14 「見舞いの、花……」
溜まっていた依頼は消化した。
いよいよレナルドに『その気』をなくさせる計画を始めるための様子見……を兼ね、シェノンは私用を済ませることにした。
レナルドには八年間浮いた話はなかったのかと聞いたとき、ディランが言っていたことがある。キースも否定しなかった。
学院時代は、キースと共に同期であり現在も同じ騎士団に所属するレミリア・スーシアと噂になっていたこと。そして学院卒業後には薬草園で女性と笑って話していたと。
その片方、レミリア・スーシアは騎士団に意中の存在がいるらしかった。
それがレナルドであったなら、手を尽くして都合のいい場面を用意するというものだが、対象はキースのようだった。
レナルドや他の騎士団員と話しているときは厳しい目つきなのが、キースになると明らかに和らいだりするのでほぼ間違いない。
元々レミリアの方は同期というだけで、噂はあてにならないと思っていたので、本命は二人目の女性だ。
あれから何度かレナルドの腕輪とは関係のない仕事の魔術具の関係で訪ねてくるディラン曰く、女性は後ろ姿のみで、顔も名前も分からないとか。
分かっているのは、魔術師の制服に、エプロンをしていたので薬草園で働いているはずで、緑のリボンで明るい茶の長い髪を一つにまとめていたことくらい。
薬草園に勤める魔術師は限られている。聞き込みすれば、分かる可能性は大いにある。
果たして、信じがたいことに大抵の人間には笑った顔を見たことがないと言われているレナルドが笑って話をしていた相手は、どういう間柄なのか。
人に浮気だなんだと言うからには意中の相手だとかではないだろう。いやしかし、八年の間に誰かと『そういう関係』になっていてもおかしくはないと思う。
ということで、シェノンは私用も兼ね、一人薬草園に来ていた。
薬草園とは言うが、一般的に観賞用にされる花にも薬効があったりする観点から、花も多く育てられている。
レナルド関連のことは今日はついでとして、シェノンは今日は花に用があり、温室の一つに足を踏み入れる。
魔術や魔力を帯びた材料で作る魔術薬作りも嗜んでいるため、薬草園にも時折来る。
薬草園の管理人がいればいいが……と、薬草園をうろついているはずの管理人魔術師を探しながら、シェノンは歩く。
「許可取りをごねたくないから、できれば彼女を探したいんだよね……」
そもそも彼女はまだ生きているよね?と思いながら、シェノンは手のひらに魔術式を描き、カラスの姿をした使い魔を呼び出す。
「アビゲイルを探して」
薬草に目がなく、薬草園でマナーを守らない者は容赦なく追い出すが、それ以外の者は魔王の祝福を受ける者であれマナーさえ守れば許す管理人を。
カラスは無言で翼を広げ、シェノンの手のひらから飛び立つ。
「あっ、鳥! 駄目よ、出て行って!」
焦った声が聞こえた。
タイミング的に、たった今シェノンが放った使い魔が原因だ。
鳥が薬草園を駄目にするのはまれにあることで、薬草園の者が迷い鳥に敏感なのは知っていた。
使い魔は首に使い魔と分かるように印を下げるのが決まりなので野生の鳥との区別はできるのだが、声の主は見逃しているらしい。
シェノンは騒ぎになる前にと、使い魔の方に手を差し伸べて、使い魔を回収する。その間に使い魔を追って、鳥を追い払おうとしていた声の主もやってきた。
「逃がさないんだか、ら……」
一つに束ねた茶の髪を跳ねさせ、勢いよくシェノンがいる道に飛び込んできた女性の声が尻すぼみに消えていく。
探していた管理人アビゲイルではない。彼女はエトより少し年下くらいで、目の前に現れた女性は二十代前半の年頃だ。
「失礼、レディ。この鳥は私の使い魔ですから薬草園は荒らしません。ご安心を」
にこりと善良な微笑みを浮かべ、シェノンはカラスの首にある使い魔の印を示して見せる。
女性は緑の瞳で印とシェノンを交互に見て、「す、すみません!」と頭を下げた。
「この前鳩が鉢植えになっている実を全部駄目にしてしまったので、焦ってしまいました……」
