17:還る

「カイトは?」


「色々と自分に都合がいいことを吹き込んでいたみたいだね、さあやちゃん」


 わたしの言葉を無視して、ハヤトさんはこっちを睨み付ける。

 せっかく甘い匂いで満たされている空間なのに、洗ってない犬とか、猫が子供を生んだときみたいな臭いが微かに混ざってきて思わず顔を顰める。臭い。

 車の中を見ようとしたけれど、今の大きさだと屈み込まないと車内が見えない。

 カイト、車の中にいるのかな? なんで会いに来てくれないの?


「もういいです。あんたなんて怖くない。わたしにはカイトだけいればいいんだから。車の中、勝手に見るから」


「車の中を見ても、今の君にカイトは見えないよ」


 見下したような笑みだった。いっつもそう。こいつは難しい言い回しで、わたしを馬鹿にしてるんだ。

 イライラしてくる。せっかくすっきりした気持ちになっていたのに。なんで邪魔するの? カイトが尊敬してるから、一目置いてやっていたけど、そんなのどうでもよくなってきた。


「なんだよ。はっきり話してよ。カイトはどこ?」


「今は教えない。オレを殺したら、君がカイトを見ることも無い」


 ムカつく。ムカつく。ムカつく。

 あの生意気な拝み屋だってわたしに頭を下げたのに。力もないただのバーのオーナー如きがわたしをバカにする。わたしはすごいのに。村のみんなだってたくさん殺した。朝になって警察が来ても怖くない。なのに、なんで。なんでこいつはわたしを怖がらないし、わたしを見下してるんだよ。


「愚か者は、自分が見たいものを、見たいようにしか見ない」


「は?」


「君にチャンスをあげるよ」


 ハヤトは、腕を組んで余裕たっぷりな表情でそんなことを言った。カイトが見えないのは困るから、わたしは仕方なくハヤトの案に乗るふりをする。カイトと会えたら、こいつを殺そう。

 できるだけ苦しめて殺してやるんだ。わたしを愚か者って言ったし、なによりカイトの大切な人を殺したのもこいつだから。カイトはダマされてるかもしれない。だから、代わりに仇討ちをしてあげないと。

