第15話 契約破棄 前編

 踏み出しかけた足を戻すと、少年は視線を落とした。

 彼の足を包むのは、子供っぽい青いカラーリングのスニーカーだ。ボロボロというほどではないがさほどきれいなわけでもなかった。


 セナが靴を買い与えたのは、それほど大した理由からではなかった。ただ、ケガをされて仕事に支障が出ては困るというだけの理由だ。

 それでも、彼女のその行動は、少年の心境に少なくない変化を与えていた。

 企業の資産として、日々を生きることに困りはしなくとも自由や人らしい暮らしとは無縁だった少年には、他人から何かを送られることは初めての経験だった。簡単に言ってしまえば、絆されたのだ。

我ながらずいぶんと安い感性を持っているものだ、と少年は自嘲した。


 少年の理性が囁く。セナを見捨て、自分だけで逃げるべきだと。だが、彼はその声に従わなかった。


「オバサン、開いたよ!」

 聞こえ続ける声を無視して、彼は力一杯叫んだ。これによって劇的に結果が変わるわけではないと理解しながら、それでも彼はセナを助ける事を選択した。


 少年の声に応じて、セナが扉へと走る。スライドドアはすでに口を開けている。セナの背後に手榴弾が落ちる。扉が閉まると同時に、くぐもった爆発音が響いた。

「ハ、ハハッ、今のは、ちょっとやばかったかもね」セナは笑い、少年の頭に手を置いた。「助かったわ。ありがとね」

 少年は、心中で自問自答を繰り返しながら、それを黙って受け入れた。


〈これでよかったんだ。そのはずだ〉この選択が正しかったのかは分からない。どちらを選んだとしてもたいして結果に変わりはないだろう。それでも彼は選択した。待ち受ける未来がどうであろうと関係ない。自分で自分の行動を選択したこと、それこそが彼にとっては重要なのだ。




     ***




 小男は、硬い後部シートに身を預けながら、腕の高級時計で時間を確認しため息をついた。窓の外では、黒い戦闘服に身を包んだ部下たちが厳戒態勢で周囲を警戒している。彼らはいずれも後ろに流れる二本のアンテナの増設された赤いヘルメットで顔を隠していた。トモエカミナリ社の精鋭部隊、ムカデ部隊だ。


小男にとって、トモエの矛とも評される彼らの存在は、頼もしいと同時に大変に厄介なものだった。なぜなら、仕事の中途でムカデを要請するということは、自身の能力だけでは事態の収拾できないと告白していることに他ならないからだ。社の資産をいたずらに消費する行為は許されない。安易にそのような行為を実行すれば、いらぬ誤解や敵を作り、自身の評価を下げることにつながる。最悪、背任の疑いをかけられて速やかに粛清されることだろう。一つのミスが、築き上げたキャリアを無に帰し、得てきた以上の物を取り上げられる。地位も名誉も命さえも……。

 トモエカミナリ社とは、いわば現代の伏魔殿だった。


 窓ガラスを叩く音がして、小男はふと我に返る。気づけば数分が過ぎていた。緊張によって意識が彼方に飛んでいたようだ。彼は懐からピルケースを取り出し、中身の錠剤を何粒か手のひらに出してから、窓ガラスを開けた。

「目標が現れました」ムカデ兵が、なめらかであるがそれゆえに違和感のあるくぐもった合成電子音声で小男に知らせる。


「開けてくれ」

 小男の言葉と同時に車の扉が開く。

 彼は車から降りると、握っていた錠剤を口の中に放り込んだ。爽快感が体を突き抜け頭が熱く脈打ち始める。先ほどまでの懸念が一気に吹き飛んだ。




    ***




 護衛を伴ってセナの方へと向かってくる小男の様子を、彼女は腕組みして伺っていた。背後には相棒である自立駆動バイクが控えている。バイクの搭乗部には、オプション部品である搭乗員を保護するためのキャノピーが装備されていた。特殊プラスチック製のキャノピーはスモークがかっており内部を見通すことはできない。バイクがエンジンの回転数を上げて吠えた。


 セナは、周囲の状況を確認した。受け渡し場所として設定されたのは、現在は使用されていない大型の工業用排水路だった。左右をコンクリートの傾斜面に挟まれ、外からは様子を伺うことはできない。たしかに密会には良い場所だったが、攻撃に対してはあまりにも脆弱。斜面から銃撃を受ければ、なすすべもなく一方的に蹂躙される地形である。


 その弱点については、場所を指定してきた小男も理解しているらしく、引き連れている部下の数は、倉庫で受け渡しを失敗した時の倍の数である二十名で、いずれも完全武装をしたエリート企業兵士だ。さらに、彼らを運んできたらしい鈍く黒光りしている装甲車が二台、小男を守るように左右に陣取っていた。その有様は、まるで移動式の要塞だ。


「フーっ、やあどうも」小男はため息を吐きセナに挨拶をした。控え目な微笑み顔だが、その目にはわずかに疲れが滲んでいた。


「だいぶ疲れているご様子で。会社員っていうのは、ずいぶん忙しいみたいね」セナが腰に両手をあてながら言う。あからさまな挑発だ。


「ええ、その通りです。今日は予定外の事態が立て続けに起きましたからね。調整に苦労しました。私のような立場だと、一つの仕事にかかりきりというわけにもいかないのですよ」だが、そのような安い挑発にのる小男ではない。けして花形部署ではないとはいえ、彼とて一部署の長である。企業戦士の仮面をそう簡単に外すような事はしない。

「さて、無駄話はもう良いでしょう。荷物の受け渡しの話をするとしましょう。荷物はどちらに?」


 セナは鼻で笑いながら半歩下がり、背後のバイクを小男に見せた。スモークがかっていたバイクのキャノピーが透明になる。見ろ、少年がバイクのサドルにぐったりとした状態で乗せられているではないか。


 少年の姿を直接確認した小男が傍らのムカデ兵に指示を出した。ムカデ兵が頷き返し、バイクへと歩みを進めた。その時!


