6:夢

「あんたなんて生まれなければよかった! かやを返して!」


 お母さんがわたしの頭を殴る。

 テストの点が悪かったとか、手伝いを忘れちゃったとかそういう理由でいつも怒る。

 それから、わたしが生まれた時に死んじゃった双子のお姉ちゃんを返してっていつも言う。


「ぐず! 出来損ない! なんでこんなこともできないのよ」


「かやに恥ずかしいと思わないのか! お母さんを泣かせるな出来損ないが」


 お母さんに触発されたのか、顔を真っ赤に染めたお父さんが、突き飛ばされて動けないわたしの二の腕に火の付いたタバコを押し当てた。


「ごめんなさい! おかあさんごめんなさいおとうさんやめてよ」


 痛くて暴れてものがひっくりかえる。お母さんはますます大きな声を出しておとうさんもわたしの髪をひっぱりながら殴る。

 痛くて涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになる。なんでよく知らないお姉ちゃんのためにわたしは殴られてるんだろう。わたしが代わりに死んでいればお母さんもお父さんも笑ってくれたのかな。

 ぼーっとそんなことを考えはじめると、だいたいいつも遠くから足音が近付いてくる。


「さやに当たることねえべ」


 農作業から帰ってきたお婆ちゃんが慌てたように部屋に入ってきた。お母さんもお父さんも、おばあちゃんを殴ったりはしない。わたしを庇うように抱きしめてくれたお婆ちゃんにキモいとか化物って言ったりはするけど。おばあちゃんは、お母さんに言い返したりはしないで、悲しそうな顔を浮かべながらわたしの手を引っ張って部屋から出してくれる。


「きっと、おごさまが幸せにしてくれるからね。今はがまんするんだよ」


 おばあちゃんは、泣いているわたしを自分の部屋につれていってくれると、わたしに桑の実を食べさせてくれながら、ときどき、黒塗りの箱の中に置いてある「おごさま」の表面を触らせてくれるんだ。

 おばあちゃんのおごさまは熟した桑の実色どどめ色をしていて、綺麗だった。

 でもおばあちゃんは、わたしのおごさまが入っている白い繭が好きみたいで、少しだけでこぼこしている繭の表面を指でそうっと撫でながら「ばあちゃんのおごさまはもう天に帰っちまったんだ」って言ってた。

 それから、仏壇の前に放置されているお父さんのおごさまを見て「いつかばちが当たらなきゃいいけど」そう寂しそうに漏らしていたのを思い出す。

 おごさまは、本家の長子ひとりひとりに持たされるらしいけど、どこからどうやってもらうのか教えて貰えないままおばあちゃんは死んでしまった。

 わたしがおごさまをもらって、家を出てからすぐのことだったらしい。カイトとはじめて喧嘩をしたときにスマホをこわして、機種変更をしたからお母さんとお父さんからの連絡は来ないし、今は家がどうなってるのかもわからない。


「願いを叶えてくれたおごさまにはお礼をしたらちゃんとお帰りいただくんだよ」


 おばあちゃんが優しく頭を撫でてくれる。

 にっこり笑ったお婆ちゃんはいつもみたいに寂しそうな顔をして、もうない左手を右手でさする。

 そういえば聞いたこと無かったな。おばあちゃんは、おごさまに何をお願いしたんだろう。

 おばあちゃんって声を出す前に、優しかったおばあちゃんの顔がどんどんぼやけていく。どんどん体が浮き上がる感覚がして、それから左肩かた背中にかけて鈍い痛みが広がっていく。


「おつかれー。斉藤、こいつに薬、ちゃんと飲ませたか?」


 夢かって気が付くと同時にカイトの声が耳に入ってくる。そして車の扉がバタンと響いた音と、振動が一緒に背中あたりに伝わってきて目を開く。

 動きにくい中、顔だけをなんとかあげると、ちょうどカイトが車に乗ってきたところだったみたい。

 おばあちゃんの夢、久し振りに見たなって思って懐かしくなったけど、それよりも、今はカイトがそばにいることがうれしい。


「カイトぉ」


 両腕を伸ばしてカイトに抱きついこうとして、左腕が硬いもので固定されていることに気が付いた。鈍い痛みが肩から肩甲骨あたりに走って思わず顔をしかめると、カイトが水を差しだしてくれて飲ませてくれる。

