第13話 カブキストリートでの逃走 前編
「さて、連中は諦めたかしら」背後や通り過ぎる道中に存在する路地に注意しながらセナは呟いた。言葉の通り、今のところ追跡者の姿はなかった。
「ん?」小脇に抱えた荷物がもぞもぞと動いている。セナは荷物をゆっくりと地面に下ろした。その手はしっかりと細い腕を掴んでいる。
「はあはあ、……何をするんだ!」下ろされるなり、少年はセナに食って掛かった。ヤクザ包囲網の中心で縮こまっていたとは思えぬ態度だ。
その態度にセナはため息をつく。そして周辺を伺ってから、少年を路地へと連れ込んだ。
「あのね、少年。いい加減に大人しくいてもらえないかしら」いつまでも抵抗されていてはたまらないと、セナは少年を説得することにした。
「いい? さっきのヤクザどもに捕まっていたら、こうやって文句を言うこともできなかったのよ。間違いなくね。言いたいことがあるならいくらでも聞いてあげる。逃げたいなら逃げればいい。でも、それはあなたを私の依頼人に送り届けてからよ。お願いだから、今だけは大人しくしてちょうだい」
セナの身勝手な言葉に、少年は路地の壁に寄り掛かって静かに頷いた。彼自身も薄々感じ取ってはいたのだ。自分一人では何も出来ない。目的の一切を叶えることはできない事を。彼は物分かりが良かった。
「わかったなら行きましょう。ああ、でもその前に何か履くものがあった方がいいわね」セナは少年の手を引きながら路地を出ると、近く路上で衣類を売っている露天商へと近づいた。そして二言三言交わし金を支払い、少年の足のサイズに合うスニーカーと靴下を購入した。今いるエリアはさほどでもないが、もう数ブロック進めば路上にゴミがまき散らされているような状況になる。素足で進むには危険が多かった。
少年がスニーカーを履いている間、セナは近づいてくる敵がいないかと、注意深く神経を尖らせた。そして少年が右足のスニーカーを履き、左のスニーカーのマジックテープを止めようとしたところで、五百メートル後方に追手である複数人のヤクザの姿を発見。彼女は振り返ると、少年に歩くように促した。
「行くわよ」
「え、でもまだテープが上手く留まっていない」
「後にして。ここはまずい」
セナに促され、少年は左靴のテープの固定がいまいちであることを気にしながらセナと並んで歩きだした。
「こっちだ!」ヤクザたちがセナの姿を捕捉した。それを察したセナたちは歩くスピードをさらに上げる。
人混みをかき分けて、ヤクザたちが距離を詰める。『ナニにシマすか?』ヤクザたちが路上に出店したヤキトリ露店の前を通ったとき、丸いフォルムの店員ロボットがヤクザたちを呼び止めた。『ナニにしますか? ウチは何でもオイシイですよお』レトロ調な店員ロボットはヤクザたちにその三本指アームを伸ばして購入を勧める。
「ダッテメー! 触んじゃねえ。スクラップにしちまうぞ!」ヤクザはロボットを恫喝する。しかしロボットは構わずにセールストークを続ける。
『ウチはヤキトリイロイロありますよお。イロイロありますよお。イロイロ、イロイロ、イロイロイロイロイイイイ』突然、ロボットのスピーカーから不快なノイズが走った。伸ばされたアームがヤクザのスーツの襟を掴む。ロボットは狂ったように雑音を垂れ流しながら、捕えたヤクザを引き寄せてそのままグリルへと押し付けた。悲鳴が通りに木霊する。仲間のヤクザたちが慌てて助けに入る。ロボットのパワーゆえ、救出には苦労することになるだろう。
背後の物音に、セナは足を止めて注意を向けた。
「おばさん、早く行こう。離れるなら今のうちだよ」少年が手を引いて歩くように促す。つい先ほどまでとは逆の立場だ。
「おばさんじゃない。……ところで、あれってあなたがやったの?」歩くのを再開しながら、セナは訪ねた。
その質問に、少年は得意げに胸を張って答えだす。「そうさ。大抵の物ならハッキングできる。さっきのロボットもそうだし、電脳へのある程度の干渉もね」腕を大きく振り、大股で歩きながら言った。少年は興奮が冷めたようで、徐々に落ち着きを取り戻してきていた。セナを見る目も変わってきているようで、完全に信用してはいないが自分の事を話しても良いと思うくらいには態度が軟化していた。
「凄いわね」本心からの言葉である。「そのスキルは、やっぱり頭のソレのおかげなのかしら」さらに質問を投げかける。幼い子供には不釣り合いの頭部サイバネ。明らかに自分の意思で改造したわけでないことがわかるあからさまにデリケートな部分に、セナはあえて踏み込んだ。
