4:躾

 最初のうちは順調だった。

 体を叩かれたり、縛られたりをしてお金が貰えるようになったって考えたら確かに、前までよりいいお金になるのかもしれない。

 それに、客なら顔は殴らないでくれるし、火傷もさせてこない。

 そういう専門の蝋燭は、タバコを押し付けられるよりはつらくなかった。

 六十分で手取りが九千円。前のお店の二倍の相場。

 毎日、コンスタントに三本は仕事が入って、そこからカイトへの売掛けがお店から直接支払われる。その方が楽でしょってカイトがわたしのことを考えてくれた結果だった。

 だから、わたしはお給料を全額もらわないで交通費とは別に三千円だけ持ち帰る。

 それでも、我慢出来た。最初の一ヶ月はカイトが毎日メッセージではげましてくれたから。

 だから、たまには、わがままを言っても良いって思ってた。

 わたしが嫌な思いをするといけないからって、カイトは店に来るときは絶対に連絡してねって言ってたけど、でも、がんばってるし、たまには彼をおどろかせたくてわたしはお店に足を運んだ。


「あの、困ります。カイトさんにもハヤトさんにも通すなって言われてるんで」


 店の前にいた不細工なボーイは、わたしを見るなりそんなことを言ってきた。

 扉の前に立ちはだかる不細工の胸を押しのけて扉を開こうとするけれど、生意気なことに不細工はビクとも動かない。


「うるせえな不細工! なんであんたなんかに指図されなきゃいけないの?」


 脛を思いっきりヒールで蹴ると、不細工は僅かに顔を歪めた。でも、全然退こうとしないどころか、私の肩に手を触れようと腕を伸ばしてきた。


「あの、今日は大切なお客様が来てるので」


「嫉妬してるんだろ! わたしが特別扱いされてるから! 痴漢! 触らないで! 変態! 触るなら金を払えよ」


 思いきり体重を掛けても不細工は全然怯まない。伸ばしてきたあいつの手を振り回した鞄で叩き落とすと、カツカツといやらしいヒールの音が近付いて来て止まった。


「うっわ……なにあれ」


「見てんじゃねえよアバズレ」


 わたしが大声を張り上げたところで店の扉が開いた。

 カイトが迎えに来てくれたんだと思って、思わず扉から出てきた人に抱きついて、ゆっくりと視線を上げる。

 それは、カイトではなくてハヤトさんだった。舌打ちをしたい気持ちになったけど、でも身の程知らずの不細工ボーイやこっちを見てきたアバズレ共にわたしが特別だと知らしめるにはハヤトさんでも十分だ。


「ハヤトさぁん! みんながいじめるんです!」


「あの、お客様、本店に何か御用でしたら奥でお話を聞かせていただきます」


 他人行儀に口元だけ笑ったハヤトさんは、わたしの手首を掴んで店内に引き入れた。

 ちょっと強引なハヤトさんに驚きながら、わたしは「カイトに会いに来たんです」と口早に伝える。


「あのさ、さあやちゃん、流石にああいうのは困るよ」


 さっきまでの柔らかな声色じゃなくて、少し怒ったようにそう言ったハヤトさんはわたしをカウンターの奥まで連れていくとそのまま乱暴にソファーに座らせた。

 細くて鋭い目を更に細めて怒るハヤトさんが怖くておもわず息を飲む。


「……ここから動かないで」


 冷たくそういうとハヤトさんが部屋から出ていった。

 店内は華やかだけど、こっちは事務室? っていうのかすごく無機質な部屋だった。

 デスクがあって、わたしが座っている黒い革張りのソファーの前には白いローテーブルが置いてあるだけだ。

 あとは金庫と……パソコンと灰皿。

 部屋の中を見ていると、乱暴な足音が近付いて来て、勢い良く扉が開いた。

 ハヤトさんがカイトの胸ぐらを掴みながら部屋に入ってきたので思わず立ち上がって二人の元へ駆け寄る。

 けれど、思いきりハヤトさんに肩のあたりを突き飛ばされて、わたしはソファーに腰を打ち付けてそのまま尻餅をついてしまった。


「カイト! てめーはなにしてんだよ! 店の前で自分の客を暴れさせて斉藤にまで迷惑掛けて」


 自分を怒鳴りつけたハヤトさんに対して、カイトは言い返すことも無く、ただわたしを一瞥してからすぐに頭を下げちゃった。

 わたしは客じゃ無いのに? なんで? 斉藤ってあの不細工なボーイ? あいつが嘘を告げ口したの? 許せない。

 わたしが立ち上がろうとすると、カイトは「黙ってろ」と静かに言ってこっちを睨み付けた。

 なんで? わたしは悪くないのに?


