17 「──ならば役立たずの害悪はここで殺してやる!!」
息をするのを忘れた。
魔王の心臓。魔王の一部。それも、心臓とは体で最も重要な部位で、魔術的にも魔力の循環の中心部だ。
聖王の最大の遺物と言われる聖剣より、遺物としての価値は高い。しかし魔王の力が宿る遺物は呪物だ。
どうやら、少なくともこの場で知っていたのは筆頭魔術師であるエトだけだったらしい。
エトの一言に、室内にいる者全員が息を呑み、顔色を失った。
誰もが思っただろう。分かっただろう。
──竜の目的は魔王の心臓だ
「そんなもの管理なんてしないで、それこそとっとと消滅させてしまいなさいよ」
シェノンは一足先に何とか声を取り戻し、毒づいた。
心臓がどくどくとうるさい。明かされた事実に内心では動揺が収まらない。
「人間の力では無理なのだろう。四百年前にそうされなかったということは、聖遺物の力を借りても無理だったということだ」
「腐っても神の心臓か。……封印はどうなってるの」
「先代の聖王の祝福の受け手の封印がまだ残っている。その上に神官が定期的に封印を施し、さらに魔術結界で囲んでいる。魔王の力が漏れているということはないのだが」
「封印は上手くいってることは間違いない。たった今まで私が何も感じなかったくらいだから。ただ、竜の声に答えてる」
身動きも抵抗もできないが、ただ声を上げている。
強い眷属の声によるものか、ここにいると知らせている。
やめて。来ないで。
「竜に首都から離れるように言え!」
体を揺さぶられ、未だに胸ぐらを掴まれていると思い出した。
シェノンは仕方なく前を見る。
「言って素直に帰ってくれるとは思えませんが?」
「最下位の魔術師でも魔王の祝福があれば、魔族に言うことを聞かせられるのだろう!」
その言葉に、シェノンはすっと目を細める。
「……聞き間違い? 普段魔王の祝福を利用してと、どこに証拠があるのかも分からないことを噂して非難し嫌悪しているくせに、魔王の祝福の力を使えと?」
「お前が魔王の心臓がここにあると竜に教えたのだろう! せめてその責任は取ってもらう!」
ああ、うるさい。
目の前で怒鳴る奴と、どここらか感じる魔王の心臓の気配が不快だ。
気持ち悪い。肌が粟立つ。そのせいか、感情が上手く制御できない。いつも流せるようなことが流せない。
「ふざけないで。ただでさえ望んだわけでもない祝福のせいで普通に生きられないのを我慢してるっていうのに、あなたたちの都合でどうして祝福なんて名ばかりの呪いに身を明け渡さなきゃならないの? ──死んでも嫌」
普段流すか、言い返しても淡々と正論しか言わないシェノンの感情が籠った反論に、第二騎士団長は呆気にとられる。
それも数秒で、第二騎士団長は一瞬で怒りを爆発させた。
「──ならば役立たずの害悪はここで殺してやる!!」
第二騎士団長が剣を抜き、その剣に魔術の炎が宿る。
炎に対し、シェノンが冷めた目を向け魔術を構築する。
その間に、
「シェノンを殺せば、俺がお前を殺すぞ。アドニス・ラフ」
劫火を孕むようで、さっと背筋を震わせるような冷え冷えとした声が割って入った。
シェノンに剣を振り下ろそうとしていた第二騎士団長を始め、周りで硬直していた者達が、はっとして扉の方を見る。
シェノンもそちらを見ると、レナルドが部屋に足を踏み入れたところだった。
「もっとも、傷一つつけた時点で腕ごとなくなると思った方がいい」
その顔に感情はなく、青い瞳は声と同じ印象を周囲に与える。
レナルドの手に剣はなかったが、魔術の気配がし、その矛先を向けられた人物が選択を誤った瞬間に魔術が襲いかかると予感させた。
「……レナルド・レインズ。この者は、魔王の祝福を受けた者だ。竜を目覚めさせ、呼び寄せたのはこの者だ」
「証拠は?」
「証拠などなくとも、他に誰がする?」
魔王の祝福を受けるシェノン以外に、この聖王の国で、誰が。
無条件に疑われることなど慣れたものだが、シェノンは舌打ちしかける。どうにも心地が落ち着かない。不快だ。
レナルドが鼻で笑い、間髪いれずに問い返す。
「いつそんなことをする暇がある? シェノンは復帰してから俺の管理下にある。魔術を使ったのは城の敷地内でのみだ。そして首都から出られない、使い魔も首都は出られない、あらゆる魔術がその範囲から出ることはできない。証拠なら提出できる」
レナルドは自らの手首にある腕輪と、シェノンの手首にある腕輪を順に示した。
第二騎士団長は「魔術具か」と呟く。
この腕輪が役に立つこともあるらしい。
「どうやって首都に侵入を許したことのない魔族と連絡を取る?」
「……っ」
「その剣を下ろせよ、アドニス・ラフ」
第二騎士団長は動かない。
「その剣を振り下ろしたいならそうしてみればいいが、俺抜きでもシェノンに魔術で無効化されるだけだからな」
冷たくあしらう言葉に、第二騎士団長がシェノンを見下ろす。
それに対して不機嫌も露に睨み返したシェノンもまた魔術を帯びていた。
「一度負けたくせに、シェノンが自分より弱いなんて思ってるわけないよな?」
シェノンに引き続き、先日のことをレナルドにも掘り返され、第二騎士団長は手を屈辱で震わせる。
「それはこの者が魔王の祝福の力を使ったからだ……!」
「だとしたら何だよ。負けたことには変わりないんだろ? ──そろそろ下らないことに時間を使わせるな。第一騎士団は第一種防衛体制に入った。ラフ騎士団長、第二騎士団も指示を待っているようだったが?」
