3:カイト

「え? 五万も持って来れたの? 今日、仕事がんばったんじゃん」


「うん、ロング入れたから」


 お店の入口で出迎えてくれたカイトにお財布を渡す。信頼しているなら、渡せるよねって前に言われて「嘘吐きのわたしが信頼してもらうにはそれくらいしなきゃな」って思ったから。

 髪の毛を撫でてくれた手がそのまま腰に回されて、さっきまで沈んでいた気持ちが少し軽くなる。

 通話口では強い言葉を使っても、わたしのことを殴っても結局、カイトはわたしにやさしくしてくれるから、本気で嫌ったり怒ったりできない。


「奥の卓いこ。今日はもう指名取らないからさ」


「ありがと」


「さあやががんばってくれたから、俺もちゃんと誠意で返さないとなって」


 壁で他の客席から遮られているこの席は、いつもなら金払いだけは良いケバい女が我が物顔で独占している席だった。

 今日はそいつは来ていないみたい。お金をあまり払わないのにカイトに大切にされているわたしのことが嫌いだから、普段はこの席にわたしを案内したいけど無理なんだってカイトが話してくれた。

 大変だねっていうと「でも、さあやが理解してくれてワガママを言わないからすごく助かるよ」って優しい声で囁いてくれる。

 こういう女のツボをわかっているのもカイトの好きなところの一つだった。

 カイトは、日本人らしいきれいな真っ黒の髪は少し長くて、緩くパーマがかかっていてオシャレだし、薄いグレーのカラコンを入れている。なんとなく、ロシアとか北欧のハーフみたいに彫りが深くて肌も白くて鼻筋もきれいに整っていて芸能人みたいにかっこいい。

 こんなすごくかっこいい人がわたしみたいなダメで愚図でデブを特別扱いしてくれる理由はわからないけど、でも、田舎から来て援助交際みたいな真似をしていたわたしにちゃんとお店を紹介してくれて、毛布とか冷蔵庫も買ってくれたりするし、将来は一緒に暮らしたいって言ってくれるから、がんばっている。


「今日はお客さんいないからさ、のんびりしてよ」


 暖色の間接照明が革張りのソファーやカウンターを照らしているけれど店内は薄暗い。たしかに、カイトの言うとおり今日はお客さんがいないみたいだった。


「ちょっと待ってて」


 そういってカウンターの奥に消えていったカイトの背中を見送ってから、店内を見回す。

 店の中に残っているのはオーナーのハヤトさんとカイトともう一人、ホールスタッフの名前も知らない不細工な男くらいだった。

 ハヤトさんもカイトほどではないけど顔はいい方だと思う。でも、つり目がきつい印象でなんとなく狐っぽくて意地悪に感じるからわたしは苦手だった。

 カイトも真面目な顔をしているとモデルさんみたいで狼とかそういうかっこよくて孤高の存在? っぽいけど笑うとすごくやさしいところがシベリアンハスキーって漫画に出ていた犬みたいですごく好きだなって思う。


「これは俺からの奢り。みんなには内緒にしてね」


 席で大人しく待っていると、私服に着替えたカイトがアイスペールに入っているシャンパンと二つのグラスを持ってきてくれた。

 どきどきしながら頷くと「飲もっか」って言いながら隣に座って肩を抱いてくれる。

 お店はほとんど人がいないから、だから、そういう法律? とかも気にしなくていいのかな?

 筋肉質なカイトの肩に頭を乗せると、驚いたのか一瞬だけ彼が顔を仰け反らせた。でも、すぐにいつもみたいに優しく笑ってくれたので「えへへ」と笑い返して、シャンパンが注がれたグラスに手を伸ばす。

