2:巣
第三トーワビルにいるっていうのは嘘だった。
でも飛び降りようって思ったのは嘘じゃない。
カイトはいつも意地悪だけど、最後にはちょっと折れて優しくしてくれるから大好き。
おかあさんから「あんたは愚図で嘘吐きで出来損ないなんだから誰からも好かれないに決まってる」って何回も言われて来た。
それは本当だと思う。でも、こんなわたしでもカイトは好きって言ってくれる。
みんなはホストはみんなそういうんだよって言ってたけど、カイトはホストなんかじゃない。
ボーイズバーのバーテンダーさんだから、ホストみたいに金にがめつくないし、シャンパンタワーで何百万も払わないといけないわけじゃない。
いつもさあやはかわいいねって褒めてくれて、たまに殴られるけど、それはわたしがうそをついたときとか、死にたくてアムカをしたときとか、出勤日と生理が被っちゃって約束した売掛金が払えなかった時くらいだから、わたしが悪いだけ。
床が見えなくなってる部屋をみわたして、ベッドの上につみあがっている服を漁る。
どれが洗濯した服だっけ。とりあえずあんまりシワがないものを手に取って顔に近付ける。
「……これならいっか。臭くないし」
カイトが買ってくれたホテルにあるみたいな小さくてかわいい冷蔵庫から保冷剤を取りだして目に当てる。
たくさん泣いちゃったから、目が腫れちゃう。カイトに会いに行くから少しでもかわいい格好をしないといけない。
保冷剤はカイトが買ってくれたケーキについていたもので、わたしが「捨てたくない。ケーキはなくなっちゃうけど保冷剤は熱が出たときとかに使うから」って言ったら「節約上手なんだね」って、マジックペンで「さあやだいすきだよ」って描いてくれたから大切にしている。
毛布も、時計もカイトが買ってくれた。わたしのこと、ただのお客さんだって思ってたら、こんなにたくさん色々買ってくれるのかな? たぶん、だから、そういうことなんだと思う。
――ピピピ
アラームが鳴った。もう家を出ないとお店の時間に間に合わない。
今日仕事でもらった五万円をお財布に入れて、家から出発した。
売り掛けは千円でもいいって言ってたけど、なるべく払った方がカイトはほめてくれるはずだから。
家賃を払うのは明日でいいし、きっと明日も三本くらいなら仕事を出来る。
カイトが紹介してくれたお店だから、サボらないようにしてがんばらなきゃ。
「いってきます」
家から出るときに靴箱の上に置いてある和紙で出来た箱に声をかけて、蓋をあける。すると、そこにはおごさまがいつも通りいてくれる。きらきらと薄ら黄色い光を帯びて表面が光っている繭は実家から持ってきた唯一のものだった。
おばあちゃんが「増山家のもんは、一生に一度だけおごさまが守ってくれるからねえ。おめの母親は
カイトくんに殴られたときも、裸で家の外に出されたときもおごさまがいるから、それにわたしがわるいからがまんできた。
おごさまを普段から大切にしていれば、一生に一回だけ願いを聞いてくれるんだっておばあちゃんが言っていた。その時は、体の一部をおごさまにあげないといけないんだとも……。ちょっとこわいから、お願い事はいまのところする予定は無い。
「ばあちゃんがもうちっと我慢強ければ、さやのこと守ってやれたのにな」
眉を八の字にして困ったような表情を浮かべたおばあちゃんは、肘から先が無くなった自分の左手を右手でさすりながら、よくそう言っていたのを思い出す。
指でそっとおごさまの表面を撫でてから、わたしは家を出発した。大好きなカイトに会いにいくために。
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