まさかこの騎士団長、指示も出さず指示を仰ぐでもなくここでいちゃもんをつけていたのか。
レナルドの指摘に、第二騎士団長は眉間に皺を刻む。
「あなたの責任下ということだな」
「そうだ」
そこでようやく第二騎士団長は剣を下ろし、シェノンから手を離し、シェノンを一睨みして自分の指揮下の騎士団と連絡をとりはじめた。
手荒く離された服を整えながら、シェノンが苛立ち混じりのため息をつくと、ふっと魔術と纏っていた雰囲気を霧散させたレナルドが怪訝そうにする。
「シェノンが言い合うの珍しいな。ああいうの、あしらうだろ」
「虫の居所が悪いときくらいある」
ざらざらとしたものに内側を撫でられているような不快さはまだある。
シェノンはそれをどうにかやり過ごそうとしながらも、一度波打った感情の名残が残る口調になった。
「……俺のせいか?」
「は? なんで?」
思わぬことを言われて、シェノンは怪訝な目でレナルドを見る。
すると、レナルドはきまり悪げに「……ちょっと前から、様子がいつもと違ったから」呟くように言った。
ここに来る前のことだ。あのとき、確かに感情が揺れた。揺さぶられた。けれど、それとこれとは明らかに理由が異なる。
「虫の居所が悪くなったのはこの部屋に来てから。それはそうとして私が理由で殺すとか言わないで」
苦言を呈するが、レナルドは自分のせいではないと答えを得た瞬間聞こえない振りをしてくる。
そんなやり取りの合間を縫って、エトが口を開く。
「レナルド、聖剣は使用可能になったとは聞いていないがどうなのだ」
「え、そうなの」
聖教会からレナルドが持ち出した聖剣。
使用不可能状態? 聖剣ほどの聖遺物を扱えるのはレナルドしかいないだろうに。
レナルドでも扱えない? だが先代の聖王の祝福の受け手は聖剣で魔王を討ったはずだ。
エトの確認と、目を丸くしたシェノンの反応に、レナルドは眉を寄せる。
「使えないわけじゃない。力が発揮されないんだ」
「どういう意味よ」
「……聖王曰く、『まだ本当に必要なときではない』だと。今も交渉はしてる」
レナルドの返答に、室内の魔術師が「おお、聖王との対話を」と状況に似つかわしくない喜色を浮かべた。
シェノンは不思議に思う。聖剣を使う条件とは一体……?
その傍らで、エトが難しい表情をする。
「エト様!」
魔術師が一人、扉近くの者たちを押し退け、文字通り室内に転がり込んできた。
床に這いつくばった魔術師が直ぐ様顔を上げると、その顔は焦燥と恐れに染まっており、冷や汗がだらだらと流れていた。
「先頭を飛ぶ竜が首都に着きます……!」
それを聞くや、シェノンは魔術で強化した目で窓の外を見た。
灰色の空の彼方に目を凝らせば、ぽつんと異なる色が一つ。吸い込まれそうな漆黒ではない。邪竜ではない竜か。
「レナルド、腕輪を外して。首都の外に出るし、壊れる」
シェノンは腕をレナルドの方に突き出した。自分で外そうと思うと壊すので、壊さないように外せるならそっちが先だ。
それなのにレナルドは首を横に振る。
「壊れないから外さない。設定だけ変える」
シェノンはぴくりと眉を動かす。けれどレナルドは態度を変えそうにないため、腕輪に触れたレナルドの手が離れてから、ため息をつく。
「壊れても文句言わないでよ」
刹那、シェノンの元に強力な魔力の気配が生じる。
濃度の高い魔力を強力な魔術に変換し、シェノンは人差し指を真っ直ぐに遥か先に見える竜に向ける。
瞬きの後、竜のいた位置で何かが弾け飛んだ。
空が歪んだように見えたのは、『竜の残骸』か、風か、それとも──窓から吹き込んだ微かな風は、血の匂いをわずかに運んできた。
「飛ぶのは早いけど弱い個体ね」
まず一体。
シェノンは水平に挙げていた手をゆっくり下ろす。
それに合わせて揺れる腕輪は、なるほど頑丈だ。ヒビの一つも見当たらない。
相当の材質を使用したらしいと呆れた目でレナルドを掠め、シェノンは呆気にとられた顔をしている第二騎士団長を見やる。
「第二騎士団長」
第二騎士団長はびくりと肩を跳ねさせ、即座にシェノンを見た。信じがたいものを見るような目だ。
「魔王の祝福を使わないというだけで、私は何もしないとは言っていない。そもそも私は魔王の祝福の力なんて使ったことがないし、魔族を呼び寄せてもいない。魔王の復活を望んでもいない」
誤解するなと言うだけ言って、第二騎士団長から視線を外したシェノンは、次に再びレナルドに視線を定めた。
「レナルド、竜なら私で事足りるから」
シェノンはその腕をぽんと叩いて一歩、離れる。
「俺も行──」
「聖剣は使えないより使えた方が便利には違いない。使えるようにする気があるなら、今の状況を利用して聖王を脅すとか試してみるべきよ。ほら、片手間に話して話し合いが出来る相手?」
『今』も交渉はしているとレナルドは言った。つまり今こうしてこの場でシェノンたちと言葉を交わしている間にも、祝福を繋がりにか聖剣使用の交渉のため聖王とも言葉を交わしている。
「……怪我するなよ」
「ええ」
レナルドのとても我慢して言ったような様子に、笑ってしまいそうになりながらも、なおも抱える不快さを感じながらシェノンはその場から姿を消した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。