らかの魔術具か。

 だが魔王を完全に復活させるための遺物とは……?


「魔王の『心臓』だ」


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