7:おごさま

「さあやちゃん、昨日はごめんね」


 不細工なボーイとハヤトさんだけが閉店後の店内には残っている。

 わたしだけのために流されているバイオリンの音がきれいな曲名がよくわからない音楽も、カイトがいないなら虫の鳴き声と変わらないくらいつまらない。

 カウンターの奥からやってきたハヤトさんは、微笑みながらお店で一番高いシャンパンをアイスペールに入れて持ってきた。

 暖色の光で透かされた髪が光って、カイトほどではないけれどやっぱりかっこいいんだなっておもう。

 もちろん怒ってわたしの腕を折ったような人だから、わたしがなびくわけないんだけど。

 テーブルに二つ置いた細長い脚付きのグラスに、かき氷みたいなふわふわの氷を入れたハヤトさんが、ボトルからシャンパンを注いでいく。

 金色の液体が立てるしゅわしゅわという音を聞きながら、わたしは対面にいるハヤトさんを見た。


「……で、昨日言ってたモノ、持ってきてくれたんだよね」


「はい。これです」


 わたしは、和紙の箱に入ったを鞄から出してハヤトさんに差し出した。

 カイトはなんでいないんですか? と聞けないまま、箱を受け取るハヤトさんの細くて長い指を見る。

 今日、ダサい車でわたしを迎えに来た不細工はちょっと離れたところにいる。

 家に来た時はムカついて車のドアをボコボコに蹴っちゃったけど、ちょうどカイトが「俺たちの将来のためだろ」ってメッセージを送ってくれたから許してあげることにした。

 不細工なボーイは相変わらずマスクで顔を隠していたし、ムカついて髪の毛を引っ張ってやろうと帽子を取ったら髪色が黒になっていて「お前なんかがカイトになれると思うなよ」と怒鳴ってしまった。元の髪色は忘れたけど、黒髪じゃ無かったことだけ覚えてる。いつも無表情な不細工がその時だけムッとした表情を浮かべて舌打ちをしたのもムカつく。

