第10話 ヤクザ、モムタロウ

 セナたちが去った後、横転したバンに近づく大男がいた。上半身の肥大したその重サイボーグは、バンへと近づくと縁に手をかけて無造作に横転したバンを元の姿勢へと戻した。そしてフロントガラスから頭の飛び出した群れのリーダーを引きずりだし、抑揚のない声で言った。


「…何があった…逃げられた? ベータ1…」

 大男の重サイボーグ、オメガ2の質問に、右腕が折れ曲がりヘルメットがひどくひしゃげた状態のベータ1はイラつきながら返答する。


「見ればわかるだろう。任務が成功したように見えるか? これが? 分かりきった事を聞く前に他の二人も車から出してやれ」ベータ1は地面に座り込んだまま言った。そして彼は折れた腕を見つめながら通信機を起動した。直属の上司へと任務失敗の報告をするためだ。


 コール音が数回鳴り、連絡相手が通信に出た。通信機越しに相手の息遣いが伝わる。ベータ1は失敗の報告をするために口を開く。下手な誤魔化しや取り繕いは悪手だ。通信相手は気分次第で簡単にベータ1や彼の部下を解雇できる。生きた心地がしなかった。

「お忙しいところ失礼します」開口一番は相手へ伺いをたてる。「お時間よろしいでしょうか。マオ部長」都合の確認を忘れない。


「フゥー……、何の用かね? ゴンツェン少尉」口から煙を吐き出しながら、しわがれた低い声が言う。


 緊張で舌がもつれないように注意しながら、ベータ1は慎重に失敗の報告をした。できる限り事実をありのままに伝える。


「……そうか、失敗したか」マオ部長は声を荒げる事も𠮟責することもなく、ただ事実だけを嚙み締めた。その声にはわずかに失望の念が混ざっている。


 ベータ1はただ待った。額を汗が伝い落ちるのを感じる。喉がひどく渇く。


「では、君たちはその場から撤収したまえ」


 その言葉に、ベータ1は驚きを隠せない。「よろしいのですか? あれは相当に重要な物であると聞いていましたが…」


「それはそうだが、君たち戦狼部隊を長時間拘束するほどの価値はない。回収出来なかったのであればそれで良い。後の事は気にせず、今は休みたまえ。ご苦労だった」優れた上司は部下への労いを忘れない。


「…そう、ですか。了解しました。失礼します」ベータ1は内心ホッとしながら通信を切断しようとした。その寸前、マオ部長が思い出したように尋ねた。

「ああそれと、その襲撃者がどこに向かったかはわかるかね?」



   ***



 工場地帯からそう遠くない場所に位置するカブキストリートは、ムサシのあちこちに存在する繫華街の御多分に洩れず、常に猥雑でサイケデリックなネオンや看板が躍っていた。


 この場所が食いものにするのは、付近の工場に勤める労働者たちだ。疲れ切った彼らを癒し、財布から搾り取れるだけの金を搾り取り、そして再び仕事に向かわせ貢がせる。その悪辣な循環システムによってカブキストリートは成り立っていた。


 そんないかがわしい場所で働く者たちといえばどういった者たちだろうか? 大抵は何らかの已むに已まれぬ事情を持つ者や、脛に傷を持ち、後ろ暗い過去を持つ者たちなど、社会のはぐれ者だ。社会に馴染めず、皆ここに落ち着くのだ。


 そして、そんな人々を利用して私腹を肥やす者がいる。一般社会で言えばその役目は企業や政治家が担う。ではこの場でその役を担うのは誰、いや何か? ヤクザだ。前世紀のいくつもの規制や摘発を経てもなお、彼らはしぶとく生き残っていた。




 バンッ、ドンッ、バシッ、バシッ。肉の打たれる音が地下ボイラー室に響く。

 的確なワンツーパンチが血まみれの中年男性の腹にめり込む。再び腹、そして太ももにはローキックが飛ぶ。中年男性は身を捩り苦悶に喘ぐ。だが、鎖を両腕に巻かれ天井からぶら下がった格好のせいで、体を動かして痛みを逃がすこともできない。