「そうですよね、こちらも軽率に使い魔を出してしまったので申し訳ありません」
「とんでもありません。何かお探しでしたら、よろしければお伺いします」
これはちょうどいいかもしれない。もめずに花を持っていく許可が取れればいいので、シェノンは使い魔をその場から消す。
「サシャリアの花をいただきたいので、その許可をいただきたいのです」
「はい、では所属があれば所属とお名前、それから可能な限りでの用途をお聞きしてもよろしいですか?」
「所属は研究室、名前はシェノン・ウォレス、用途は」
「シェノン・ウォレスさんですか?」
エプロンから取り出した紙に、シェノンの言うことを書き留めていた女性の手がぴたりと止まる。
「はい」
魔王の祝福の受け手として、名前を知っていた類か。シェノンはしまったなと思ったが、紙から顔を上げた女性の表情にはただただ信じられないものを前にした驚きのみがあった。
「急にすみません。私、マリア・リーフォードと申します」
突然の名乗りに不振がる暇はなかった。
リーフォード。彼女の名字に、シェノンが驚く番だった。
「ゴーウェン・リーフォードの孫です」
「孫……」
眠っている八年の間にこの世を去った知人の孫は、「初めまして、シェノンさん。祖父からお話を聞いていました」と朗らかに微笑んだ。
弟子のディランを思えば、その話が悪いものであったはずがなかった。魔術具士の卵の弟子にはまだしも、孫にまで何を話しているのかとシェノンは苦笑いする。
「初めまして、レディ・マリア。最近戻ってきてあなたのお祖父さんの訃報を聞きました。いただきたい花の使用用途は──弔いです」
サシャリアの花は、葬儀の際に飾られ、最後に燃やすことで死後の安寧を祈るものだ。
昔々聖王が、この地に眷族と生きていた頃、眷族の死にその花を咲かせたという神話が残っている影響だ。
祈りとは神聖なものだ。
人は普段、聖王に感謝を捧げ、誓いを行う。そして特別な時に祈りを捧げる。自らの信仰心を糧に、望むのだ。
その祈りの先は聖王のため、シェノンは祈れない。聖王の地に生まれたが、魔王の祝福を受けるからだ。だが魔王に祈る気などない。
だから、これから行うことはただの弔い。
「祖父のためにありがとうございます、祖父も喜ぶと思います」
花の咲いているところまで行く道中、マリアはゴーウェンから聞いていた話というのを教えてくれた。
ゴーウェンは普段は無口で、仕事のことになると饒舌になったそうで、よく自宅の工房で魔術具作りを見ながら話を聞いたという。
「シェノンさんとのお仕事が特に楽しかったようです。もう一度共に仕事がしたかったと言っていました」
「私もゴーウェンに出会えたのは幸運でしたよ。それまであれほど語れる同僚はいませんでしたから」
仕事なんて、一人ですることが当たり前だった。
そんなときにゴーウェンに会い、魔術具や魔術について語ることが多くなった。
世辞抜きの本心からの言葉だったが、マリアが表情を曇らせた。
何か気に障ることを言っただろうか。シェノンは自らの言葉を顧みるが、心当たりはない。気を付けて発言しているつもりだ。
「実は祖父は悔いていました。あなたと、友人になりたかったと」
ぽつりとマリアが明かしたことに、シェノンは驚く。
「……ゴーウェンが?」
「はい」
仕事人間だったゴーウェン・リーフォード。
シェノンと彼との関わりは全て仕事の場で、仕事は仕事と割り切って自分と関わっているのだと思っていた。最初は警戒していたから、腕があるから関わり合い、話が通じるから話す、という風に。
「祖父はいつも話の最後に決まって言っていました。多くの者が魔王の祝福を受けているからとあなたを悪く言い、遠巻きにする。けれど自分にとっては誰より仕事の話の分かる仕事相手で、同僚だ。話してみれば、接してみれば、ただただ同じ人間だと分かる。──そう思っているのに、なのになぜ、周囲の目が気になり私もそれ以上の一歩が踏み出せないのだろう、と」
