12:繭

 赤い塊はおごさまだ。

 繭の中に、わたしの意識が呼ばれたんだって直感でわかった。


「さやちゃん、やっと会えたね」


 繭から聞こえてきた赤ちゃんみたいな声じゃなくて、もっと違う……大人っぽくて優しい声。

 真っ赤なおごさまは、皮が剥がれた赤ちゃんみたいな形をしている。小さなころに保体の授業で見た胎児って方が近いかも。

 胎児とちがうのは腕が四本あるところ。背中を丸めているおごさまは、腕を胸元で折りたたんで組んでいるし、足もまるめているから、腕以外の部分は胎児とおんなじだなって思った。


「おごさま?」


 声をかけてみる。でも、おごさまは少しだけ体を動かしただけだった。

 二、三歩前に進むと、水音が鳴る。そこではじめて自分の足がくるぶしまで半透明の赤い水に浸かっていることがわかった。

 ぼうっと赤い塊が光っているだけの空間だったのに、いつのまにか壁や天井が見えてくる。繭の中……そんな感じの場所に、わたしとおごさまだけがいた。


「そう。あなたが血をくれたから、こうして繋がれるようになったよ。ありがとう」


「やっぱりお腹が空いてたんですね。よかった」


 血をあげるのは正解だったのがわかって安心する。あのまま、おごさまが弱って死んじゃったら大変だもん。だって、まだわたしのお願いは叶えてもらっていないから。


「あなたと私は元々ひとつだったのにね。願いを叶える力も本当ならあなたは自由に使えたはずなのに、かわいそう」


「え? どういうこと?」


 勝手に哀れまれたのはムカつくけど、でも、それよりもおごさまが言った内容の方が気になってわたしはもう一歩前に出る。


「わたしが特別な力を持ってるのに、誰かに横取りされてるってこと?」


「だって変だと思わない? 願いを叶える力がある繭を持っているのに、みんながあなたをバカにするなんて」


 思い出さないようにしていた小さな頃のことが、頭の中に蘇ってくる。

 バレンタインで手作りチョコを渡してあげたら大輔だいすけくんにブスって言われて突き飛ばされたこと、仲良くしてた心桜こころちゃんがちょっとハンカチを無くしたくらいで怒ってわたしを仲間外れにしたこと、先生が「お前にも原因があるんだぞ」ってわたしがされたことも考えないで説教してきたこと……。その気になれば、お前らなんて殺せるのに……わたしは我慢してきてあげたっていうのに。


「あなたはもっと大切にされるべき存在なのにね」


「許せない」


「一緒にあんな場所めちゃくちゃにしちゃおうよ」


 手を伸ばしても届かない位置にいるはずなのに、おごさまの小さくて甘い声は、耳元でしっかりと聞こえた。

 許せない許せない許せない。次のおごさまを作る方法が分かったら、あいつらのことも潰しちゃおう。きっとおごさまもしたいことのはずだから、願いを叶えるにカウントしないでくれるはず。

 腕も返してほしいけど、多分無理なのはわかる。だから、おまけをしてくれませんか? って頼もうとした。


「起きろ。おい、さあや」


 頬を軽く手の甲で叩かれた感覚がして、わたしの体が赤くて仄暗い繭の世界から浮き上がる。

 まだ話したいことがあるけど、でも、わたしにはおごさま以外にも大切な人がいるし、その人をさみしがらせるわけにはいかない。

 天井に空いた丸い穴からは白い光が射している。まっすぐそこへ飛んでいくと視界が一面白で塗りつぶされた。

 次に目を開いた時に見えたのは、わたしがこの世界で唯一愛している人――カイトだった。


「お前の家、どうなってんだよ。ボロボロだし誰もいなかったぞ」


 溜め息を吐いたカイトはそういうとスマホを見せてくれた。

 スマホに写ってるのは、確かにわたしの家だ。狭い入口を通って、右に精米機の置いてあった納屋が立てられている。コの字型に広がった納屋に囲まれている広いだけの庭に出ると右側には昔、蚕を育ててたって二階建ての建物が見えて、コの字の空いた部分を埋めるように左側には細長く作られた母屋があった。


「これだけ、しらない」


 わたしは、カイトが撮ってきた写真を指差す。庭の中央には、本の杭? みたいなものが二本Vの字みたいな形で突き刺さっていた。

 そして、地面にはなにかの燃えかすが落ちている。画面を拡大しても、それはなにかわからない。


「俺はお前の持ってるやつしか知らねーけど、繭じゃねーの? なんか形もまるっこかったし。キモいからさすがに触れなかった」


 なんだろう。

 お婆ちゃんが死んでから、なにかあったのかな。雨戸は閉めっぱなしなのか、ほこりっぽい。納屋の中にあったはずの色々な農機は持ち出されているのか空っぽで、錆びたわたしの自転車だけがぽつりと残っていた。


「荒らされてる様子はなかったけど……だから真ん中にある儀式のあと? みたいなのがキモくてさ。すぐ帰ってきた」


 そういえば、カイトはあのオシャレでかっこいい車でわたしの実家まで行ったんだろうか。

 クソ狭い、軽自動車ですらすれちがえないような入り組んだ道を……。

 どこかに車を停めた? でも、駐車場みたいな場所はしかない。

 ぐるぐると目眩がする。どきどきと心臓が脈打つ。右手と背中に嫌な汗が滲んできた。

 急に立ち上がったわたしにカイトは「なんだよ!」と怒鳴るけど、それどころじゃない。ソファーに置いてあった鞄を持って、中におごさまの箱があるのを確認した。箱の中からは「カサカサ」と小さな音がする。


「カイト! 今すぐここから出よう!」


「は? なんなんだよ。お前勘違いしてねーか?」


 カイトの腕を引っ張って外へ出ようとした。でも、カイトは苛立ってるのかわたしを振り払って、そのままベッドの方へ放り投げた。

 ポケットからタバコを出して、火を付ける。


「お前がバカで愚図で人の話を聞かねーメンヘラだから、事を荒立てないようにしてたけどよぉ」


 煙を吐きながら、カイトがわたしのお腹を思いきり踏んだ。


「お前が斉藤……いや、兄ちゃんにしてきたこと忘れてねえからな」


「は? わたしはなにもしてないじゃん! あの不細工が」


「お前はそういうやつだよ。自分がしたことは忘れて、されたことだけ覚えてる」


 言葉を遮られて、わたしは頬をビンタされた。

 じんじん痛むけど、カイトはイライラすると人の話を聞かなくなる。だから、我慢してあげる。

 きっと大好きなお義兄さんに先立たれて、心の支えだったハヤトさんに裏切られて、不安定になってるだけ。でも、今はそれどころじゃない。


「そんなことどうでもいいから」


「ああ?」


 カイトが怒って近くにあったテーブルを蹴飛ばす。百合の花が活けてあった花瓶がカーペットの上に鈍い音を立てて落ち、じわじわと水が染みこんでいく。


「早く」


 出ないと! そう言おうと思った瞬間、部屋の扉が乱暴にノックされた。

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