 シャンパンは、口の中がしぱしぱするし、正直に言うとあんまりおいしいとは思わないけど、でも、カイトがよろこんでくれる飲み物だからわたしも好きって言うことにしてる。


「普通の女の子はネクターとかで割らないと飲みたくないーっていうからさ。さあやはそのまま飲めてえらいね」


「そんなことないよ。えへへ……カイト、ありがと。わたし、もっとがんばるからね」


 今日はちゃんとお金を渡せたから、カイトは機嫌がよさそうだった。

 グイッとグラスに残ったシャンパンを飲み干して、見た目の割に大きな喉仏が上下する。

 にっこりと笑ってから渡した財布を私に返してくれながらカイトは、空いたグラスにシャンパンを注ぎ足していく。


「帰りの電車代とご飯代は財布に残しておいたから」


「ありがと」


 財布の中身を確かめると、千円札が二枚入っていた。小銭はそのまま。


「ちゃんと野菜も取れよ? 健康でいてほしいからさ」


「うん、ありがと。こうやってわたしのことかんがえてくれるのうれしいよ。たくさんがんばるね」


 明日はこのお金でサラダを買って、スープも飲んでからお仕事に行こうっと。

 返してもらった財布を鞄に入れながら、わたしは新しく注いで貰ったシャンパンを少しだけ口に含む。


「そういえば、さあや、最近はあんまり稼げてないみたいじゃん? ちょっと今働いてる店、変えてみるつもりない?」


「え」


 一生懸命、口の中に広がる不快な味を飲み込んだタイミングでカイトが予想もしていないようなことを言ってきて、動きが止まる。


「ちょっとハードな店だから続けられる女の子がいなくてさ。でもがんばりやさんのさあやなら出来るかもって思ったんだよね」


 甘い声。ふわりと香る柑橘系の匂い。

 ぐっと距離を近付けてきたカイトの指がわたしのふとももをそっと撫でる。お店でお客さんにそういうことをされてもキモいだけなのに、カイトに触られると胸がどきどきして顔が熱くなってきちゃう。

 もじもじとうち太腿を擦りつけながら、わたしはカイトの顔をじぃっと見つめた。

 いくらカイトがおすすめしてくれるからって、今のお店になれてきたところなのに、新しいところでがんばれるかなって不安はある。


「でも、いきなり職場が変わるのは……」


「え? さあやは俺のコト信じられないの?」


 声が、カイトの声が、急に冷たくなった。

 ぐっと指が食い込むくらい強く肩を掴まれて、驚いて息を勢い良く吸ったわたしの喉からヒュッと変な音が出る。


「もっとがんばるじゃんって今言ったじゃん? 嘘かよ」


 軽く突き飛ばされて、ソファーに背中を軽く打ち付けた。

 胸ポケットからタバコを取りだしたカイトは、イライラしたように火を付けてすぅっと煙を吸って、わたしをすごく怒ったような目で見下ろす。

 タバコはこわい。お父さんもお母さんも怒るとそれをわたしのふとももにおしつけてくるから。

 頭の真ん中が冷たくなったような気がして、息が上手く吸えなくなる。

 そんなわたしに苛ついたのかカイトはチッと舌打ちをして言葉を続けた。


「俺さ、知り合いに第三トーワで警備してる奴がいるから知ってるよ。本当はお前、今日第三トーワに行ってないでしょ」


 何も言い返せない。

 タバコの火から目が離せない。

 舌打ちを再びしながらカイトがタバコを灰皿に置いた。


「あの……えとわたしぃ、その」


 ごめんなさいって言いたいけど上手く言葉が出てこなくて、カイトはわたしがタバコをじっと見ているのか気に入らないのか煙をわざとこっちに向かって吐いてくる。


「なあ、お前のくだらねー嘘も詰めないでこっちは優しくしてやってんの。わかってるか?」


「ごめんなさい、ごめんなさい。あの、たばこ、たばこ、こわくて……」


 煙を思いきり吸ってしまって咽せるわたしの前髪を掴みながら、カイトはタバコを再び手に持った。


「バカはこうやって痛く躾されねーとわかんねーのかなぁ」


 ジュッと嫌な音がしてじわじわと熱がふとももの一点に押し付けられた。自分の口からガマガエルを潰したような声が漏れて、その瞬間、カイトはわたしのあたまをおもいっきり近くにあるクッションにおしつけた。


