第14話 カブキストリートでの逃走 後編
身を寄せ合いながら二人が通りを直進していると、前方からヤクザの一団が接近してきているのを発見した。
「少年、右に行くわよ」そう言って、セナは少年の肩を掴み、彼の体をぴったりと引き寄せた状態で、一つ隣の通りへと行くために右折した。しかしそちらからもヤクザが来ていた。二人は急いで引き返し、元来た道に戻ると、左の通りへと向かった。こちらにはヤクザはいない。二人は目立たぬように注意しながら左の飲み屋通りへと進んだ。このままヤクザを撒くことはできるだろうか。セナがそう考えていると、二人の位置から一メートルほど左側にある居酒屋の扉がガラガラと音を立てて開いた。
「あ」セナの口から思わず声が漏れる。
居酒屋から出てきたのは、聞き込みにかこつけて酒をあおっていたヤクザ部隊であった! 先頭のスキンヘッドヤクザが手に持った写真と少年の顔を見比べる。そして先ほどまで楽しげに躍っていた目が、驚きに見開かれる。「テメッ、グワーッ!」
ヤクザの顔面にブーツの底が叩き込まれた。声を上げる暇もなくスキンヘッドヤクザは再入店する。店内からは仲間らしき男たちの声が聞こえてくる。
セナはすぐさま少年の手を引いて駆けだした。居酒屋からは続々と下級ヤクザが姿を現していた。
ヤクザのひとりが懐からチャカガンを取り出し、逃げる二人に向けた。その僅かな間にも、三メートル五メートルと互いの距離が開いていく。彼は焦りから、ろくに狙いのつかない状態で引き金を引いた。弾丸は当然ながら的外れの方向に飛び、セナたちの右後方に立っていた『ダイミョ気分』のスタンド看板を撃ち抜いた。ヤクザの目がサイバネ化されていなかった故の結果だった。
ヤクザは舌打ちをした。自分のこの目がサイバネ化されていれば、今の弾丸も当たっていただろうと思っているのだ。だが、照準機能付きのアイインプラントは軍用の高級品だ。一般のマーケットには出回らず、闇マーケットでは本来の金額の数倍の値段で取引される。彼程度の下級ヤクザには手に取るチャンスすら巡ってこない。ソフトに頼るよりも、的相手に一発でも多く弾丸を撃った方がはるかに早く上達することだろう。
突然の銃声によって、通行途中であった市民たちが悲鳴を上げて我先にと逃げ出しはじめた。他の者より少しでも遠くに早く逃げようとする市民の波に紛れ、セナたちも脱出を試みる。しかし、はぐれぬように互いに注意しながら手を繋いで移動しているために、その動きは周囲に比べてわずかに遅れている。
「あそこだ、追うぞ!」
ヤクザはそのハイエナじみた観察眼で目標を発見。怒声を飛ばした。さらに発砲音が木霊する。今度は連続だ。市民の巻き添えという可能性を一切考慮せずに、攻撃を開始した。これには、邪魔な市民の逃走を加速させる。あるいは排除することによる目標の炙り出しという狙いがあった。
ヤクザたちの無差別攻撃が二人の炙り出しを狙っての行為であることを察したセナは、人の波から抜け出し、路地の一角に飛び込んだ。
それを追いかけるヤクザ部隊!
「「「スッゾコラー!」」」恐ろしきヤクザスラングが聞こえてきた次の瞬間、チャカガンの発砲音が連続する。しかしそのいずれの弾丸もセナたちには当たらない。走りながらの射撃のため狙いが安定しないうえに、距離が遠すぎるのだ。
一方のセナは、少年を庇いながら足を止め、拳銃を右手で構えていた。その瞳孔が絞られる。彼女は深呼吸をしてゆっくりと息を吐いて、引き金を引いた。ヤクザたちの粗悪なチャカガンとは異なる力強い銃声が路地に響く。発射された重い弾丸が、追跡ヤクザ部隊の先頭ヤクザの胸を穿つ。チャカガンとは比べ物にならないストッピングパワーによって、撃たれたヤクザは上半身を奇妙な姿勢で後ろに逸らして跳ねるように後方へ飛んだ。追従していたヤクザの何名かが、胸に風穴の空いたヤクザだった物を避け損ねて巻き込まれ転倒する。
「進むわよ。急いで」少年の背中を押して先を促しつつ、セナはさらに二回、引き金を引いた。弾丸は二名のヤクザに命中した。それぞれが腕と腹を押さえて倒れるのを確認すると、セナも少年を追いかけて走り出した。
足に疲労がたまり肺が痛くなりながらも、少年はセナの言葉に従い走り続ける。途中何度かバランスを崩しかけたが、その度にセナが手を貸して助けた。
走り続けていると、セナの腰あたりの高さのコンクリート製車止めが見えた。その向こうは用途不明の様々な配管の巡っている汚れた壁で囲まれている。行き止まりだ。
「逃げ場がない。どうするんだよ、オバサン!」
騒ぐ少年を、セナは車止めの裏に隠れさせた。ここでヤクザ共を迎え撃つ腹積もりだ。
「ザッケンナコラー!」
ヤクザの怒声が聞こえてくる。セナは息を吐いて、銃を構えた。その瞳がキリキリと絞られ、二十メートル前方より迫るヤクザたちのバイタルゾーンをロックオンした。
***
激しい銃撃の応酬を聞きながら、少年は辺りを見回した。自分にも何か出来ないかと考えているのだ。左右の壁は店の裏口らしく、それぞれ扉があった。まず右のアルミ製の薄い扉に近づいた。上半分の曇ったガラスから店内の明かりが見える。少年はドアノブに手をかけ回そうとした。しかし鍵がかかっている。少年は素早く反転して左の扉に向かった。今度は緑色に塗装された金属製のスライドドアだ。こちらは店内の様子を伺えない。当然ながら鍵はかかっている。だが、手をかける溝が無いことから、電子制御による扉であることがわかった。その証拠に、扉の右真横、百五十センチ前後の身長である少年の頭の高さの位置
に、開閉装置が埋め込まれている。
少年は奇跡を信じて開閉装置に触れた。だが装置は開閉せず、かわりにエラーを知らせるビープ音が返ってきた。二、三度ほど少年は装置を操作したが、結果は同じだ。扉を開けるには登録されているIDが必要だった。
彼はやり方を変えることにした。瞳が緑色に発光する。開閉装置がビープ音を繰り返し吐き出す。ディスプレイのエラー表示にノイズが走り、コマンドプロンプトの行列が表示される。「OPEN」コマンドが実行された。開閉装置は開錠されたことを知らせる軽快な音をだして扉のロックを解除した。
逃走ルートの確保に成功した少年は、セナに声をかけようと振り向いた。彼女はいまだに車止めの前で攻撃を継続しており、少年に注意を払っている様子はない。大声でセナを呼ぼうとした口がそこで止まり、彼は思った。今ならば逃げられる、自分一人で。と。
ここでセナを助けたところで待ち受ける結末にたいした変わりはない。だが、彼女を囮にすれば自分は窮地から逃れられる。そう、ヤクザよりも穏当に接してくれたとはいえ、セナもまた自分の目標を阻む邪魔者でしかない。ここで共倒れしてくれれば良い。そうだ。それでいい。そうすれば自分は自由になれるのだ。それが正しい道のはずだ。少年はそう思った。
さあ、逃げ出そう。兄弟姉妹たちと追い求めた自由がすぐそこにある。扉をくぐりさえすれば、君は解き放たれ、自由を謳歌する。
だが、本当にそれで良いのだろうか?
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