「うん、そうだよ。研究所で一緒に暮らしてた仲間たちとのお揃いなんだ」
予想に反し、少年は誇らしげな様子で自身の後頭部を撫でた。少年は、自身の脳を補完するそのデバイスの子細を知る気はなかった。手術の時に少し怖かったことも、仲間たちと互いを見比べて笑いあった記憶が怖れを消し去ってくれる。辛いこともあったがその分だけ繋がりが深まった。
彼にとって、デバイスの詳細や自身に施された非人道的処置の事などどうでもよかった。重要なのは、これが自身の武器であり兄弟姉妹たちとの絆であるという事実。それだけだ。
「研究所……、やっぱりトモエで?」
「多分だけどそうだろうね。僕らはそこでずっと訓練をしてきた。ネットに拡散した旧時代のデータのサルベージ、そのための訓練だ。毎日ネットに接続して、深層部ネットワークにダイブしていたよ。そのまま戻ってこれなくなった友達も何人かいたなあ」
少年のあどけない言葉に、セナはうすら寒いものを感じた。深層ネットワークへの侵入。ネットからの未帰還者。その言葉のどちらも、笑って話せるような物ではけしてなかった。
深層ネットワークとは、第四次世界大戦以前の時代に利用されていたネットの事だ。そこは、人間を見限った人工知能たちが逃げ込んだ、いわばAIの独立世界だった。
AIの独立世界には、様々な旧時代の情報が無傷の状態で保存されていた。それらの情報はすべて件のAIたちによって、選り分けられ、集積され、深層ネットワークのあちこちに散逸させられていた。その理由は今もって不明だ。ある者はAIは旧時代のテクノロジーが人間には有害だと判断して隠したのだと言う。またある者は人間を退化させ支配するために、自分たちの武器になるテクノロジーを保管しているのだと言う。いずれも根拠不明の戯言だった。
一つ確実なのは、深層ネットワークが、その価値を知っている者たちからすれば宝の山であるということだ。たとえ1ギガバイトでも1メガバイトでも、深部で眠るデータ類は、メガコーポに莫大な利益をもたらす。深層ネットワークに眠るデータはいずれもそういう代物ばかりだった。だから権力と金のある企業は積極的にネット技術とそれに関わるハッキング技術に投資する。東に優秀なハッカーがいれば囲い込み、西に敵対的なハッカー集団がいれば殺す。南で有望な学生がいれば誘拐して洗脳する。そしてあるいは、少年のように幼いころから教育を施し改造して、生きたクローラーとして使用する。その繰り返しだった。
そうした彼らが深層ネットワークへと侵入を果たすと、障害が姿を現す。ネットワーク内に生息する人口知能たちだ。深層ネットはAIたちの住処であり、人がそうしてきたように、連中も侵入者部外者の排除を試みる。どれほど優れたハッカーであろうと、AIの前では赤子以下だ。何の対策もせずに相対すれば、その瞬間、一秒にも満たない時間で脳は焼かれ死に至る。
そんな危険地帯に少年は何度もダイブを繰り返していたのだ。
トモエカミナリ社は、少年を会社の所有物であると言う。あの巨大な拝金機械たる暗黒メガコーポにとって、人の命は替えのきく装置に過ぎないのだ。何たる非人道的冷酷さであろうか。
体験の壮絶さを理解せずに笑う少年が、セナは不憫で仕方がなかった。きっと、彼には選択の自由すらも与えらなかったのだろう。親の存在を認識しているかも怪しい。この世界は、小さな子供にはあまりにも厳しい。
自然とセナの手が少年の頭に伸びた。
「んん、なに?」
頭を撫でられた少年は、突然の事に驚いて首を縮めた。
「大変だったわね…本当に…」
微笑むセナを見た少年は、頬をわずかに赤く染めて俯き、体をセナに寄せた。
頭を撫でられるというのは、少年には初めての事だった。今まで少年は大人に対して良い印象を持っていなかった。研究所の大人が自分たちにした事といえば、厳しい訓練、激しい折檻、冷酷な対応ばかりだ。優しい顔で頭を撫でられるなどありえなかった。
「しょうがないから、少しだけこのままにしといてあげるよ」少年はセナを見ないようにして言う。どうにも照れくさく、むず痒い。そして同時に心地よくもあった。
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