13 「お前は、『魔王の魔術師』」
シェノンは足を止め、振り返った。
魔王の影響を受けているか、何らかの魔術の影響を受けているかを知るのは簡単だ。魔王の影響を受けていればまずシェノンにはおそらく本能的に分かるし、魔術であれば──シェノンは、こっそり魔術式をその場に広げ、発動する。
その時間、一瞬。何か勘づいた者がいても気のせいかと思ったはずだ。
何もなければ、シェノンはそのまま歩き続けて次の依頼の消化に向かっていただろう。けれど、シェノンは足を止める。
「悪夢を見る前に、魔族や魔物がいる地域に行きましたか?」
突然口を挟んだシェノンの声に、騎士団員と医療魔術師が胡乱げに声の方を見上げた。
「お前は、『魔王の魔術師』」
どうも騎士団員はシェノンの顔を知っていたらしい。たちまち警戒を露わにした彼の発言に、辺りがざわざわと不穏にざわめく。
「近づくな!」
まるで同僚の症状がシェノンのせいで、近づけば悪化すると信じているように、騎士団員は敵意をむき出しにしている。
「離れろと言うのなら廊下の端まで離れますが、改善しないと思いますよ。その人は夢魔の影響を受けているのでしょうから」
「むま……?」
「生物の精神に住み着き、夢を見せ、影響を受けさせ、魔力や生気を吸い取って巣を大きくし、死ぬまで乗っ取る魔王の眷族です。悪夢で不眠になっているのは魔術対抗できているからでしょうが、衰弱していけば……」
意識が怪しかった騎士団員が倒れた。
「全員離れろ! 例の病かもしれない」
「例の病とはなんだ……?」
「突如意識不明になり、目覚めない状態になる患者が増えているのです。それは感染します」
倒れた同僚から離れろと言われ戸惑う騎士団員と、ランドル・ホグバの研究室へ連絡しようと指示している医療魔術師。
そのやり取りを聞き、倒れた騎士団員の様子を見て、シェノンは「なるほど」と呟く。見えてきた。
「『エト・ラルスに精神魔術の行使を申請する』」
シェノンは、遠巻きにしていく周囲とは反対に、倒れている騎士団員に近づいていく。
「おい! 近づくなと言っているだろ!」
「私が何か害を為していると見れば、攻撃すればいいと思いますよ」
エトによって、魔術契約に穴が空いた。人の精神に働きかける魔術は許可されていないため、一時的にエトの権限で許可範囲内に入った。
シェノンは、倒れる騎士団員の元に膝をつき、頭の上に手をかざす。
複雑な魔術式が光り、展開され、次の瞬間にはシェノンの手に黒い何かが握られていた。
「う、ううん……」
意識を失っていた騎士団員が、寝起きのような顔で身を起こす。
彼の精神に寄生し、悪影響を及ぼしていたものを取り除いたためだ。
同僚の騎士団員と医療魔術師が駆け寄り、信じられないものを見る目で見られながら、シェノンは手の中のものを注視していた。
「……本体じゃない」
根のような、靄のようなそれを見て、シェノンはしばらく考えた結果、手を離した。
途端に事の成り行きを見守っていた周囲から悲鳴があがる。
後から苦情がきてしまう。気づいたときには遅いので、開き直って、シェノンは手を離れてどこかへ飛んでいく靄を追いかける。
窓から飛び出し、屋根や壁を駆けていく。
「『シェノン・ウォレス』」
使い魔に話しかけられている。
ランドル・ホグバだ。シェノンは意識の半分を使い魔に裂き、使い魔越しに話す。
「どうも、ランドル・ホグバ。依頼書の件について連絡したのですが」
「『ああ、感染の疑いがあるため容易に手を出さない状態でな……』」
ランドル・ホグバの声は憔悴していた。以前の偉そうな様子が全くなく、随分苦しめられているらしいと察する。
「解決しそうですよ」
「『なに? どういうことだ』」
「原因は夢魔です。夢魔は人間の精神に住み着き、夢を見せることで徐々に自分の支配下に置き、魔力や生気を吸い取る魔物です」
