15:宵の終わり
「……! 冷た! それに臭い」
背後から何か冷たいものが掛かる。それと同時に見えないなにかがこちらに白い和紙で小さな粒を包んだ何かを投げてきた。
わたしの胸元や頭にそれが当たるけれど、全然痛くない。手に取って紙を破いてみると、中からは生米がぽろぽろと落ちてきた。
殴られたり、刃物で切られたりみたいなことをされると思ったけど、ちがうみたいでわたしは足を止める。
ふわりと漂ってきた煙を手でぱたぱたと煽ぎながら、着物の人間を睨み付ける。相変わらず顔はぼやけてよく見えないから、どんな表情をしているのかわからない。
なんでこんなことをするのかわからないけど、変な水を掛けられたり、物がみえないところから飛んでくるのもムカつく。
文句を言ってやろうと腕を伸ばしたけど、そいつはまたわたしの視界から消えた。
「神酒、塩、穀物、松で焚いた煙……」
「なに?」
「あんたにかけたもの」
何重にも重なっていて、男か女かわかりにくかった声が、急に鮮明な輪郭を得た。
声変わりをしたばかりみたいな若々しい声が発された方向を見ると、そこにはそこそこきれいな顔の男が立っていた。
生意気そうなつり目は、一重なのに腫れぼったい目の不細工に見えなくて涼しげな印象がある。それに細くて白い喉にしっかりとある喉仏……あいつ、男だったんだ。
「……効果が全部、ない」
白い着物に細い体……ヘビみたい。そう思っていると、拝み屋の男は右手で持っていた扇子を、振り下ろし、左手でポンと受け止める。芝居がかった言い回しだなって思って、わたしは頭の中でかやちゃんに話しかけた。
「……なんなのあいつ」
「私にもわからない」
かやちゃんが左目の奥でうごめいている。わたしだけが戸惑ってるんじゃなくてホッとしながら、わたしは着物の男が歩き回っているのを目で追う。
跳びはねるような変な歩き方をしているそいつは、庭の入口を見ながら目をスッと細めた。
「蚕の
「おいあんた! 高い金払って雇ったんだぞ」
「簡単に化物を退治できるって言ったじゃねえか」
また見えない場所から声が聞こえてくる。村人たちがいるのはわかるのに、どこにいるかわからないからか、かやちゃんも糸が伸ばせないでいる。あの男ごと殺したいけど、多分また防がれてしまいそうで、なんとか隙を見つけたいのに……。やりたいことが出来なくてイライラしてくる。
真ん中で分けられている前髪がさらさらと揺れて、着物の帯にぶら下げられている飾りがしゃらしゃらと音を立てているのを聞いていると、イライラがどんどん増してくる気がした。
「てめえら、俺に嘘を吐いていたな」
ダンっと大きな音がして地面が揺れる。バリバリと静電気を大きくしたみたいな音がして、カーテンが落ちるみたいに庭の入口の景色が床に滑っていく。
「怨霊や畜生の
着物の男が睨み付けている先には、村の人であろう男の人たちがたくさんいた。知っている人もいる。あの人は大輔くんのおじいさん……それにあの子は
ああ、あそこのじゃがいもみたいにでこぼこした顔の目が小さい不細工はわたしをよくいじめてた石塚くんだ。
「わたしを殺せってこいつに頼んだんだな! いじめっ子のくせに! 不細工のくせにわたしを叩きやがって」
「あの時はてめーが
「おめえが昔やった細けえことは関係ねえ! おごさまをお返ししねえならぶっちゃすしかねえべよ」
かやちゃんがわたしの代わりに怒ってくれている。左腕が勝手に石塚の喉を目がけて動いた。青ざめて豚みたいに「ふご」って鳴きながら、石塚の頭が宙を舞った。
ヘビみたいな男の足下へ、石塚の頭がごろごろと転がっていく。土まみれだし本当にじゃがいもみたい。血と一緒に、桑の実に似た甘い匂いが広がってお腹が空いてくる。
「それ、返して」
「コレ、食うのかい?」
無言のまま、ヘビみたいな男は石塚の頭をサッカーボールみたいに踏んでわたしの方を見つめる。
かやちゃんの攻撃をよけたくらいで強いつもりになっているのがムカついてくる。わたしのかやちゃんは、きっとあんたなんかより強いのに。
ざわざわと頭の中で旋風が起きたみたいに変な感覚がする。かやちゃんの声が「みんな殺しちゃおうか。さやちゃんがお願いすれば出来るはずだよ」って大きく響いた。
「早く渡せ」
拝み屋の男は顔の割の大きな口を開いてにたりと笑った。舌の先が二股にわれていて、本当にヘビみたい。こういう人が田舎にいるなんて珍しい。詐欺師みたい。でも、かやちゃんの攻撃を防いでるんだから、一から十まで詐欺ってわけじゃないんだろうけど。
「ほらよ! 受け取れ」
男は、そんなことを言いながら爪先で石塚の足を蹴り上げた。もう暮れ始めて紫色の空に、真っ黒な人の頭が放られる。
村の男たちのどよめきが聞こえて、足下を見ると影よりもさらに暗い影がわたしの方に不自然に伸びてきた。
危ない……と思ってジャンプをしたけど、鈍い痛みが左脚を襲う。
血は出てないみたい。暗くてよく見えない。ざらざらと米俵からお米が零れるみたいな音が左側から聞こえてくる。
「ああああ! 最低! 痛い! クソ! カイトより不細工のくせに」
痛くて熱くてわけがわからないまま、わたしは自分の足に噛みついてきた何かを掴んだ。そのままそれを引きずり出して地面に叩き付ける。
黒い縄だと思ったけれど、それは目も鱗も口の中も真っ黒なヘビだった。
「まいったな。クソ。安請け合いするんじゃなかった」
「かやちゃん、お願い」
拝み屋の男が初めて慌てたような声を出した。
ムカつくムカつくムカつく。わたしに触っていいのはカイトだけなのに。わたしを殴っていいのはカイトだけなのに。わたしを傷付けていいのはカイトだけなのに。カイトはきっとわたしを探してくれてるから早く会いにいって安心させてあげなきゃいけないのに。
「さっさと先祖供養を終わらせて、カイトと会いたいのに!」
そう怒鳴ると同時に、おごさまと初めて会ったときみたいに温かい感覚が、左目からどんどん広がっていく。
イライラしていた気持ちがどんどん消えていって、わたしの中のわたしがかやちゃんに、おごさまに包まれて小さくなっていく。
お腹の中も温かい。そして、甘い。その変な気持ちよくて甘い感覚は下腹部を避けるようにしてそれは下肢へ広がった。
視界の左側はもう真っ赤じゃない。わたしと同じ年くらいのかやちゃんがいる。夢の中で見た女の子の見た目だったからすぐにわかった。くっきりとした二重、スッと通った鼻筋に主張の少ない小鼻。桜の花みたいな厚みはあるけど下品にならない血色の良い唇……。真っ白ではなくて、少し健康的に日に焼けた肌とすらりと伸びた手足。アレは、かやちゃんだったんだね。
かやちゃんは、わたしに向かって微笑んで、それから「ありがとう」と言ってくれた。
「嘘だろ」
お腹の下から聞こえてきた男の声は上擦っていた。声の方へ目を向けると、さっきまで余裕ぶっていた拝み屋の男が、怯えた表情でわたしを見上げていた。
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