「ちょおおおっと待ったあ!」

 用水路に声が響く。ムカデ兵たちが一斉に装備したライフルを構え警戒する。一瞬で空気がピンと張り詰めた。


「今度はなんだ」苦々しい表情で小男が毒づく。


〈予定通りだね〉神妙な面持ちで、セナは内心ほくそ笑んだ。


 用水路に、ブーツやスニーカーそれにシューズなど無数の足音が響く。黒色やどぎつい原色のスーツを身にまとった男たちが集結していた。彼らの手には鉄パイプにドス、さらにはチャカガンが握られている。ヤクザの軍団だ! そしてそれを率いるは、上半身裸で童話の如き金棒を担いだヤクザの若頭モムタロウである!


「何なんだね、君たちは!」スムーズな仕事の進行を邪魔された小男は、その小さな体に見合わぬ大声でヤクザたちを咎めた。


「うるさいのう。キャンキャンとよく吠える犬じゃ」何というわざとらしい訛りであろうか。この男、仕事ということで口調を作っているのだ! それは、紅塵会というヤクザ組織で長年培われてきたヤクザメソッドに基づく、相手を脅すための方法であった。


「ワシらはそこのガキを連れてこいと言われているだけじゃ。だけんども、そのためにはどんなことでもさせてもらう。そこんとこヨロシク」モムタロウが獰猛に牙をむく。彼の体が熱を帯び、その背中に徐々に桃の入れ墨が浮かび上がる。


「それはつまり、わが社の資産を奪うということか? 力づくで?」


「そういうことだ」


「ずいぶんと自信家だな。精々頑張ってみるがいい。貴様らが手を触れるよりも早く、トモエのムカデが全員八つ裂きにしてやる」小男も一歩も引かない。取引相手でなく、それどころか邪魔をしてくる相手に、丁寧な対応などしない。敵はただ撃滅するのみだ!


「手下の後ろに隠れてずいぶんとでかい口を叩くじゃねえか。安心しろよ。おたくの兵隊がどれだけ強いかはよおく知っている。だから、若い衆を五十人ばかり集めてきた。こんだけいれば、そこの姉ちゃんのバイクからガキ一人ぶん奪るには十分じゃ」


「本当にやる気なのか!」


「望むところじゃ!」


 小男とモムタロウが睨み合う。互いの距離は離れていたが、その強烈な殺気はお互いに感じ取っていた。それに呼応して、それぞれの部下たちが今にも敵に襲い掛からんと身構える。

 そしてその力場の中心で直立するセナ。この場において、彼女はあきらかな異物だといえた。


 二つのグループが戦闘開始の合図を今か今かと待ちわびる。




       ***




 同時刻、用水路脇に違法駐車されていた車が、エンジンを起動させた。不思議なことにその社内は無人である。ハンドルの隣に設置されたカーナビ用のディスプレイに光が灯る。もしや、GPSを利用した自動運転装置が備わっているのか? いや、電気とオイルを燃料とする古いハイブリッド車にそのような装置は存在しない。では、いったいこのおかしな現象は何なのか。


 ディスプレイが黒い背景を表示した。そして次々にコマンドが入力されていく。画面スクロールのあまりの速さに、その文章の羅列をすべて読み取ることはできない。だが、仮に今ここに、コンピューターに精通し、尚且つスローモーション機能を備えたサイバネアイを装備した人間がいれば気づいたことだろう。入力されたコマンドが、車の各種電装品に過負荷を与え、激しいスパークを発生させるものであることを。そして、そこから生み出される結果を。


 エクスプロージョン! 車が下から炎を吐き出しながら、真上へと吹き飛んだ!




    ***




 突然の爆発で、ヤクザ軍団とムカデ部隊両方の注意がそちらに向く。そしてその後のそれぞれの対応は大きく異なった。


 ムカデ兵たちは爆発を確認すると、マニュアルに従い、小男の隣に控えていたムカデ兵が素早く小男の襟首を掴み装甲車の陰へと退避させ、他のメンバーは三位一体のフォーメーションを組み上げた。プロフェッショナルであるムカデ兵たちは、瞬く間に護衛対象の避難と戦闘態勢への移行を披露して見せた。何という洗練された要人警護メソッドか!


 もう一方のヤクザ軍団はというと、一部のレッサーヤクザが爆発をムカデ兵からの攻撃だと認識、口々に恫喝的文言を喚き散らす。周囲にそびえたつ電灯が、派手なスーツとドスの刀身を照らしギラギラと発光させる。その様相はさながら地の獄にひしめくディーモンめいていた。コワイ!



    ***



 この場を混乱で満たすにはあと一押しが必要であろう。そうセナは分析すると、すぐに行動に移った。

 彼女のサイバネアイの網膜ディスプレイにレックウへの遠隔操作コマンドが列挙される。セナは数多くのコマンドの中から一つを選び取った。

〈デコイ射出。ファイル1を四回、二秒間隔で〉〈〈了解。デコイ射出。退避推奨な〉〉わずか数秒のやり取りが完了すると、レックウの双眼のライトが眩く光り、エンジンがうなりを上げ排気ガスを勢いよく噴射した。周囲にガスが立ち込めて煙幕が出現。それに紛れ、レックウの複数あるマフラーの一つに偽装されたパイプから手のひらサイズの円盤が射出される。円盤はセナとレックウから三メートル離れた位置に落着すると、ライフルや拳銃の激しい銃声を響かせた。


 デコイの陽動に合わせて、セナとレックウはキルゾーンから退避した。



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