仕事の場だけではなく、それ以外の場でも関わりたいと、友人になりたかったと思ってくれていたのか。
ぶっきらぼうで、無愛想でありながら挨拶は返してくれたし、彼の作業場に行くとお茶も出してくれた。魔術の話になると饒舌になり、それ以外では無口になった。
本人の死後その孫からその真意を知り、稀有な人間がまた一人いたものだとシェノンは苦笑いする。
「ゴーウェンと話すのは楽しかった。充実していたし、それだけで私は十分だった」
マリアがまた表情を曇らせたので、シェノンは誤解を招かないように付け加える。
「レディ、誤解しないでください。友人と望まれるのは嬉しいことです。今それを知って、くすぐったいような気持ちですよ。──ですが、ゴーウェンの距離の取り方は正しかった。その一線を越えるには多大な覚悟と、揺るがぬ立場が必要です」
エトやベルフェのように、シェノンが友人関係にあることは簡単なことではない。彼ら以外に望んでくれた人もいたが、周囲の圧力により離れていったことがある。耐えられなくなったのだ。
だからゴーウェンはそれで良かった。
「私の方も距離を取っていたからそういうものです。稀にそれを越えてくるような変わり者もいますが、私だって最終的なところは越えさせない。誰にも。レディ、私との付き合いに垣根をなくしていい人なんてこの国にいないんですよ」
「そんなことはないのではありませんか? 第一位のエト様とは古いご友人関係だとお聞きしています。レインズ公爵閣下とも、ご子息の教師を任せられるほどだと」
「彼らとの間にも、いくつも線は引いていますよ」
その線を越えてこようとする存在がいるので、目下困ったものなのだが。と内心思って、シェノンが少し困った顔をすると、マリアが言う。
「なぜ、線をお引きになるのですか? 受け入れられるということは良いことではないでしょうか?」
「受け入れる側のリスクがなければね」
シェノンは穏やかに微笑み、例えばと言う。
「この国の人間が死ぬときは、聖王の元に戻っていくと言われています。私との縁は明らかに良いものではない。だから私が弔いで祈るとすれば、私との縁が消え、何の不都合もなく聖王の元へ戻れるようにということを祈るわけです」
決して聖王の元に戻る道を違えぬように。道を逸れる要素があれば、シェノン自身に還ってくるように。知人や、友であった者への礼儀だ。
「そうですか……」
マリアはシェノンのその生き方が揺るがないと感じたのだろう、頷いた。
そのうちにサシャリアの花畑についた。薄い水色を帯びた花びらが、太陽の光を一身に受けようとするかのように天を向いている。
採りますねとマリアが花畑に器用に入っていったため、シェノンは言葉に甘えて花畑の外で待つ。
すごくいい子だ。シェノンはその後ろ姿をぼんやり眺める。
そう思うと同時に、申し訳なさも感じる。言いたくないから言わない。言わないから彼らは全てを知らない。知らない彼らが、負い目を感じる必要はないのだ。
けれど、現在一線を越えてこようとする者が一人。
ならば言うべきが最善というときが来るのだろうか。そう思うと、口がひどく重くなる気がするのは、なぜか。
レナルドのことが思い浮かんで、ため息をつきかけたそのとき、
「…………ん?」
シェノンは、ぼんやりと目に映し続けていたマリアの後ろ姿をまともに認識した。
明るい茶の髪。それを一つに束ねる緑のリボン。魔術師の服。エプロン。
この特徴はまさか。
「……レディ」
「はい」
「いくつか、お聞きしてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「ゴーウェンの弟子のディランと面識はありますか?」
「はい。ディランくんはよく祖父の家に来ていました」
ディランがレナルドがこの薬草園で女性と話している場を見かけたとき、女性の方は顔が見えなくて、誰とも分からないと言っていた。
後ろ姿では知り合いだと分からなかったのだろうか?