 この男は一体何をしでかしたのか。それはたいして重要な事ではないが、念のためご説明しておこう。彼は今いるボイラー室の上階に存在する性風俗店の客だった。ある時、彼はそこの従業員と恋に落ち、駆け落ちをしようとした。しかしその従業員は店の看板的な存在であったため、足抜けをよしとしないヤクザたちが二人を追跡、捕縛。そして一方は店に戻り、もう一方はこうして拷問を受ける事となったのだ。


 血まみれの男の周りを、三十代前半ほどの男がゆっくりと歩く。つま先の尖った下品なラメ入りのシューズで、コンクリートの床を一歩一歩わざとらしく打ち鳴らす。その上半身は裸で、両手は中年男性の血液で濡れている。


「何でこんなバカな真似をしたんだろうなあ。なあダンナ、うちの店の奴を連れて逃げればこうなるって分かってただろ? ガキじゃないんだからよお」そのヤクザ、モムタロウは男性の周りをまわり続ける。答えを求めているわけではない。ただ暇つぶしに問いかけているだけだ。独り言と変わらない。本来ならば、この拷問すらも不要な行為なのだ。

「何とか、言ったらどうだ! アッコラー!」モムタロウの拳が中年男性の脇腹にねじ込まれる。そしてさらにワンツーパンチ。中年男性は瀕死だ。


 モムタロウが最後の一撃を見舞おうとした時、ボイラー室の金属扉が開き、若いヤクザが慌ただしく入室してくる。

「アニキ、失礼しやす。オヤジからお電話です」そう言ってモムタロウの舎弟が端末を手渡した。


 お楽しみを邪魔されたモムタロウは、中年男性の方を一瞥してから、受け取った端末に耳を当てた。

「モムタロウです。どうしたんすかオヤジ」モムタロウは肩と耳で端末を挟みながら、近くのテーブルに置いてあったミネラルウォーターで両手に付着した血液を洗い流した。

「おう、モムタロウ。お前、ちょっと人探ししてこいや」モムタロウの所属するヤクザ組織の組長がぶっきらぼうに言う。

「人探しですか?」親分からの突然の指示にもモムタロウは慌てない。今日のように仕事の連絡が突然入ってくることはそう珍しいことではないのだ。

「何か用事でもあったんか」

「ウッス、大丈夫です。いつでもいけます」

「詳しいことはこの後メールで送る。任せたぞ。お前には期待しとるからのお」横柄な口ぶりで言うと、組長は通話を切った。


 通話が終わった数分後、端末がメールを受信した。写真と最後に目撃された場所の情報が添付されている。写真は二人分ある。一人は後頭部がサイバネ置換された顔色の悪い少年だ。もう一人は体つきからしておそらくは女だろう。街の監視カメラで撮影されたらしき粗い画質の写真である。情報によれば、この女が少年を連れて繫華街へと身を隠しているらしい。


 先ほどまでまっさらな状態であったモムタロウの背中に、凶暴な筆致で描かれた桃のイラストが浮かび上がる。ヤクザ特有の文化である刺青だ。

「ウッス! アニキ、上着をどうぞ」舎弟のボリスがワインレッドのジャケットを差し出した。


 モムタロウがその上着に袖を通す。そして、次の瞬間、彼は舎弟であるボリスの頬を勢いよく張った。

「ボリス! 手の空いている組の連中を集めろ。全員だ!」モムタロウが威勢よく言う。


「ありがとうございます! ウッス! 片っ端から集めます!」舎弟のボリスは、唐突に振るわれた暴力について文句の一つも言わない。それどころかお礼の言葉を述べた。

 これこそが恐るべきヤクザ養成メソッドの一つ、パワーハラスメントである!


「おい、そこのお前、そいつは適当な場所に転がしておけ」モムタロウは拷問の最中にも背後で待機していた別の部下へと命令すると、ボイラー室を後にする。それを舎弟のボリスが追いかける。五十年の歴史を持つヤクザクラン紅塵会で今最も勢いのある凶悪ヤクザの出撃である。



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