 もう一度、車のドアが閉まる音がする。少し遅れて運転席に乗った人物は、不細工なボーイだ。

 生意気なことにニット帽とマスクをしている。芸能人気取りみたいでちょっとムカついたけど、ハヤトさんじゃなくてよかったと思えるから今は許してあげる。

 走り出した車は、どんどん郊外の方へ向かっていくみたいだった。

 

「ハヤトさんは?」


「帰った。仕事があるからカイトが責任を持ってやれってさ」


 車の窓から差し込む日差しは眩しくて熱いし、それに体全体がダルい。

 おばあちゃんの夢を見て、ちょっと幸せだけど総合的には嫌な気分だ。


「昨日は大変だったな。でも、俺のこと庇ってくれてうれしいよ、さあや」


「ハヤトさんも酷いけど、カイトもひどいよ。なんであの時なにもはなしてくれなかったの」


 昨日のことをどこか他人事のように話すカイトの顔を改めて見つめる。ちょっと怒ったけど、カイトも昨日は、ハヤトさんに殴られて輪郭のラインが変わるくらい顔が腫れていたし……慰めてあげようかななんて思っていたけれど、今見て見るとカイトの怪我はひどくなかったみたい。

 あんなに腫れていた顔もきれいに治ってるし、昨日は顔をほとんど見れなかったけど、ちらっと見た時に口の端が切れていたはず。でも、それもない。化粧でうまくカバーしているからか傷痕は目立たなくなってる? それか、もう治ったとか? 流石にそれはないか。


「俺が余計なこと言って、さあやが殺されたら洒落にならないだろ?」


「確かにそうだけどさ……」


 綺麗な顔のカイトが、殴られて顔が不細工になったら大変だけど、そうじゃないならいっか。

 心配事が少し減ったけど、一応、まだ怒ったフリはしておく。

 わたしをかばってくれなかった理由に対してだって、ポーズとしては頬をふくらませているけど、一応納得はする。だって昨日のハヤトさんはすっごく怖かったから。

 わたしがちょっとカイトとの約束を破ったくらいであんなに怒るなんて。DVとかするタイプなんだろうな。カイトほどではないにしても顔がいいのに、あんな人と付き合ったら大変そう。


「ハヤトさんもやりすぎたって反省してて……お前に痛み止め打ってくれたんだぞ」


 なんでカイトとふたりっきりじゃないんだろう。

 それでも、ハヤトさんがいないことにホッとしながらわたしは止まった車の外へ目を向けた。

 どこかと思ったら、わたしの家の近くだ。業務用っぽいダサい車だけど、家にまで送ってくれるなら、まあ、ハヤトさんも本当に反省してくれてるのかもしれない。だって、お店の車でわたしを送るなんて、まるで身内扱いってやつみたいじゃない?

 でも、ここで許したふりなんてしたらチョロいと思われてしまう。

 だから、まだちょっと怒っているふりくらいはして置いた方がいいかも。


「……でも、痛いもん。ハヤトさんのこと訴えちゃおうかな。カイトだって昨日あんなに酷いことされたのに」


 一瞬、カイトの表情が強ばった気がした。そのまま腕を伸ばしてきたから、体に力を入れる。

 やりすぎちゃった……多分殴られる。


「え」


 そう思ったけれど、伸びてきた腕は、わたしの腰に回されて、そのまま体を抱き寄せられた。


「ハヤトさんと険悪になったら、お前とこうしてられないじゃん」


 口を塞ぐようにわたしの唇に形の良い唇が重ねられる。腰に手を回されて、口の中を温かくて甘いカイトの舌がゆっくりと撫でられるとまだ残っていた鈍い痛みが溶けていくような気持ちになる。

 なんとなくうまく誤魔化されている気がするけど……いっか。


「例のもの、取りに行って」


 わたしはのろのろと車を降りて、一緒に車を降りてきてくれたカイトに肩を支えられながら自宅へと向かった。

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