 乾いた音が三回響いた。ハヤトが手を打ち合わせた音だ。

 強い獣臭と一緒に、車の後部座席から二人の男が姿を現した。

 二人の男は、頭から黒い布の袋を被せられていて、手には軍手みたいなものを着けている。

 それに、袋には白いインクでよくわからないぐにゃぐにゃしている模様が描いてある。見ていると無性にイライラするので、じっと見るのはやめた。

 二人の男は、ハヤトに手を引かれてこっちに歩いてきた。前が見えないのか、足下がおぼつかないみたい。


「どちらがカイトでしょうか? カイトじゃない方を叩き潰してみてよ」


 ハヤトは、わたしを見上げて微笑みながら、そんな突拍子もないことを言ってきた。


「ふ、ふざけないでよ! 間違えたらカイトが死んじゃうんだよ!?」


「君は毀損した信頼を埋め合わせるためにまだ何も差し出していない」


 微笑んでいたハヤトの目がスッと細められて、今のわたしは腕力でこいつに勝てるはずなのに思わず体が強ばる。

 でも、気持ちを奮い立たせてわたしはハヤトに口答えをした。


「あ、あんたのいうことを聞いて、わたしは腕を失ったのに!」


「それは、繭が使えるものかどうかの証明だ。君は毀損した信頼を埋めるべきものを、オレにまだ差し出していない」


 わたしが何も言えないでいると、ハヤトは更に言葉を続けた。


「君は、毀損した信頼を埋めるために、何かを差し出すことを承諾した」


 なんだよ。ムカつく。

 わたしを見上げるくらいチビのくせに。人間のくせに。過ぎたことをぐちぐち言いやがって。


「この二人のうち、どちらかを殺せば、信頼した毀損を埋めたことにしてあげるよ」


 そうだ! 目の前に二人の人間がいて、どっちかがカイトなら、こいつを殺してから頭の布を取ればいいじゃん。


「わかりました」


 わたしは顔を上げて、ハヤトの顔を見た。

 薄い唇の片方を持ち上げて、得意げに笑っているこいつに向かって、大きく振り上げた拳を叩き付ける。


「――ぐぎゃ」


 ぐちゃりという湿った音がして、手の側面に硬いものが幾つか突き刺さる。でも、こんなの痛くないし、すぐに治る。

 大きくなっちゃって女の子らしくないのは不便だけど、こうしてムカつくやつを簡単に殺せるし、傷痕も残らないのはいいなってちょっと思う。


――哀れな子だねぇ


 頭の中で、おごさまの声がした。

 何が哀れなのかわからない。勝手に言ってろよクソババア。わたしはゴミを片付けただけ。

 カイト、今、助けてあげるからね。変な臭い布を被せられて可哀想。

 目の前にいる人間達に音は聞こえていなかったのか、それとも、見えてないからハヤトが死んだこともわからないのか、逃げる様子はない。

 しゃがみこんで、二人の人間の頭に被せられた黒い布に手をそっと手を触れる。力加減を間違えて潰してしまわないように。


「う゛あ゙」「い゙だ」


 わたしの指先が燃え上がって、黒い布が内側から噴きだしてきた液体で濡れる。濃厚な甘い匂いと共に、二人の人間はその場に倒れた。地面には布が吸いきれなかった血がどんどん広がっていく。


「カイト! カイト!」


 灰になってぼろぼろに砕けた指先はあっと言う間に元に戻った。でも、カイトは人間だ。

 白いインクで描いてあったぐにゃぐにゃしている模様が消えたからか、布に触ってももう自分の指は燃えなかった。

 布を二つとも剥ぎ取って顔をみる。顔を見ればどっちがカイトかわかるはずだから。


「……そんな」


 顔は、元がどうなったかわからないくらいぐちゃぐちゃでなにか大きな獣に食い荒らされたみたいに抉れていた。


「酷すぎるよ」


 その場にしゃがみ込んで、溢れてくる涙を拭おうとする。でも、目からは白い毛虫が次々と出てくるだけだった。

 毛虫は、三つの死体に集まってその肉を食べていく。


「カイトのために……わたしは……がんばったのに。せっかくカイトに会えたのに」


――カイトに会えたんだな?


「会えたけど! 会えたけど死んじゃったら意味がないんだよ! クソ!」


――会えたのなら、願いは叶ったということだ。


 頭の中で大きな笑い声が聞こえた。

 それどころじゃないのに。わたしは世界で一番大切な人を失ったっていうのに。

 おごさまにムカついて殴りたいけど、こいつはわたしの頭の中にいるから殴れない。

 イライラしてハヤトが乗ってきた車を殴ろうとした。その時、車がエンジンを吹かしてどこかへ走り去っていく。

 誰も乗ってないのに? 追いかけようとして翅を広げようとするけれど、体がうまくうごかない。


「あはははは! ならばしまいじゃ。わらわの力と体を返してもらうとしよう」


 車はどんどん遠ざかっていく。でも、わたしの体は動かない。その場で空を見上げながら笑い、翅を動かしてどんどん夜空へ昇っていく。

 翅と同じ銀色の鱗粉があたりに漂って、人魂みたいに光っているので村の様子がよく見える。

 黒く蠢いている無数の毛虫たちは、動きを止めて一箇所に集まって来た。大量の毛虫たちが体を寄せ集めて出来た球をおごさまが愛おしいという気持ちで見つめていることが勝手に伝わってきて吐き気がする。

 両腕が勝手に球を掬い上げるように動くと、毛虫の球は空へ浮かび上がって目の前に運ばれてきた。


「愛しい子たち。ご苦労だったね」


 おごさまは毛虫の球を一呑みにすると、更に高く飛び上がった。

 待って、わたしはまだ! まだ納得してない! カイトに会えても死んじゃったら願いなんて叶ってないのと同じだもん! ふざけるな! わたしの体を返せ! あとあの車も追いかけてよ! 誰かいたんだって! ねえおごさまお願いします。わたしの言うことを聞いてよ! お願いだから。


「ああ、まだいたのか。お前もわらわの中へお帰り」


 冷たい声だった。それから、おごさまがパチンと手を叩く音が聞こえてわたしは――


――完――

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