「『それが?』」
「その特徴は夢なのです。夢によって、やがて人の意識は現実に戻ってこれなくなります。そして対抗力のある者なら別ですが、ない者は夢に捕らわれるのはすぐかと思います」
「『それで意識が──だがなぜ夢魔が住み着くことが出来る? 首都内に魔物は入り込めない』」
「精神内まで結界は作用しますか? でなければ、魔国付近にて夢魔に寄生されればその寄生体から夢魔が分裂して人々に寄生します。先ほど夢魔の分裂体に寄生されていた騎士団員がいましたが、三ヶ月前魔国付近に騎士団が赴いた記録はありませんか?」
使い魔が少し沈黙する。
「『……魔物討伐部隊が魔国の辺りに調査に行っていたのがそれくらいか。ならば騎士団員に本体が寄生していると?』」
「おそらく。今外に放り出された分裂体が消えてしまう前に必死に本体に戻ろうとしているのを追っていますが、騎士団の方へ向かっていますね」
「『解決後、夢魔と処置魔術式と構成を提出したまえ』」
「分かりました」
丸投げか。ため息をつきながら、シェノンは騎士団の中へ入っていく靄の後を追って騎士団管轄の敷地に入っていく。騎士団に咎められてもランドル・ホグバの名前を出してやる。
「あれ?」
下に下りて行った靄の後で着地したところで、靄がどこにも見当たらなくなった。
上下左右見渡してもどこにもいない。
まさか辿りつく前に力尽きた? 確かに徐々に小さくなっていたし、寄生していなければいずれ消えるため本体を目指していたのだろうが……。
仕方なく方向的にこちらだと小走りしていると、前方に見知った姿を見つけた。
「レナルド」
なんだ騎士団に戻ってきていたのか。エトがレナルドは聖剣を取りに行っていたと言っていたが、どうりで最近こうして合流するときのレナルドは聖力を強く纏っているように感じるわけだ。
「シェノンが一人で騎士団にいるのは珍しいな」
「当然私だって好きで来たわけじゃない。騎士団員に寄生していた夢魔の欠片を追ってたの」
「夢魔?」
シェノンは夢魔について、何度目かの説明をしておく。
「第一騎士団で悪夢見ているとか言っている人いない?」
「いや、いないよな、キース」
レナルドは、傍らの副官に尋ねると、キースは「うちでは聞きませんね」と同意する。
「うちでは?」
「三ヶ月前に魔国の辺りに遠征した第三騎士団の魔物討伐部隊で、悪夢を見るとぼやいている者がいるとか。……第三騎士団副団長と団員が話しているところを聞きましたが、精神不安定な者がいると外に知られたくないからか黙っているようですね」
「じゃあ第三騎士団に本体に寄生されている奴がいるってことだな」
レナルドが進行方向を変えて、歩き出す。
どうやら第三騎士団に行くつもりのようだ。シェノンだけが行っても強行突破するか、遠回りの申請でもしなければならないところだったので、ありがたく利用させてもらうことにした。
「寄生されている奴は炙り出せるか?」
「少し解析魔術を使えば」
それにしても、今日倒れていたのは第二騎士団の団員だった。本体に寄生されているのが第三騎士団の団員だとして、第一騎士団に影響がないのは……。シェノンはちらりとレナルドを見上げた。
レナルドについてやってきたのは、第三騎士団の訓練場だった。
第一騎士団の団長であるレナルドが突然顔を見せたとあって、何事だと訓練中の団員たちが手を止め、顔を見合わせる。
「レインズ団長、うちの団長に御用でしょうか?」
団長と副団長のいない場で取りまとめの立場にある団員だろうか。
ちらちらとレナルドを窺って気が散っている団員を見かねて、代表して出て来た者がいた。
「魔物討伐部隊を集めてもらいたい」
「は、何のために……」
「緊急だ」
