また今夜、レイトショーで。

 特段おしゃれをするわけでもなく、金曜日の仕事帰りのちょっとした寄り道。向かう先は、レイトショー。自粛ムードの抜け始めた街は一層騒がしい春の陽気に包まれている。繁華街の大通りを這う這う抜け出す足取りは軽く、イヤフォンから流れる音楽に合わせて踊っているような気さえした。

 ―本屋とカフェの間にひっそり伸びる小路。薄暗いそこは、何も知らなければきっと通ることなどないのだろう。人が減ったのをいいことに、鼻歌に合わせ大袈裟にヒールを鳴らす。酒とたばこの臭いが酷くて、それにすら浮かれてしまう。路地の突き当り、地下へと静かに伸びる階段。この小さな映画館が、こんなご時世でもどうにか持ちこたえてくれていることに感謝しつつ、ちょっと急な段差を恐る恐ると降りていく。


「こんばんはあ」


 軽い硝子戸を押し開けば、シンプルなカウンターの向こうに座るばあちゃんから声を掛けられる。この劇場の支配人であるゆりばあちゃんだ。新社会人になって初めてここに来た時からしてもう5年以上の付き合いだが、ばあちゃんも随分老け込んだもんだ。ちょっとした切なさを覚えながらもカウンターへ近付いて、答える。


「こんばんはゆりばあちゃん。今日は何やってるの?」


「今の時間はねえ、ああ、と、これだね」


 カウンター後ろの壁面にはいっぱいにポスターが掛かっている。ばあちゃんは振り返って、そのうちの一つをちょいと指差す。『あのこ』とおどろおどろしいフォントが紙面に掲げられ、陰鬱とした風貌の登場人物が並ぶそれは、見るからにB級ホラーの類であった。


(良いな……)


 こういう変な映画ほど、妙にツボにハマったりするものだ。コーラ一本とチケットを頼み、丁度の金額を差し出した。


「まあ、今日はほとんど人入ってないからね、マ、好きな席座りな」


「ありがとうございます!」


 それぞれ受け取って、カウンターを横切る。左斜め奥にある重たい扉をぐっと押す。薄暗い、私のための空間がそこに広がっていた。



「ヒイッ」


 か細い悲鳴が聞こえて、思わずそちらへ意識を引かれる。どうやら今日は私以外の誰か―それも飛び切り怖がりな―がいるらしい。正直なところ、映画の内容は極めて陳腐でありきたりだが、怪異の主軸にある少女の存在や、それに纏わる不穏な事件など、どう結末が付くのか気になる部分も多い。その画に没頭したいような気もするのだが、斜め前辺りにいるその人の反応もいちいち気にかかるのだ。不快、というよりは


(ちょっと、おもしろいな)


 脅かしが入るたびに律儀になにがしか声を上げている。それでも席を立たないというのだから、よほど前のめりに見ているのだろう。微笑ましい気持ちになりながら、映画と共にその人の悲鳴を時折楽しんだ。



 エンドクレジットまでしっかりと見終えてから席を立ち、ぐ、と伸びをする。少女の死因は丸投げだし登場人物全滅エンドだしなんともハチャメチャな話だったが、それもまた好ましい。それに何といってもあの人だ。都度都度悲鳴を上げてるものだから、なんとなく、その人と一緒に映画を見てるような気さえした。どんな人かと、ちょっと視線をそちらの方へ遣ったところで、合った。薄明かりの中、ほんとたまたま。ひとつ前の段、右斜め前。赤い瞳―が、驚いたように丸められた。おお、吸血鬼だ。それなりに社会に馴染んできた彼らだが、こうしてあいまみえるのは初めてのことだった。


「あ、ウソ、私以外に人いたんだ、やだ、ごめんなさい、うるさかったですよね」


「ああ、いや、全然そんなことないですよ、楽しかったです」


「楽しかった!?」


「あ、あ~……ほら、面白い話だったじゃないですか?」


 ほんのりと口が滑ったので、適当に修正しながら話題を繋ぐ。どうやらその言葉に彼女は甚く共感したらしく、その瞳を今度はきらきらと輝かせた。


「怖かったけど、確かにすごい面白かったです! あそこのシーン、ほら、最初に村が俯瞰で移ったシーンあるじゃないですか、村の全体像が呪いと関連づいてることを実は示唆してたんだと思うと……いやあ、もう一回見たくなっちゃいますね」


「おお……凄い、しっかり見られてますね、でも確かに最初の俯瞰シーンから儀式の絵に切り替わる演出はグっときましたね」


 ですよね!と彼女は一層燥ぐ。その仕草に、純粋に嬉しくなってくる。だって映画を見るのも、外でご飯を食べるのも、これまではずっとひとりだった。


(これ、ちょっとナンパかな)


 そんな風に思いながらも口を開く。


「あの―今から晩メシ行くんすけど、一緒にどうです?」


 映画の感想とか、と口をもごもごさせたところで彼女が元気よく「はい!」と答えた。いい出会いもあったもんだと、笑いかける。



「ああ、そういえば」


「はい?」


「一応今から行くとこ、中華料理屋なんだけど、大丈夫です?」


「……?」


「いや、お姉さん吸血鬼の方ですよね、がっつりニンニク臭する唐揚げとかあるんですよね」


「あ、ああ! お気遣いありがとうございます、全然、今どきの吸血鬼って殆ど人間のみなさんと変わらないですよ。―まあ、昼間には外出られないんですけど」


「……もしかしてそれでレイトショーに?」


「そうなんです、夜の数少ない楽しみで」


「なるほどねえ、いいよね、レイトショー」


「いいですよねえ、レイトショー」

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