「すみませんでした。話は付けておくんで」


「リナちゃん待たせるなよ。今日は追加でタワー入れてくれるらしいから」


「はい!」


 扉を開けて店内へ戻っていくハヤトさんを、カイトは頭をさげたまま見送る。

 静かに扉が閉まって、店の中から響いていた喧騒やBGMの音量が一気に小さくなったから、カイトが漏らした溜息がはっきりと聞こえた気がした。

 誤解を解かなきゃ……そう思って立ち上がろうとして、ゴンっと鈍い音がした。少し遅れて耳が熱を持ち、それからじわじわと顔の右側面が痛くなる。

 気が付くと、わたしは床に倒れていた。

 カイトが、怒ってる。それだけはわかる。


「さあや、がんばってるのはわかるけど、今日は大人しく家に帰れるよな?」


 握りしめた自分の右手をさすりながら、口元だけで笑ったカイトは倒れたままのわたしの前にしゃがみこんだ。


「なんとかいえよ」


 なにもいわないでいると、眉間にシワを寄せたカイトが溜め息を吐きながらこっちを見下ろしてくる。

 うなずきたくない。でも、きっと断るとカイトはわたしをもう一回殴る。今までは仕事ができなくなるからって、顔を殴ることはしなかったのに。


「かお、なぐられたら、しごとできないよ……なんで……カイト……」


 涙も鼻水も勝手に出てきてそれを手で拭う。でもそんなこと気にしてないみたいにカイトはわたしの前髪を乱暴に掴んで顔をもちあげた。


「なあ、俺の話を聞いてねえのかよ。勝手に来るなって言ったよな? 帰れ」


 カイトの形の良い薄い唇の両端がもちあがって、少し人より尖っている犬歯がちらりと見える。

 だけど、目が全然笑ってない。わかってる。あの金払いだけはいいケバい女が店の外で待っているからだ。


「あの女がいるからなの? タワーを入れたらわたしも店にいていいの?」


 あいつのせいで、カイトはおかしくなってる。


「お金ならなんとかするから! あんな女見ないで! 早く一緒にしあわせになろうよ」


 少しだけ間が空いて、カイトはわたしの前髪から手を離した。

 立ち上がって後ろを向いたカイトの方からライターの音がする。すぅっと彼が息を吸う音と、チリチリというタバコが燃える音が聞こえて思わず体を強ばらせた。

 また、タバコを押し付けて躾をされちゃう。


「ごめんなさい。タバコはやだごめんなさい……わたしもっとがんばるから」


「がんばるって具体的に言われねーとわかんねーよ、なあ」


 しゃがみこんだカイトは、火が付いたタバコをこっちにむけてくる。それだけで怖くて体が勝手にがたがたとふるえてしまう。


「なんでもきくから! カイトのいうこと! ひとごろしだってできるくらい! だからたばこはやだおねがいごめんなさい」


「人殺しだって出来るって本気かよ」


「ほんとうですほんとうですごめんなさいたばこはいやですごめんなさい」


「……へえ。ハヤトさんには俺からうまくいってあげるから、それ、忘れないでね」


 タバコの煙を吐いたカイトは、さっきまでの怖い声じゃ無くて優しいいつも通りの声に戻っていた。

 ふわりと微笑んだ彼が、タバコを持ってない方の手を差し伸べてくれたので、わたしはその手を取る。

 わたしを優しく立ち上がらせてくれたカイトは、そのまま一緒にソファーに隣り合って座った。


「さあやが俺のこと、本気で考えてくれてるってわかったわ」


 そういうと、カイトはタバコをもう一吸いしてからゆっくりと煙を吐き出して、灰皿にまだ長いタバコを押し付けた。


「帰らなくていいや。とりあえず、店が終わるまでここにいていいよ」


 カイトはわたしの顎に人差し指と親指を当てて、クイッともちあげた。そのままゆくりときれいな顔が近付いてくる。

 こんなに近くで見るのにカイトのお肌は毛穴がないみたいにつるつるで睫毛も長くてきれいだし、唇だって艶やかだ。

 そのままやわらかい唇が触れて、カイトの舌がわたしの口の中を優しく撫でる。

 少しだけ苦いキスは、大人の味がした。


「いい子にしてろよ」


 それだけ言うと、カイトはぼーっとするわたしを置いて店の中へ戻っていく。

 金払いだけはいいケバいアバズレと不細工なボーイ、それにわたしの言い分も聞かないで怒ったハヤトさんにはムカついたままだけど、許してあげようと思った。

 だってカイトがいい子にしてろよって言ってくれたから。

 きっとハヤトさんもあとから謝ってくれるはず。そうしたら、ハヤトさんだけは許してあげよう。そう思った。

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