有無を言わせないレナルドの命令に、第三騎士団の団員が魔物部隊に召集の号令をかける。
すぐに二十人ほどが集まり、整列したが、号令をかけた団員が怪訝そうに後ろの方を見やった。
「ロット、どこに行く! 集合だと言ったろう!」
怒声を浴びせされた先には、こっそり反対側の出口に向かう団員がいた。
「いや、体が勝手に」
団員は、彼自身困惑した顔で、妙なことを言った。
第三騎士団の面々は苛立つ様子を見せたが、シェノンはぴんときてレナルドを見上げる。
「あの人みたい」
「なるほど。おい、お前」
レナルドがそう一歩その団員に向かって踏み出したときだった。
「あ、ああああああ」
団員がぶるぶると震え、白目を剥いたかと思うと、昏倒した。
周囲があっけにとられていると、すぐに吊り下げられた人形のようにゆらりと立ち上がり、駆けだした。
明らかな魔族の気配だ。
「待って、レナルド」
追おうとしたレナルドの腕を、シェノンが掴む。
「逃げるぞ。消していいなら消すが」
レナルドから聖力が強烈に発せられる。
シェノンは首の魔王の祝福の印が反応したかに思えて反射的にびくりとしたが、そんな反応をかき消すくらいの反応があった。
『聖王の気配! 消される! 消される!』
「もしかして、レナルドから逃げてる……?」
レナルド・レインズは聖王の祝福を受けている。レナルドの側で眠るようになってからシェノンが悪夢を見なくなったように、存在するだけで祝福の力を発揮しているのかもしれなかった。
つまり、シェノンが見失った靄はレナルドに近づいて消えた可能性が高い。
「消すのも待って。というかここから動かないで」
ランドル・ホグバは夢魔と事を解決する魔術とその構成式を提出するように言った。夢魔を消されては困る。
夢魔が逃げていく原因のレナルドを止め、シェノンは夢魔に乗っ取られた騎士団員を目で捉え続けながら、魔術を構築する。
「どうするんだ」
「精神から夢魔を抽出する」
レナルドは「へえ」と言ったきり、黙ってシェノンの構築する魔術を見つめる。
「精神から……?」
「そんなことが出来るのはランドル・ホグバの魔術くらいじゃないのか」
周囲の疑いの視線の集まる中、シェノンは離れていく騎士団員に魔術を発動する。
手元の魔術式から、黒い塊を引き出すと、走っていた騎士団員が倒れた。
『ぴぎ』
黒い塊は、霧の塊だった。ぎょろりと赤い目が一つ、挙動不審に上下左右を見る。
『聖王の力、嫌だ! 嫌だ!』
「はいはい」
シェノンは、個人研究室から遠隔で瓶を取り寄せ、夢魔を押し込める。
『おまえ、何する! ──おまえ、魔王陛下の気配がする!』
シェノンの手に抗議していた夢魔は、シェノンを見上げて目を見開く。
『あなた様は──』
シェノンが瓶の蓋を閉め、夢魔の声は聞こえなくなる。
これでランドル・ホグバに夢魔の欠片を抽出する魔術式を送れば、功績を得るために後はやってくれるだろう。
「なあ、シェノンは、俺の聖力が嫌だとか感じるのか?」
極端に嫌がる夢魔の様子を見て、初めてそんなことに思い至ったらしい。
「少なくとも普段は感じないけど。強いのだと、私がと言うより魔王の祝福が反発するかもね」
「強いと、シェノンも何か影響受けたりするか?」
「どうだろう。私は魔王の祝福を受けているけど『人間』だから……」
人間だから、でも、どうだろう。
さっきレナルドが夢魔に向けようとしていたあれを自分がくらったら、何かしらの影響を受けるのだろうか。神官の護符では何ともなかったけれど。同じ神の祝福の力なら。
自信は、なかった。
だからレナルドから目を逸らし、夢魔の詰まった瓶を見つめると、怯えた目でレナルドを窺っていた夢魔の目が、まっすぐにシェノンを見上げた。
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