「そんなわざとらしい声出すなよ。クソだりい」


 息が苦しくて、ばたばたと手を動かすとカイトは頭から手を離してくれた。

 すぐにソファーから降りて、わたしは床に正座をした。

 それから、おでこを床につけて土下座をする。


「ごめんなさい……ごめんなさい」


「いいよ、顔上げて。俺が悪いことしてるみたいじゃん。隣に座りな?」


 頭を撫でてくれたカイトが、いつもみたいに優しい声に戻った。

 それからソファーのとなりをぽんぽんと叩いているので、わたしは犬になったみたいな気持ちになりながら彼が叩く場所に座った。


「俺もさ、さあやのためを思って仕事を探したのに断られていらっとしちゃったんだよ」


 額をコツンとくっつけられて、カイトは眉尻を下げながら謝ってくれた。

 それから、わたしの目元をハンカチで拭ってくれて、それから近くにぼーっと突っ立っていた不細工なボーイを呼んでくれた。

 ボーイは氷を持ってくるとさっさとカウンターの奥へ引っ込んでいった。よかった。あんな不細工に話しかけられたら傷が余計痛くなっちゃう。

 さっきタバコを押し付けた場所を氷で冷やしてくれながらカイトはわたしの顔を見て、ゆっくりとキスをしてくれる。

 あまいあまいキスのあと、カイトは困ったように笑いながらわたしの頬をつるつるとした手の甲でそうっと撫でて耳元で低く囁いた。


「さあやが嫌なら無理にやれって言わない。ごめんな。ただ……別の女の子を探さなきゃいけないからしばらく会えなくなるんだよね」


「やだ……なんで」


「がんばれる子がいるんですって自慢しちゃったんだよね。でも、さあやが無理なら俺がその穴を埋められるような子を探さないといけないじゃん? 当たり前の話だろ?」


「わたしがそのお店で働けば、カイトともっとたくさん会えるの?」


「もちろん。一緒に暮らすならもっといい家にも住みたいしさ。がんばろ?」


「うん、がんばる」


 断る理由はなかった。カイトもわたしのことを真剣に考えてくれてのことなら、ちゃんと話を聞かずに自分の都合ばっかり考えていたわたしが悪いのは当然だし、カイトが怒るのも仕方ないもん。


「じゃあ、契約書にサインしてくれる? 印鑑は俺が買っておいたから大丈夫。さあやの名字って増山だよね?」


 ちゃんと私の名字を覚えていてくれたことがうれしかった。

 結婚をしたらカイトはわたしの名字になってくれるってことかな?

 そんなことを考えながら、ハヤトさんが持ってきてくれた契約書にサインをしていく。


「カイト、お前のことをこんなに想ってくれる子、他にいないって。大切にしろよ」


 サインをするわたしの横で、ハヤトさんがカイトにそんなことを言っているのでなんだか照れくさくなる。

 もしかして、わたしたちの関係ってお店公認だったりするのかな。

 たくさんがんばったら、もっと認めてくれるのかなって思うと、さっきまで怖かった仕事にもやる気が出てくる。


「さあやちゃんも、うちのカイトのためにありがとね」


 普段は怖いハヤトさんが、目を細めて口の両端を持ち上げてなまめかしく微笑んだ。

 やわらかいミルクティー色のふわふわの髪が揺れて、明るい茶色の目が光の加減で金色に見えるハヤトさんと、真っ黒な直毛気味の髪に緩くパーマを掛けているツーブロックの髪型をしたカイトが並んでいるとモデルさんとか芸能人って言われても信じちゃいそう。

 ぼーっとしていると、カイトが「じゃあ、書類はさあやがなくさないように預かっておくから。必要になったらいつでも渡すからね」と言って書類をまとめてハヤトさんに渡した後だった。

 お給料の部分だけちゃんと見たかったな……って思うけど、せっかく機嫌がよさそうなのにまた怒らせたら嫌だからやめておこう。

 

 この日はハヤトさんが「オレからも一本ご馳走するね」と言ってシャンパンをもう一本開けてくれた。

 わたしの五十万あった売り掛けは、残り四六万八千円になった。

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