 もう一回、殴ってやろうと思ったけど時間がもったいないからやめて大人しく車にのってあげた。

 だから、お詫びの一つもしていいと思うのに、あいつはすました顔で壁際に立っている。


「へえ。もっとおどろおどろしいもんかと思ってたけど……」


 ハヤトさんがおごさまの箱を開いて、白い繭を人差し指と親指で摘まむ。光に表面が照らされてきらきら光っていてきれい。

 ゆっくり揺らすと、中にいるが微かに乾いた音を立てる。

 昨日あれだけ怒っていたから、ハヤトさんはわたしのおごさまを潰そうとするのかなと身構えていたけれど、そんなことをする様子はなくてちょっとホッとした。


「本家の跡継ぎがもらえるらしいんです。お父さんは信じてないから仏壇に供えっぱなしだったけど」


「へぇ……。これがたくさんあるんだ」


 箱の中におごさまをもどしたハヤトさんは、空いたグラスに手酌でシャンパンを注ぎながらそういった。


「えっと……お父さんの分くらいしか知らないです。その、おばあちゃんは使っちゃったし、使ったおごさまはお返ししないといけないらしいから」


「じゃあ、大丈夫か。さ、使ってみてよ」


 顔を上向きにしてハヤトさんはシャンパンを呷った。白い肌に浮かび上がる喉仏が大きく上下して、こちらを真っ直ぐに見つめてきた彼はなんでもないことみたいにそういった。


「え」


 テーブルの上に置かれた箱をわたしの手の上に置いたハヤトさんは、壁際に立っていた斉藤の方へ視線を向ける。


「そうだなー。なあ斉藤、きて」


 手招きをされて、不細工がこちらへやってきた。

 わたしはカイトとハヤトさんに特別扱いされているのがうらやましいからか、すごい形相でこっちを見ていてムカついてくる。


「さあやちゃん、試しにこいつを酷い目に遭わせてみて。ああ、殺さないでくれよ」


「こ、こいつを? なんで?」


「勘違いしてない? さあやちゃんが今ここにいるのは、毀損した信用を取り戻すためだよね。その繭が本当に使えるモノなのか証明できるって言ったよな」


 声が震える。カイトが殴られるのを見るのが嫌で咄嗟に言っちゃったけど、おばあちゃんは一生に一度しかおごさまを使えないって言ってた。

 それに……体の一部をおごさまにあげないといけないはず。そんな代償を……不細工をちょっと痛めつけるために使いたくない。


「まあ、無理強いはしないよ。カイトにちゃんと躾をしとけって説教するだけだからさ」


 大きな音がして、体がビクッと跳ねる。ハヤトさんがシャンパングラスを壁に思いきり投げつけた音だった。

 割れたガラスの欠片がちらばって、ぶあついカーペットに残っていたシャンパンが染みこんでいく。

 また、カイトが酷い目に遭っちゃう。

 手が震える。どうしよう。でも……。

 ずきんずきんと昨日ハヤトさんに折られた腕の痛みが増して言ってる気がするし、どこからか耳鳴りも聞こえてくる。


「カイトもバカじゃない。自分の為に犠牲を払った相手の責任くらいは取るよ。さあやちゃんも知ってるだろ? あいつはああ見えて優しいやつだって」


 肩に伸ばされた手で、彼の方へ上半身を引き寄せられて、耳元に甘いと息と声がかけられた。

 緊張で飲み込めなかった唾をゆっくりと飲み込んで、わたしはハヤトさんの隣に立ってジトッとした目でこちらを見ている不細工に手を伸ばしてマスクを外してやった。

 エラが張っていて出っ張っている頬にはなぐられたみたいなきたない痣があるし、まるっこくて潰れたニンニクみたいな鼻もぶつぶつしていて汚い肌も分厚くてかさかさしているしなんか傷があってかさぶたのある唇も、驚いているのか見開いているくせに小さい目も全部きらい。

 息を吸って、わたしはおごさまを箱から取り出した。


「わかりました」


 目を閉じる。どうすればおごさまが願いを聞いてくれるのかはぶっちゃけわからない。でも、やるしかない。カイトのために。


 おごさまの繭を右手で包んで、手の甲を額に当てる。

 お願いします。あの不細工にわからせてあげてください。ちょっとだけ酷い目にあわせるだけでいいです。ムカつく不細工に身の程をわからせるだけでいいです。

 お願いしますお願いします。あの不細工が悪いんです。あいつはいつもわたしをいやらしい目で見てくるし本当はカイトに嫉妬してるに決まっています。カイトのことをいつか害するかもしれない。だって不細工は心も汚いに決まってるから。あいつは痛い目に遭うべきだ。田舎から出てきたくせに調子に乗って不細工のくせにこんな夜の店で働いていて。店で下働きしか出来ない無能な奴隷のくせに。ハヤトさんだって迷惑してるに決まってるだからわたしにあいつを痛い目に遭わせろって言ったんだ。おねがいしますおねがいします左腕をあげますから。おごさま。


「ぅ……あ」


 おねがいしますおねがいしますおごさま。あの不細工にわたしを見下したこととカイトに嫉妬するのはダメなことを教えてやってください。店から出て行け不細工。お前が悪いんだ。わたしの左腕を捧げるに相応しい罰を与えてやってくださいお願いしますお願いしますお願いします。


「さあや!」


 遠くで声が聞こえる。おごさまとお話しするんだから今は放っておいて。

 温かい気配が足下を包んでいく。

「おい! 目を開けろ」

 ああ、おごさま。ちゃんと声が届いていたんですね。大丈夫です。わたしは大丈夫です。お願いします不細工が全部悪いんです。わたしはちゃんとがんばっているのに。ハヤトさんとカイトに認められれば全部うまくいくんです。

 まぶたの裏に熟した桑の実色どどめ色をした大きな蛹が現れた。来てくれたんだってうれしくなる。ありがとうございます。ありがとうございます。

 おばあちゃんに抱きしめて貰ったときみたいにうれしくなって、気持ちが落ち着いてくる。

「斉藤!」

 しあわせ。わたしはしあわせ。

 地面に突き刺さるように立っているおごさまのお尻部分からするすると糸の束が伸びてきてわたしの折れた左腕に絡みつく。痛くない。あたたかい。大丈夫。ありがとうございます。

 おごさま。おごさま。

 わたしのおねがいを聞いてくれてありがとうございます。左腕を持っていってください。

「起きろ! 早く」

 肉の削げる音がする。骨の砕ける音がする。桑の実を潰すような音がする。

 甘い匂い。おごさまの背中が割れて、熟した桑の実色どどめ色をした胎児に似たものが湿った音をさせながら姿を現わした。


 四つん這いで佇んだままのおごさまは、白目部分のない目でこっちを見つめていた。

 ありがとうございます。ありがとうございます。涙が止まらない。

 左腕はもうわたしのものではなくなっていた。足下に落ちたわたしの腕は糸に絡められてぐちゃぐちゃの肉片になる。

 ありがとうございますありがとうございます。

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