「例えばディランがあなたの後ろ姿を見て、あなただと気づかないでしょうか?」
「? はい、気づかない可能性はあるかと思います。仕事中は帽子をかぶっていることもありますし、こうして今は髪を束ねていますが、仕事以外では下ろしていて、ディランくんとは仕事中に会ったことはないので」
顔は見えず、大きく髪型が異なったから分からなかったということか。
「それがどうかしましたか?」
一連の問いに、不思議そうにしながら花畑からマリアが戻ってきた。
手にはサシャリアの花があり、彼女はエプロンから細いリボンを取り出して茎を束ね、「どうぞ」とシェノンに差し出した。
シェノンは礼を述べながらそれを受け取りつつ、聞こうかどうか一瞬迷う。
探していた件の女性が知人の孫であるかもしれない。であれば何となくレナルドの相手に仕組むのはやりにくいものだ。そんなことを花を受けとる間に考えて、結局口を開く。
「話は変わりますが、レナルド・レインズがここに来ていませんでしたか?」
「はい、いらっしゃっていましたね。週に一度はいらっしゃっていましたが、ここのところ──」
なぜかマリアの言葉が不自然に途切れ、シェノンの手に渡った花を見た。
「……そのお花は、祖父へのもの以外のものも含まれていたりしますか?」
「? なぜ?」
そんなことはないのだが、なぜそう思ったのか。
マリアは全く予想していなかったことを話し始める。
「最近、レナルド様がお見舞いのお花を取りにいらっしゃないので。もしや共通のお知り合いがお亡くなりになったのかと」
「見舞いの、花……」
自宅の部屋に、目覚めたときにあった花。それはレナルドが置いていったものではないかという結論が以前に出た。
もしかしてここで入手していたのか。思わぬところで思わぬ謎が解けそうになってきた。
「もしかして白い? 星みたいな形の花びらの?」
「ご存じでしたか」
「たぶん、かなり」
何しろ自分の枕元に置いてあったものなので。と思いながら、シェノンはもごもごと肯定する。
「三年ほど前でしょうか。随分長い間立ち止まっておられたのでお声がけした際、知り合いが眠る側に花瓶があるので花が好きなのかと考えていたが、何を持っていけばいいのか分からないと仰っていまして」
お見舞いかと聞くと、肯定されたとか。
マリアが話しながら歩き始めるのに、無意識について歩くシェノンは、少し戸惑う。
それだけ聞くと、見舞いだと肯定したのは誤魔化しで、花瓶があったから花が好きなのではと考えて持っていったのが根本のようだった。
「お相手の好きな花が分からず、ではご自分の好きな花を贈ってはとお聞きすると自分が好きな花もないと仰ったので、花言葉で贈るのも良いですよとお勧めしました」
マリアは「定番は早く元気になるように、回復、健康、幸せを運ぶ、などの花言葉を持つ花ですね」と指折りしつつ、時にあの花のようにと示しつつ歩いていく。
けれどその中に、シェノンが見たあの花はない。
見舞いと言っても、実際は病気の類ではなくただただ眠っていたからそれらは選ばなかったのかもしれない。
目覚めた日、レナルドが手にしていた花束を落とした。あの日起きたこと、ぶつけるように言われた感情露な言葉と態度が思い起こされる。
思い出すと、レナルドが選んだ花に込められた言葉を聞きたくない気がした。
その間に、マリアはさらりと続ける。
「最終的にお選びになったのは、あの花です。花に込められた言葉は『祈り』ですね」
マリアが指差した方には、あの花があった。
白い花びらが、星型のように広がる花。
「……祈り」
「はい。『祈るほかないからぴったりだ』とおっしゃっていました」
祈る? 何を? 何に?
なぜ、それを眠る自分の側に?
レナルドは聖王への公式の儀式さえ欠席を決め込んでいたような子どもだった。そんな彼がなぜ祈りに頼り、何を糧に、何のために祈ろうと言うのか。
自分の側に置いてあったことを思えば、聖王への祈りの理由は自分になる。けれど、それは、シェノンには受け止め難いことだった。
「何度か花を取りに来られるうちにその方の話を少しだけお聞きしたのですが、少し寂しそうにではありますが微笑まれたことがありました」
いつもお見かけするときは無表情でいらっしゃったので、幻でも見たような心地でしたとマリアは微笑んでから、また表情を曇らせる。
「きっととても大切なお方なのだろうと感じたので、お亡くなりになられたのならレナルド様の心痛を思うと……」
「……」
「お見舞い相手が回復されたかどうかご存知ですか?」
「……」
「シェノンさん?」
「え、ええ。知っています。相手なら回復していますよ」
だから見舞いの花をもらいに来ないのだろうと、適当に話を合わせて、シェノンは薬草園を後にした。
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